オンザカウンター

リブクラ / pixiv

 彼には父親が居ない。物心ついたときから居ないから、どういうものか解らないけれど、ずいぶん昔に母にねだった記憶だけはある。
 だから、切ろう切ろうと思っても、自分から縁を切れないのだろうと、珍しく酒が入った顔でそう言われた。
「別に無理に切らなくてもいいんじゃねえのか? 好きならそれでよ」
「まあな」
 先ほどからお代わりを繰り返すバレットとは違い、だいぶ前に氷が溶けきって薄くなった洋酒のグラスに手を添えるだけのクラウドは、ちらりとバレットに笑顔を向けた。マリンに会いに来たら珍しく店にいたため、ひっ捕まえてカウンターに座らせて二時間。体はアルコールに耐性がある癖に、味が好きではないとかいうもったいない体質のクラウドは、それでも人と一緒だと飲めるようにはなったのか、普段にしては多い量を空けていた。
 話題はマリンのこと、デンゼルのこと、店と仕事のことと移り変わり、そして今はバレットが偶然知ってしまった、彼のプライベートになっていた。相手はかつての仲間であり、いつ頃からか部屋に行くようになったという、WROの局長だ。
 一体どうしてそうなったのか——という顛末については、バレットは踏み込んで聞いたことはなかったし、他人の色恋事情に首を突っ込むのも大概にした方がいいというのもわかっているから、これから聞くつもりもない。ただ、長い付き合いの人間が多少なりとも悩みを抱えているというのは、それはそれで気になるものだ。
「あの歳まで独り身ってこたあ、もうそんなつもりはねえのかもしれねえし。神羅の重役だから、仕事が忙しかったんだろうよ」
「あの歳っていってもあんたと同い年だぞ。確かにリーブは落ち着いているから年上に見えるが」
「ひどいなオイ」
「事実を言っただけだ、ひどくない」
 ふふん、と笑うクラウドの表情は、いつものシニカルな色に加えどこか自慢げなものが混じっていた。それだけ好きなんじゃねえかよ、という言葉は飲み込んで、話の先を促す。
「少なくとも、今はいねえんだろ。じゃあいいじゃねえか」
「……俺が居るからかもな」
「まーたオマエはそうひねくれたことを」
「ひねくれてないよ」
 たぶん本当だしな、と彼は続けた。
「リーブは優しいから」
「そうかあ?」
「そう」
 クラウドの呟きに呼応するように、グラスの中の氷が、小さく音を立てる。
「いつも優しいから」
「……そうかい」
 再び零された言葉に、バレットは反論も何もしなかった。いつの間にか空になっていたグラスに落とされるクラウドの目は、言葉とは裏腹に先ほどのような喜色は浮かんでいない。とっさに浮かんだ、のろけてんじゃねえよ、なんて野暮な言葉は酒と一緒に飲み下して、バレットは傍らの瓶から手酌で注ぐ。おかわりいるかと差し出したら、ん、と空のグラスが寄越された。
「明日は?」
「休み」
「そりゃよかった。飲め飲め」
 氷と酒を足して返してやる。
 だが、クラウドがグラスに口を付ける前に、聞き慣れた電子音が鳴った。二人同時に自分の携帯を見やったが、手に取ったのはクラウドだった。
「俺だ」
 出方を見ると、依頼の電話でもなんでもなく、見知った人間からの着信だったらしい。こいつがちゃんと電話に出るようになったとは、という少々ずれた感動の仕方をしながら、二人の間に置かれたスナックを摘まむ。
「——明日? まあ、うん、大丈夫だけど。一日空いてるから……解った。間に合うように行く。ああ、そうだリーブ、バレットが来てるんだが、話すか?」
 誰だ、と目線で聞くまでもなく、あっさり相手が解った。ほら、と携帯を手渡されたので、素直に受け取って耳に当てる。
「おう」
『お久しぶりです。お元気ですか?』
「おうよ、マリンの顔も見たし懐かしい声も聞いて、元気にならねえ奴がいるかってんだ」
『ははは』
 渋い、落ち着いた笑い声がスピーカーから響いた。確かにこれはあっちの方が年上に見えてもおかしくない。
『たまにはWROにもいらしてください』
「ヒマがあったらな!」
『ああそうだ、それと、明日クラウドさんお借りしますね。ちょっとお願いしたいことができたので』
「おーいいぞ、借りたら返せよ」
「おい、俺はものじゃないんだが」
 何を話してるんだと携帯返せとクラウドの手が伸ばされる。だが、酒のせいかその勢いは拙い。まあまあと宥めてかわしながら、話を続ける。
「なあリーブ」
『なんです?』
「もうちょっと踏み込んでもいいんじゃねえのか?」
『踏み込む?』
「だってよ——」
「ほら返せ、さっさと返せ」
 二の句を継ぐ前に隙を突かれ、クラウドに携帯を奪われた。何すんだよと言ったら、「話し過ぎ」と睨まれる。
「振ってきたのはお前だろうが」
「リーブが話したそうだったからだ」
「へーへー」
 そのまま話し続けるクラウドを横目に、バレットはグラスの中の酒をあおる。いつもはあまり表情を浮かべないクラウドの口元が、僅かに緩んでいることに気付いた。
「……ほんとになあ、大人になったよな、お前」
「は?」
「独り言だよ」
 わしわしと金髪をなでてやったら、「話し中だ」と怒られた。

***

「——はい、ええ、お休みのところすみませんが、よろしくお願いします」
 それじゃ、という短い言葉を最後に通話が切れた。端末をカウンターの上に置くと、リーブはそれまで眺めていたファイルを閉じる。
「ということで、明日詳細を詰めます。それでよろしいですか」
「ありがとうございます。助かります」
 リーブを近くのバーに誘い、ファイルと情報を渡してきたタークスのとりまとめ役は、相も変わらず表情の読めない顔で穏やかな謝辞を述べた。先ほどからかなり強めの酒を飲んでいるはずなのに顔色一つ変えない。本当は飲んでいないんじゃないかとさえ思える。
「ルーファウス社長には私から申し伝えておきます。明日の朝には読めるように、詳細な資料をお送りしますので」
「よろしくお願いします」
 相変わらずいつ寝ているのかよくわからない言いように、リーブは思わず苦笑した。神羅カンパニーで働いた頃から、このツォンという男の生活リズムは全く読めない。そして、それで体調を崩した様子もない。閑職から一気に忙しくなった身としては、どうやってその生活リズムを維持してきたのか参考にさせてもらいたいところだ。
 今回ツォンが持ってきた話は、主に現神羅カンパニーが受け持つ部分——『裏側』の話だった。所謂荒事だ。WROは星を立て直すために動いているから、組織がどうのとか、陰謀がどうのとか、そういった瑣末ごとには関わっていられない。もっと大きなものを目標にしているからだ。だが、星の危機は何がきっかけで起こるとも限らない。以前の危機が一人の男の狂気で引き起こされたものであったように。
 星に害をなす、あらゆるものと戦うのがWROだ。未然に防ぐことももちろんその職務に入っている。その一助になっているのが、現在の神羅カンパニーだった。今でこそ規模は縮小しているが、それでもかつての大企業が誇る情報網は侮れない。今はまだインフラが整っていないため、ほとんどの情報は散逸してしまっているが、総務部調査課のメンバーの頭の中に残っている記憶やノウハウは、データの海に漂う断片よりも有益な情報をもたらしてくれる。
 退職は死を以ってのみ——おそらく、今のように一旦解体した後のことは想定していなかった掟であっただろうが——その掟の意味がよくわかった。
「それにしても、リーブ局長。最近何か良いことでもありましたか」
 その絶対の掟の中で生きてきたルーファウスの懐刀は、何を感じ取ったのか笑みを崩さずにそう言った。
「はい?」
「我々からのお話を、よく受けてくださるなと思いまして。以前はそういうこともありませんでしたよね」
「それで何かが良いことがあったと?」
「そうとしか思えませんが。……特に、今の電話の主と」
 ウータイ産の沢庵をつついていたリーブの箸が動きを止めた。
「……もしかして、私の部屋に盗聴器でも?」
「いいえ、単なるカンです。長年の」
「どちらにしろ、厄介な特技ですね」
 自分の方に向けられる好意には疎いくせに、他の人間の機微や細かい感情の動きを逐一拾い上げる技術は、他の追随を許さない。野生的なカンを持っているメンツは他にもいるが、それを几帳面に役立てて切り札にしてくるのはツォンだけだ。
「何にせよ、ハードルが下がるのはこちらにとっても喜ばしい」
 ツォンは全く音を立てずに立ち上がると、ソツのない動きで伝票を抜き取った。
「明日はよろしくお願いします。彼にもそうお伝えください」
「ええ。ご苦労様です」
 ツォンが静かに闇へと消える。
 どこまでも隙が無い人間だと苦笑しながら、リーブは手元の酒を一気に煽った。

三度の飯が好き

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