リブクラ / pixiv
WROというのは、平和になったとしても多忙な仕事だ。星に害をなすあらゆる敵と戦うという設立目的を達成するには、平和な日頃からの警戒も必要だ。何らかの異変を察知したら、それがたとえ小さなものであっても、拾い上げてつぶさに観察・監視しなければならない。何事もない時の備えほど大切であるということを、リーブはよく知っている。
だから、世間が恋人達の日だとかなんだとか、そういうことで浮かれていたとしても、つられるわけにはいかないのだ。手元には書類が溜まっているし、目を離せない案件もいくつかある。本部からは離れることができないのが局長だ。何があっても対応できるようにしておく必要がある。
そんなリーブが激務から解放されたのは、十四日も終わりに差し掛かった頃だ。日が落ちる前にひと段落することが珍しいし、この時間帯に終わるのもむしろ普通の範疇だが、それでも今日はここ最近の中でも指折りの仕事量だった。よく捌けた方だと自分でも思う。
凝った肩をぐるぐると回し力を抜いて、目の前の端末の電源を落とした。
戦場と化した机の上を、片付ける気力も最早ない。途中の仕事もあるし、明日の取りかかりも早くなるからそのままにしてもいいかと結論づけて、リーブは席を立った。
局長室に施錠しながら、胸ポケットの携帯を取り出す。特に通知は来ていない。ほっとするやら、がっかりするやらの複雑な気分と一緒に、携帯をまた胸ポケットに納めた。
『今日は行けそうにないかもしれない』
――そんな電話がかかってきたのは、今日の朝方だった。
午前中の段階で、WROのある大陸に渡れそうだと言っていた電話の主は、まだアイシクルロッジにいるという。
「天候でも悪くなったんですか?」
『半分当たってるが、半分違う。ガイアの絶壁に、青いドラゴンがいただろう』
「ああ、いましたね」
『そいつが氷河を越えて、村の近くまで出てきたんだ。おかげで危なくて輸送のヘリが飛ばせないらしい』
だからちょっと探して狩ってくる、とそこらのウサギでも仕留めて来るような気軽さで、クラウドは言った。
ドラゴン族は基本的に縄張り意識が強く、自分の住処からは離れない。だが住処となる生息域が狭いと、稀に縄張り争いが起こる。そして追い出された個体は新たな縄張りを探して彷徨い、ごくたまに人里にまでやってきてしまうのだ。
『すぐ見つかったら今日中に行けそうだと思ったんだが』
「難しそうですか?」
『警戒心が強いらしい。少し手こずると思う』
「わかりました。気を付けてくださいね」
『すまん。ありがとう』
できるだけ早く戻る、と残して電話は切れた。
それから十二時間以上経つが、何の音沙汰もないところをみると、まだアイシクルエリアを出られていないのだろう。ドラゴン一匹程度に喰われてしまうような中途半端な腕前ではないし、帰ってくることに関しては微塵も疑ってはいないが、会えそうだった日に会えないのは、少々がっかりするものだ。
(渡したいものもあったんですけどねえ)
自室にたどり着いたリーブは、シャワーを浴び寝支度を整えたあと、冷蔵庫を開ける。あまり大きなものが入ることの少ないその中には、程良く冷えたワインと洗練された包装を施された、手のひら程度の箱が大事に仕舞われていた。
次に着たときにでも渡せばいい、確かに今日は特別ともいえる日ではあるけれど、少し過ぎたところで何かが変わるわけでもない――そう自分に言い聞かせて、リーブは冷蔵庫の扉を閉めた。
***
その夜はずいぶん懐かしい夢を見た。初めてクラウドと顔を合わせたときの夢だ。写真では見ていたが実物は目にしたことがなかったリーブは、今まで一行の先頭に立っていた彼が思いの外小柄であること、誰よりも素直なことに驚いたものだった。そして、夢の中でも驚いていた。
クラウドは、不思議な色をたたえた瞳でリーブをわずかに見上げるようにしていた。
「イメージと違うな」
「違いますか?」
「もう少し、若いと思ってた。リーブは大人なんだな」
はにかむような静かな笑顔と、メテオが消え去った晴天の下、柔らかく光る金髪に、思わず見とれてしまったのを、今でも覚えている。
――そして、その記憶のままの金髪が、夢から覚めても消えずに目の前に残っていると気付いたとき、リーブの心臓は一気に速度を増した。
「く、クラウドさん……?」
すぐ近くで穏やかな寝息をたてている人間は、確か昨日来れないと言っていたはずではなかったか。となればこれは、夢の中でも夢を見ているのか。
リーブは夢かうつつか判断がつかないまま、そっとその金髪に触れる。
消えたりはしなかったし、確かにそこにいた。手のひらが返してきた感触は、それが現実だと伝えていた。
(夢やない)
リーブの頭の中から、冷蔵庫の中のプレゼントも何もかもが吹っ飛んだ。
未だ眠り続ける彼の頬を両手で優しく包み込み、静かに引き寄せ唇を塞ぐ。無意識なのか夢でも見たか、わずかな吐息を漏らして薄く開いた歯列の間に舌を捻じ入れてやったら、僅かに苦しげに眉が寄り、碧の目がうっすらと開いた。
「っん……?」
「おはようございます、クラウドさん」
「……おはよう……キスで起こすな、びっくりした……」
「少し勢い余ってしまって」
すみませんね、と謝罪を込めて更に軽く啄んだ。今度はお気に召したのか、若干不機嫌そうだった顔が、みるみるうちに和らいでいく。
「なんだ、朝から。いいことでもあったのか」
「今日お会いできるなんて思っていなかったもので」
「ああ……思いの外早く片付いたから」
クラウドの白い手が、布団からするりと出てきてリーブの髭をなぞった。整ってないんですからやめてくださいよと言ったら、「それはそれで楽しい」とかわされてしまった。リーブから頬ずりされるのは嫌なくせに、自分から触るのはいいらしい。
「間に合うかなと思って、一晩中飛ばしてきたんだ。そうしたらぎりぎり間に合った。疲れたけどな」
未だ顔を撫ぜてくる指先を捕まえ、前に渡したミスリルの指輪へ唇を寄せた。
「無茶しますね」
「しょうがないだろ」
「恋しくなりました?」
「なった。今もなってる」
もっと頂戴と囁かれる声に応え、クラウドの首に、頬に、唇に、絶え間なくキスを落とす。くすぐったいとよじる身体を組み敷くと、薫るブロンドの飼い犬は、蠱惑的に笑っていた。
――この瞬間、この誰にも見せなかったであろう笑みを見る瞬間が、リーブはたまらなく好きだった。半ば蕩けた、しかし主人からの餌を待つぎらぎらとした欲もなにもかも綯い交ぜになったこの瞳は、リーブが普段心の奥底に秘めた獣じみた感情を、ざわざわとかきたててやまないのだ。
クラウドはゆらりと両腕を持ち上げ、リーブの首に絡める。
「仕事、どうするんだ」
「しばらくは大丈夫ですよ。ケットを行かせました。彼がうまくやってくれます」
「……ケットに同情するよ」
碧色が笑い、金の髪が揺れる。
うつくしい狼に引き寄せられるがまま、リーブは彼の肢体に覆い被さった。