恋慕の怪物・二

ルークラ / pixiv

 心臓が吹っ飛ばされていたらしいと聞いたのは、クラウドが仕事に復帰して二週間ほど経った昼のことだった。
 直接誰かから聞いたわけでもない。ただリーブに依頼されていた届け物をして、その帰りに食堂でも寄っていこうか、なんてことを考えながらWROの廊下を歩いていた時だ。黙っていても周囲の音を拾う聴覚は、ことさら自分の名前に関しては敏感に察知する。普段一般隊員の休憩所として使われている部屋の中から、その話は聞こえてきた。

「――ええ? マジで? すっげえなあクラウドさん」
「マジマジ。衛生の知り合いから聞いた話。やっぱソルジャーってさ、強いだけじゃなく丈夫だよな」
「だよなー。いいなあ、俺もそんな体が欲しかったよ」
「でもさ、心臓半分吹っ飛ばされても生きてるって、人間じゃねえよな。俺はまだ人間でいたいなー」

 恐らくそれは誰でもするような何気ない会話だっただろうし、クラウドも一般兵だった頃は、同じような話を同僚達とした覚えがある。だからその場は特に何も考えず、何も口を挟まず、次の目的地の食堂へと歩を進めた。
 ただ、歩くにつれて、先ほどの兵士の声はじわじわと音量を増して、ぐるぐると頭の中に残る。
 純粋な人間ではないのは百も承知だ。宝条によって埋め込まれたジェノバ細胞は、今でもクラウドの体の中にあり、着実にその数を増やしているのだろうことも解っている。だが、それでも、クラウドはまだ人間であることを捨てたつもりはなかった。
「――珍しいですね。クラウド・ストライフ」
「何が?」
「量が少ないです」
 ぞの華奢な体に似合わず、盆の上に盛りだくさんのランチを載せたシェルクは、あいかわらずの無表情でそう言った。量というのは、恐らくクラウドの目の前のプレートのことを言っているのだろう。だいたい一人前の量だが、確かに普段のクラウドの量からしたら、かなり少ない方だ。
「体調でも?」
「いや、別に」
「そうですか。それなら良いんですが」
 ぱきんと箸を割って、シェルクはさっそく目の前の食事に手をつけ始めた。普段無表情な彼女ではあるが、この瞬間が一番少女らしい顔をする。今回も例に漏れず、非常に晴れやかな顔をしながら、山のように盛られた食事をどんどん平らげていく。
「軽くない怪我をしたとリーブから聞いていましたが、元気そうで何よりです」
「どうも」
「まだ受けるんですか?」
「何を?」
「ルーファウス神羅からの誘いのことです」
 むしゃむしゃごっくん、という音さえも聞こえてきそうなくらいの食べっぷりとは裏腹に、シェルクの口から出た言葉は、思いの外鋭い指摘だった。
「確かにあなたの身体能力は常人よりも上ですし、ある程度万能に立ち回れるとは思います。しかし、何かを守って迎え撃つよりも、魔力や筋力の配分から、殲滅する方が方向性としては向いています」
「……俺に兵士になれと?」
「失礼、語弊がありました。そういう意図で言ったわけではありません」
 煮豚をもくもくと食べ飲み込み、シェルクは言った。
「向かないことや、慣れないことをすると、負傷のリスクは格段に高まります」
「ああ、なるほど、心配か」
「一言で言うとそうです。一応、WROからの輸送依頼もありますし、穴を開けられては困りますので」
 四皿のうち残り一皿、デザートがたっぷり乗ったプレートを手に取ったシェルクは、あーん、と大きく口を開けて色の良い苺を頬張る。
「くれぐれも気を付けてくださいね」
「ありがとう」
「礼を言われるようなことはしていません」
 流れるように最後の生クリームを口の中に収めると、かつて『無色』と呼ばれた彼女は行儀良く「ごちそうさまでした」と手を合わせた。
「あなたの穴埋めは、思いの外大変なんですよ」
「先に謝っておく。すまん」
「……つまり?」
 すっ、とシェルクの目が細められた。それを見ないようにしながら、クラウドは皿の上のヒレカツを一切れ口の中に放り込んで、咀嚼してから答える。
「うん、受けた」
「私の話は無駄だったと、そういうことですか。詫びとしてそのヒレカツを要求します」
「デザート食べただろ」
「ヒレカツは別腹です」
 ふつう逆じゃないのか、という抗議は通用しなかった。

***

「面白いな。兄妹のようじゃないか、微笑ましい」
「……はあ」
「ただ、彼女の分析は的確だ。次はそういった方向の依頼をしようか、元ソルジャー」
「うるさい」
「冗談だ。怒るな」
 全面降伏とでも言うのか、ルーファウスは諸手を挙げた。だが完全に人を小馬鹿にした表情だったので、クラウドは容赦なく、そこにあった枕を叩きつけてやった。
「おっと、危ないな」
「自業自得だ」
 そのまま背中を向けて布団も抱き込む。しばらくして、はは、と苦笑いを含んだ溜息が聞こえた。
「せめてベッドの中ではもう少し愛想よくしてくれないか。いつも背中を見せられる私の気持ちにもなってくれ」
「イヤだ」
 絡みついてくる腕をはねのけようとしたが、思いの外ルーファウスは強引だった。肩をぐいと引き寄せられ、ごろん、と向きを変えられる。目の前にあるのはいつもの挑発するような色を含んだ、クリアブルーの双眸だ。
「ああ、もう、なんなんだ」
「何と言われても」
 顎を優しく掴まれ引き寄せられる。されるがままに受け入れたら、ついと唇をなぞられる。
「……あんた、急にこういうことするようになったよな。心変わりか?」
「そうだと言ったら?」
「気色悪い」
「言ってくれるな」
 くっく、とルーファウスは笑った。
 こういった話の流れは苦手だ。特に怠い今は、単語を並べるのも面倒くさい。そういう時に限ってこの社長は、クラウドの心の奥をひっくり返すような話を持ちかけてくる。
「心変わりは、君もそうだろう」
「何」
「私からの依頼を、素直に受けるようになった」
「……はあ」
 だからこういった時間は嫌なんだと、クラウドはまた寝返りを打とうとする。だが、ルーファウスの腕がそれを許さない。
「……デンゼルの学費」
「ああ、もうそんな歳か」
「あんたはたくさんくれるからな。万が一怪我したとしても、治療費まで持ってくれるし」
 強かだな、とルーファウスは笑った。そこでようやく腕の力が緩み、見透かしてくるようなクリアブルーから、ようやく視線を外せた。ただ離れることは許さないようで、また腕が後ろから絡みついてくる。無理矢理向きを変えられるようなことはなかったので、されるがままにさせた。
 ――本当はデンゼルの学費だけではなかった。
 分け与えられるぬくもりと一緒にやってくる眠気に、そのまま意識を委ねながら、クラウドは一ヶ月前の記憶を反芻する。途切れ途切れで、ところどころ曖昧なものではあるが、何を言われたか、何を見たかは覚えていた。心臓が吹っ飛んだときもまだ意識はあったからだ。普通の人間なら即死だっただろうが、体内の細胞のおかげで生きながらえていた。そして、見ていた。

『死ぬな!! 頼む、行くんじゃない……!!』

 クラウドが見たこともないくらい、必死な顔だった。気を抜いたらぼろぼろと崩れ去そうな意識の中で、ルーファウスの瞳は、ただクラウドにだけ向けられていた。こんな顔もできるんだなと、そう思った。そして、すぐには死ねない化け物の体を、その時だけ嬉しく思った。
 クラウドは、その顔をまた見たいと思ったのだ。その瞬間だけ、一人の人間としてルーファウスに見られている気がした。そして、その瞬間のために、化け物の体でいられたことを感謝した。無論、そんなことを考えているなんて知られたら、きっとほかの皆にはいい顔をされないだろうし、何よりルーファウスが調子になるだろうから、口が裂けても言うつもりはなかったが。
「だから、ちゃんと俺が満足するような餌をくれ」
「なんとも大食いの番犬だな。尻尾を振ってくれたら、考えよう」
「……俺に尻尾はないよ……」
 ルーファウスの言葉を最後まで聞かずに、クラウドの意識は眠りの中に沈む。
 昔の夢も、今の夢も、その夜は見なかった。

三度の飯が好き

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