ターニングポイント (1) / リブクラ / pixiv
スキッフに対象を運び込み、浮上を命じたところで操縦士が接近する船影を告げた。ハイウィンドだ、とイリーナに目配せをして浮上を急かす。ふわりと浮かび上がったところで、目端に巨大な船影が見えた。
温泉街が遠ざかっていく。だがその瞬間に、真下から銃声と怒声が聞こえた。窓ガラスから見下ろすと、右腕の銃を振りかざし、ガタイの良い男が何やら叫んでいる。
「落とされちゃ困るな、と」
レノはスキッフの床に転がした男を文字通り首根っこをつかんで立たせると、扉まで引きずっていった。そして、ぎりぎり落ちない程度に乗り出させると、ローター音に負けないように声を張る。
「撃てば当たっちまうぞ、と! コイツが落ちちまってもいいのかなァ!」
男の顔が悔しそうに歪み、銃が下ろされた。それを鼻で笑うと、全く力の入っていない体をまた引きずって、床に放った。
スキッフが勢いに乗る。だが、もう一つの駆動音もまたついてきているのを、レノの耳は捉えていた。操縦士もレーダーに残り続ける船影に気づいたのか、レノの方を振り向く。
「レノさん、追ってきますよ。どうします?」
「手出しできねえから心配すんな、と。――イリーナ、会社に連絡入れろ。任務完了、おまけが付いてくるってな」
「了解」
機内の無線を手際よく操作して連絡を入れるイリーナを後目に、レノは床に転がしておいた男を――クラウドを見下ろした。
機体の揺れに持って行かれないように足で踏みつけられているにもかかわらず、クラウドは一言も文句を言わない。文句どころか、自分が今どんな状況に置かれているのかさえ解っていないだろう。
(……これが、ねえ)
適当に蹴りつけながら、レノは雑音に紛れるほどに小さな溜息を漏らした。
クラウドの様子は、神羅カンパニーをあれだけ引っ掻き回した一行のリーダーだとはとても思えなかった。虚ろに開いた目はどこを見ているのかも定かではない。だらしなく開けられた口からは、飲み込みきれなかった涎が零れている。明らかに意志疎通は不可能と解る廃人だ。
――ミディールにいた医者は魔晄中毒だと言っていた。高濃度のライフストリームに、長い時間晒されたせいだと。古代種の知識という物は、かくもたやすく人を壊せるものなのだろうか。
足の先で、力の入っていない体を転がしていたら、イリーナが無線機を壁に戻した。連絡が終わったらしい。
「ミッドガル圏内に入ったら迎撃するそうです」
「おう」
「……どうしちゃったんですか」
その言葉は、レノと同じ物を見て言っているものだった。
レノは肩を竦める。
「ドクターの話聞いとけよ、と。魔晄中毒だ」
「魔晄中毒って、ここまでなるもんなんですか?」
「知らないぞ、と」
「ですよね」
魔晄中毒になった絶対数さえ少ないというのに、さらに生き残った人間となると恐ろしく稀だ。もしかしたらクラウドが初めてかもしれないとなると、宝条が率先して捕獲に乗ってきたのも頷ける。しかも、セフィロスコピーの唯一の成功作とくれば、宝条にとっては喉から手が出るほど欲しい検体だろう。
――一体何をするのかは、想像もしたくないが。
「宝条博士に引き渡すんですよね」
「それが命令だからな、と」
「……どうなっちゃうんですかね」
「あのマッドが、実験以外のことすると思うか」
「そりゃそうですけど、その後ですよ、先輩。実験したその後、どうなっちゃうんですかね」
イリーナの瞳は、ぴくりとも動かないクラウドにまっすぐ向けられている。それを見て、レノはようやく、彼女がタークスに入ってからほとんどずっとクラウド一行を追いかけてきたことを思い出した。そして、神羅の暗部を知っていることも。
「……知らねえよ、と。ま、貴重なサンプルだから、殺すようなことはしねえだろ」
レノがそう答えた瞬間、新たに二つのローター音が聞こえてきた。いつの間にか空は薄暗い。慣れ親しんだミッドガルの空に入ったのだ。コックピットのフロントガラスからは、フォグランプをセンサーに、そしてリフトを空対空ミサイルと機銃に換装したスキッフが向かってくるのが見えた。
「迎撃機ですね」
イリーナの呟きに答えるように、二機は猛然と彼らの両脇をすり抜ける。
『後は俺たちに任してください』
『ハイウィンドを落とすのは気が引けますがね!』
「できれば追っ払うだけにしてくれや。また使いたいしな、と」
『了解』
『Fox3!!』
威勢のいい無線の後、後方がにわかに騒がしくなる。だが二人は振り返ることなく、一人は眼前に迫る神羅ビルを、一人は床の上に転がる対象を、じっと見つめ続けていた。
***
クラウド・ストライフの確保命令が下ったのは、大空洞から帰還するそのまさに最中だった。混乱の中、何やら珍しく興奮する宝条と、その話を聞いているルーファウスが、その場に居合わせたタークス全員に下したのが、その命令だった。
セフィロスコピー唯一の成功作。メテオが喚ばれた要因。クラウド一行に対する足枷。そして最終的には、セフィロスを倒すための足がかりとして、できれば生きたままで確保すること。
――生きたままではあったけれど、ほとんど死んでるようなものじゃない。
オフィスの調子が悪いコーヒーメーカーを睨みながら、イリーナはそう心中で吐き捨てた。
スキッフから下ろし、宝条が待つ研究室――神羅ビルの68階まで運ぶ間、クラウドは一言も意味のある言葉をしゃべらなかった。抵抗もしなかった。イリーナやレノのことすら見なかった。唯一意味のある言葉を言ったのは、喜色満面で出てきた宝条を見たときだけだ。
「……やだ……」
明確な恐怖を浮かべて、クラウドはそう絞り出した。だがそれも、宝条を喜ばせる一因にしかならなかった。
「ほぉ、覚えているのかね? 私のことを?」
「やだ……イヤだ……じっけん、は、……イヤだ……!!」
「なあにそのうち楽しくなる! 私はもう楽しいぞ! さあ、何から始めるかね? 採血? それとも脳波かな? 切開も良いな! ヒーッヒヒヒ!」
哄笑と白衣の群に押し流される直前に垣間見たその顔が、見送るイリーナとレノに向かって伸ばされた手が――そして血を吐かんばかりに叫ばれた言葉が、いまでもこびりついて離れない。
(ほんとになにも解らなくなっちゃったのね)
――助けてなんて、言う相手が違うでしょうに。
なぜこんなにも苛立つのか自分でも解らないままに、イリーナは壁に背中を預け天井を見上げる。
コーヒーが沸くまで、イリーナはずっと、切れかけた蛍光灯を睨んでいた。