ターニングポイント (2) / リブクラ / pixiv
やる気を出した宝条は恐ろしく仕事が速い。速い上に休まない。
若い研究員ですら仮眠を取るというのに、中年も良いところのはずの宝条は、サンプルを捕獲してからと言うもの昼も夜もなく働いている。実際、各フロアの電力使用量を見てみると、67階と68階がここ三日でずば抜けている。昼夜問わずあの設備を回して、捕獲してきたサンプルを徹底的に解析しているのだ。
サンプル名は、クラウド・ストライフ。かつて失敗作の烙印を押された、唯一の成功作。一度宝条の手元を離れたが、再び捕獲されてしまった哀れな実験体の一人――そして、星を救うため行動していた一行のリーダーだった人間。
ビーカーの中で、糸が切れた人形のように横たわっている彼は、宝条が思いついた「殺さない程度にありとあらゆる可能性を追求する」ための実験で、最早抜け殻のようになっていた。ここにきた時から既に廃人だったが、もう何も見ていないし、何も聞こえていない。イリーナの姿を見ても「助けて」なんて言わない、宝条の姿を見ても恐がれない、ただの空っぽの人形に。
布切れ一枚上にかけられただけの状態で呼吸するだけのクラウドを見ていたイリーナは、近くの研究室で何やら一心不乱に端末に打ち込んでいる宝条にちらりと目線を遣った。疲労も何も感じさせない活き活きとした姿に、もしかしたらクラウドの生気を吸い取っているんじゃないかとさえ錯覚する。あそこに籠もり始めて数時間が経つが、休憩する素振りすら見せない様子に、よく飽きないものだわと感嘆混じりのため息が出た。
「……あんたもそう思うでしょ」
虚ろを見つめる蒼い瞳に、屈んでそう語りかける。答えなんて返ってこないから、半ば独り言のようなものだ。反論もしないから、宝条が篭もっている間はいい話し相手だった。
「おっそろしい体力よね。あたしの二倍は年いってるのよ、あの人」
「……」
「ろくに寝ないし。だからあんな不健康そうな顔してるのかしらね」
「……」
「あんたも十分不健康そうな顔してるけど、あいつほどじゃないわ」
「……」
瞳すら動かないクラウドにまた溜め息を落として、イリーナは腰を上げた。万が一暴走しても良いように、そしていつクラウドの仲間たちが助けに来ても良いようにと警護をしているが、前者の可能性は恐らく、ない。後者の可能性も、空の警備、陸の警備ともに増強されたため、しばらくはないと言っていいだろう。
実際、ハイウィンドはミッドガル近辺の空域にはいない。巡航している空軍からは、コレル近辺で目撃したという情報が上がっている。神羅が同時並行で進めている、ヒュージマテリア回収作戦に絡んでくるつもりなのかもしれない。
だが、今回の回収作戦はタークスの仕事ではない。タークスはタークスの仕事をするだけだ。そして今のタークスの仕事は、この抜け殻の監視と護衛だった。
「――できた! できたぞ!」
宝条が普段の彼からは想像もつかないほどせわしなく研究室から出てきたのは、彼女の護衛シフトが終わる一時間ほど前になった頃合いだった。一体何ができたのかと聞く前に、宝条の楽しげな声が振りまかれる。
「これで全てうまくいく! 不安定な自我の制御、反抗の抑止、組織への服従、全てクリアした! ヒーッヒヒヒ!!」
「博士――」
「なに、聞きたいかね? そうだろうそうだろう、なんせ画期的かつ新規性に溢れる私の新たな研究成果だ! 聞きたくないわけがない!!」
ビーカー前に設置された巨大な操作パネルにむしゃぶりつくように操作しながら、宝条は続ける。細く骨ばった指が尋常ではない正確さを以て操作される度、ビーカーの中の床が動き、クラウドの体を起用に中央へと運ぶ。
「知っての通り、この失敗作には何もない。性格、人格、自我全てが、ライフストリームに壊された。ついでに私も地均ししてやった。いわばまっさらな、漂白された状態だ」
「……」
「と、いうことはだ、使い物にするには何をすればいい? 命令を聞き、状況を判断し、そして実行するには何が必要だ? ――そう、自我だ」
自我、とイリーナは口の中で繰り返す。
宝条が勢いよくまくし立てる言葉は、たまに専門的な用語が混じってよくわからないが、それでも辛うじて彼がやろうとしていることは解った。
「つまり、新しい人格をつくる……?」
「噛み砕いて言うとその通りだ。フム、タークスの割にはなかなか素質があるようだな?」
滅相もないと目をそらし、イリーナはビーカーの中に目線を戻した。
ビーカーの中央に転がる身体は、宝条博士が最後に押したボタンで開いた穴から階下に落ちてていく。どぽん、と言う水の音がしたから、恐らく下のビーカーにはよくわからない液体が満たされているのだろう。
――そして、その液体から出る頃には、宝条の言うとおりになっているに違いない。
喜びを隠しきれない様子で研究室に戻る宝条を見送ると、イリーナは再び胸の中に沸いてきた理由の解らない苛立ちに、手すりをぎりりと握りしめた。
***
タークス・イリーナから67階のサンプル室に呼び出しがかかったのは、クラウドが捕獲されてからおおよそ一週間、ヒュージマテリア回収作戦のただ中でのことだった。内部を探るため、回収作戦に積極的にケット・シーを参加させなかったリーブは、これ幸いとばかりにハイウィンドで作戦会議をしていた仲間達に告げると、ケット・シーとのリンクを切った。
イリーナからのメールには、67階のサンプル室に来てほしいことと、インスパイアしていないケットのぬいぐるみを借りたいので持ってきてほしいと言った内容が書かれていた。恐らく67階にクラウドがいるのだろうが、ケットのぬいぐるみを持って来いというその理由が解らない。だが、折角のチャンスをふいにすることもないだろうと、言われたとおり三号機としてオフィスの片隅に用意していたケットを抱える。
(……随分侘しいなあ)
メテオが呼ばれてからというもの、ミッドガルからはずいぶん人が減った。それは社員も例外ではなく、廊下やエレベーターですれ違う人数は、それまでの半分以下になっている。散発的に寄越される会釈を返しながら目的の階に着くと、幹部用のカードキーで扉を開けた。
(確か、サンプル室の奥やったっけ)
ジェノバ脱走事件の際には阿鼻叫喚だったと聞く廊下を歩きながら、指示された場所に向かった。細い廊下を抜け、壊れたままの何かの格納容器をおっかなびっくり通り過ぎる。
様々な器具が入っているであろう段ボールの群の奥に、目印の巨大なビーカーを見つけたリーブはそこで足を止めた。
ビーカーの中に、何かがいる。きれいに磨き上げられた表面に周りの光が反射しているのと、中もほんのり明るいせいで、中に入っている物が何なのかよく見えないが、何かがいることだけは解る。
(いや――人か、あれは)
リーブはゆっくりビーカーに近づいた。
そして、その中のものに――毛布にくるまって、じっとこちらを見ている蒼い目に気がつき、思わず息を呑んだ。顔の上半分しか見えていないが、ケット・シーのカメラ越しでも鮮やかだった金髪に魔晄の瞳を、見間違えるはずがない。
「……クラウドさん、ですか?」
答えが返ってくるはずがないと思いながらも、リーブはビーカーの中のクラウドにひそひそと声をかける。
「あの、わかります? 大丈夫ですか? ――クラウドさん?」
ぱちり、と瞬きが一度。
これは反応なのか、それとも生理現象なのかと頭を捻ったところで、リーブはようやく、クラウドの目が今までと違ってちゃんとこちらを「見ている」ことにはたと思い当たった。
そして、その目が僅かに笑っていることにも。
「クラウドさん、もしかして――」
「クラウド、起きてる?」
だが、リーブが二の句を継ぐ前に、若々しい女性の声が割り込んできた。声のした方を見てみれば、研究室内のエレベーターから、スーツ姿の女性が軽やかに下りてくる。イリーナだ。彼女はリーブの姿を認めると、穏やかな色を浮かべた表情を、仕事寄りのそれに変え、ぺこりと頭を下げた。
「統括、来てくださったんですね。突然すみませんでした」
「いいえ、とんでもない」
「早速なんですが、ケット・シーをお借りしても良いですか? あ、使うのは私じゃなくて、あの子なんですけど」
あの子――と彼女が目線で指したのは、ビーカーの中のクラウドだ。彼は相変わらず何も言わないが、しっかりとイリーナの方を見ている。
「……あの子? ですか?」
「はい」
お借りしますねとケットがリーブの腕の中から抱き上げられた。
イリーナは慣れた手つきでビーカーのパネルを操作して扉を開けると中に入り、膝をついてクラウドにケットを差し出す。
毛布にくるまったクラウドは、横になったままそれを自ら手を伸ばして受け取った。そして、実に嬉しそうな顔を浮かべてぎゅっと抱き込む。
「ね、かわいいでしょ」
「うん」
――治った。治っている。
リーブは呆然と、ビーカーの中に入ることすらも忘れて立ち尽くしていた。あれだけ酷かった、何も解らなくなっていたクラウドが、笑顔すら浮かべてイリーナと話している。
奇跡でも起こったのだろうかとその様子を見ていたら、クラウドの目がまたリーブを捉えた。傍らに膝をついているイリーナと交互に見、頭の上にいくつも疑問符を浮かべている。
どうしたものかと迷っていたら、気づいたイリーナが手招きしてくれた。
「統括、どうぞ。入り口は閉めなくても大丈夫なので」
「あ、ええ。お邪魔しますよ」
おそるおそるビーカーの中に入り、招かれるままクラウドに近づき、屈む。
ケットを抱き込んだクラウドは、星の色をした瞳でリーブを見上げていた。混乱する様子もおびえる様子もない。あるのはただ純粋な好奇心だ。
ケットに押しつけられた口がもごもごと動く。
「……誰?」
「リーブです。初めまして」
「リーブ……さん? おじさん?」
途端にイリーナがわたわたと慌てた。
「こらクラウド、初対面の人にそれはないでしょ。しかもケットを貸してくれてるのよ」
「姉さん、だって、年上だから」
「ははは、良いですよおじさんで。……よろしくお願いしますね、クラウドさん」
衝動と言うには優しすぎる欲求に誘われるがまま、リーブはクラウドの頭を撫でる。
金糸のような癖っ毛を撫でてやりながら、リーブは喜びと同時に、無視のできない嫌な予感が、胸中に広がるのを感じていた。