ターニングポイント (3) / リブクラ / pixiv
クラウドの家は、大きなガラスの入れ物だ。中から外が、外から中が見える部屋ではあるが、クラウドはそれが好きだった。
外にはいろんな箱が置いてあり、父親と同じ白い服を着た人たちが、時には大急ぎで、時にはゆっくりと紙とにらめっこをしながら箱の間を通り過ぎていく。毛布にくるまったまま目で追いかけると、気づいてくれるときもあるし、気づかないときもある。気づいてくれるときは話しかけてくれたり、手を振ってくれたりする。それが好きだった。
クラウドは、いつからここにいるのかわからないし、覚えていなかった。もしかしたら、最初からここにいるのかもしれなかった。だが、クラウドにはそんなことはどうでもいいことだ。クラウドには、みんながいればよかった。
クラウドはみんなが好きだった。いつもそばにいてくれるのは姉だった。たまに怒るし、機嫌が悪いときもあるが、父親がいないときはいつもいてくれた。具合が悪いときも手を握ってくれた。二人の兄も好きだ。いる時間は少ないが、その分来てくれたときは楽しい話を聞かせてくれた。背の高い兄は、顔は怖くて言葉も少ないがとても優しいし、赤毛の兄はお調子者で話がうまかった。叔父はたまにしか来なかったが、一番優しく撫でてくれるから好きだった。撫でられていると安心するし、ずっとそばにいてほしいと思った。お仕事が忙しいからとすぐ帰ってしまうのは悲しかったが、代わりにくれたケットで我慢できた。
クラウドが一番好きなのは父親だった。父親によくできたと褒められると、寂しい気持ちもどこかに行くくらい嬉しかった。もっともっと褒めてほしくなるし、褒めてもらえるなら苦い薬も冷たくて痛い機械も我慢できた。少し離れた窓から、難しそうな顔をして仕事をしているのも格好良かった。クラウドが会ったことがない、もう一人の優秀な兄の話を聞くのも好きだった。弟だからと、比べられるのは少し嫌だったが、それぐらい強くなりなさい、と頭を撫でられるのは大好きだったし、期待されていると思うと誇らしかった。
「だから、俺、父さんに言われたことは、全部頑張るよ」
久しぶりに来てくれた叔父にそう言ったら、彼は穏やかで優しい、クラウドの大好きな声で「そうですか」と言った。
「偉いですね」
「そうかな」
「ええ、とても。お父さんが聞いたら、きっと喜ぶと思います」
いらっしゃい、と誘われるがまま、クラウドは叔父の胡座の上に座った。広くて大きな胸板に頭を預けていたら、ゆっくりと落ち着いた拍を刻む心臓の音がじわじわと眠気を引き出してくる。
(……もう少し、おきてたいのに)
叔父から伝わってくる体温も、そして緩やかに抱きしめられているのも手伝って、起きて話をしたいという気持ちとは裏腹に、クラウドの意識は夢の中にゆっくりと沈んでいった。
***
クラウドが眠ってしまったこと、そして身動きがとれなくなってしまったことに気づいたのは、ビーカーの中に入ってだいぶ時間が経った後だった。
定時は過ぎているから、リーブが出席する予定の会議や仕事はもうないが、ハイウィンドにいる一行の様子も気になるし、早めに戻らなければならない。だが、無防備に身体を預け、穏やかに寝息をたてている青年のおかげで、立ち上がることができない。起こすのが気が引ける程度には、実に気持ちよさそうに眠っている。
(しゃあないなあ)
ふうと溜息をつき、そのふわふわした頭を撫でる。
リーブの胸板に頭を預け、すうすうと眠るクラウドは、とても幸せそうだった。どんな夢を見ているのか、かすかに笑っているようにさえ見える。
——予想とずいぶん違う、と思った。
当初、セフィロスコピー計画なのだから、植え付けられた自我も今のセフィロスに準じた尊大で自信に満ちあふれたものになるのではないかと考えていたが、どうやら宝条はここに来てまで新たな可能性を追求しているらしい。宝条が植え付けたという人格は無邪気、素直そのもので、宝条やリーブ、そしてタークス達を家族と信じて疑わない。自分がどうしてこんな所にいるのかさえ、疑問に思わない。与えられるものを全て喜び、そして受け入れる。
素直な方が御しやすいのか、それとも家族の情まで利用しようと言うのか。もしくはその両方か。宝条の真意など読めたことはないし、推し量ろうと思ったこともないが、この子を一体どうしようとしているのか、何にしようとしているのか、リーブは恐ろしくて仕方がなかった。
そして何よりも、このままでいたほうが幸せなのではないか、と思ってしまう自分が怖かった。自分が何者か解らずに苦悩し、人と星に全てを壊されて廃人として生きるよりは、この小さな世界の中で、偽りであっても優しい家族に囲まれて生きていた方が、何倍も幸せなのではないか——クラウドの様子を見ていると、そう考えてしまう。
——その思考すら仕組んだことだとしたら、宝条は相当な化け物だ。
「……んん」
思考の海に沈んでいたら、不意に腕の中のクラウドが身じろいだ。どうやら知らず知らずのうちに力がこもっていて、寝苦しくなったらしい。慌てて緩めると、彼はまた幸せな眠りの中へと戻っていく。
「……ほんま、しゃあないなあ」
リーブは苦笑いをその口許に上らせる。動けないなら、自分もしばらく休憩だ。ハイウィンドのケット・シーとはリンクしているから、何かあったらあっちから伝えてくるだろう。
ビーカーに向けられた、いくつもの監視カメラの視線を僅かに反らしながら、リーブはガラスの壁に背中を預け、目をつむった。