レノクラ / pixiv
タークスにとって、オフの日というものは戦ってもぎ取るものだ。もちろん相手は直属の上司と、さらにその上の雇用主である。少し長めの休みを取るときは、それはもう壮絶な戦いが繰り広げられる。今回は二日だけだから、いつもより楽だろうなんて考えは通用しない。休みに値する働きが常に求められるのである。
ここ一週間、普段は滅多にしない残業をし、詰まっていた案件を片づけて、両手に成果を抱え上にアピールして、最終的にレノがもぎ取ったのは想定通りの二日のオフだった。定時きっかりにオフィスを飛び出し、デイトナを走らせジュノンへ向かうと、そのまま連絡船に乗り海を渡ること数時間、日が沈んだあたりでコスタに着いた。我ながら最高のフットワークに感心しながら、夜でもなお熱気に満ちるリゾート地を走る。たまに飛び出してくる酔っ払いを轢かないように速度は落としながらも、はやる心はその先へ先へ、急かしてくるからたちが悪い。
今夜の目的地は、かつてプレジデント神羅が所有していた別荘だ。今はもちろん他人の手に渡っている。そしてレノが会いに行くのは、現在の所有者だった。
デイトナは別荘前のスペースに停めて、合い鍵を使って扉を開け中に入り、電気をつけないまま足音を殺して寝室へ向かう。波音がちょうどいいカモフラージュだ。
すう、すうと規則正しく穏やかに上下する塊を寝台の上に見つけ、レノは思わず舌なめずりした。無防備な獲物だ。鼓動すら抑えようと息を潜め、被っている布団に手を伸ばす。
瞬間、世界が逆転した。
思いも寄らない速度と力で手首を捕まれ引き倒され、はっと気がついたら、レノは獲物に——先程まで獲物だったものにのしかかられ、喉元にナイフまで突きつけられていた。もがけないようにとでも言うのだろうか、腰のあたりをシャツからすらりと伸びた太ももで容赦なく締め付けられ、捕まれている手首はぎしぎしと軋みそうなほどだ。
自分を見下ろすその双眸や表情には、驚くほどに生気がなかった。昼間の猫のように細くなった瞳孔が、碧に緑を散らした虹彩に浮かび、ただぼんやりとレノを見下ろしている。
(寝てんなこりゃ)
神羅の迎撃システムより上だなと、声も出せずに舌を巻いていたら、すん、とその形の良い鼻が動いた。その瞬間に、完全に寝ぼけていた瞳に、ふっと光が戻る。
「……レノ?」
「そうだぞ、と。すっげーそそられる体勢なんだが、そろそろ離してくんないと手がいっちまいそうだぞ、と」
そこまで言ってようやく手首が解放され、喉元の刃も退けられた。少し食い込んでいたらしく、ちょっと痛いと訴えたら、相手は馬乗りになったまま、いきなり覆い被さってきた。
「おっ? やけに乗り気だな、と」
「違う。マテリア」
もそもそと手を伸ばしているのはどうやらナイトテーブルらしい。離れる間際にキスでもしてやろうかと思ったら、むに、と人差し指が唇に押しつけられた。同時に、淡く柔らかな光がレノの首元に広がった。強く押さえつけられていた右手にも、優しい光がふわりと被り、痛みが引いていく。
「後少しで死ぬとこだったぞ、と。物騒なもん置いてんじゃねえよ」
「護身用。それに声をかけないからだ」
「お。声出さなくても気付いてくれたのは、もしかすると愛されちゃってるからかな、と」
「タバコ臭かった」
手のひらの上のマテリアをまたナイトテーブルに戻すと、退くと思われたクラウドは、再びレノの胸の上にもたれかかった。
それまでわずかに不機嫌さが漂っていた表情から険が取れる。
「……久しぶり」
「おう、久しぶり」
「よく休みが取れたな」
「頑張ったんだぞ、と。ご褒美ちょーだい」
レノは、ん、と己の唇を指す。クラウドはしばらく悩んでいるような素振りを見せたが、にっと口元を緩めると、レノの顔を両手で包み込んできた。
最初は軽く、徐々に深く。互いの口内を貪るうちに、どうしようもないほど熱が籠もっていく。
「……っは、ふ、……あんた、旺盛だな」
「そりゃあ、殺される寸前だったからな、と。最高のシチュエーションだ」
「変態」
「おまえ限定でな」
だからもっと楽しもうぜなんて付け加えたら、クラウドの口元に蠱惑的な笑みが浮かんだ。
***
リゾートの朝は遅い。コスタの朝は特に遅く、九時前に外を歩いている人間は、店の人間かジョギングをする健康志向の高い金持ちだ。
レノが目を覚ましたのも、例によって昼間際だった。コスタで夜を過ごす日はたいてい昼前に起きる。そして、レノの隣ですうすうと穏やかに寝ているクラウドはもっと遅い。
レノはクラウドを起こさないようにベッドを抜け出すと、脱ぎ散らかした服を拾い集めてバスケットに放り込んでから、ストックしてある自分の服をクローゼットから出す。もちろんスーツではなく私服だ。こんな休みの日にまでスーツを着ていたら気が滅入ってしまう。
身だしなみを整えたら、レノはそのままキッチンへ向かった。冷蔵庫や棚を適当に漁り、頼んでおいた食料がちゃんとストックされているのを確認すると、そこから適当に選んでブランチの準備だ。
パスタを茹でている間にサラダを作り、オリーブオイルでガーリックと唐辛子、そしてシーフードと白ワインを入れ軽く炒めたあと、茹で上がったパスタをフライパンに投入する。香ばしさを全体に絡めるように、鼻歌交じりにフライパンを揺すっていたら、匂いにつられたのかクラウドがようやく起きてきた。
「おはよう……」
「おう、おはよう。そろそろできるから、準備してくれねえかな」
「了解」
「おっと、なんつー格好してんだよ。せめて下穿いてくれ、と」
「面倒くさかった」
上はワイシャツ、下はボクサーというなかなか扇情的な格好でキッチンに入ってきたクラウドは、一言「腹減った」と率直な単語を漏らして、食器棚に手を伸ばした。僅かに見える鎖骨から、昨日散々付けた痕が覗き、こいつはわざとやってるんじゃないのかとよからぬ思いが頭を巡る。
「皿何枚?」
「でっかいの二枚と小さいの二枚。でっかいのはこっちだぞ、と」
「わかった」
リクエスト通りの皿が傍らのスペースに置かれたあと、ついでに持って行こうと言うのか、引き出しを漁る音がした。
「何飲むんだ」
「白ワイン」
「朝から?」
「どうせ用事はねえんだろ、と。夕方になりゃ抜けるだろうし、大丈夫だろ」
すると、冷蔵庫に頭を突っ込んでいたクラウドがひょこっと顔を上げた。
「夕方?」
「せっかくだしデートしようぜ。コスタのイイトコ、案内してやる」
「ふうん……期待しておく」
ワインのボトルとコルク抜き、皿二枚、そしてそれぞれのフォークとグラスを器用に持ったクラウドは、脚で冷蔵庫の扉を閉めると食卓に向かった。レノも手早くフライパンの中身を皿に移して、配膳し終わったクラウドをもう一度呼ぶ。
「サラダ持ってってくれ、と」
「了解」
クラウドにボウルを持たせると、自分は最高のタイミングで出来上がったパスタを持った。
「……あんたってさ、見かけによらず料理うまいよな」
「お前さんは見かけによらず料理できねえよな、と」
「うるさい」
できないものはできないんだからしょうがないだろと唇を尖らせたクラウドだったが、食欲には勝てなかったらしい。目の前に置いた途端に目が輝く。
「ほら、栓抜き」
「やってくんないのかよ、と」
「主に飲むのはあんただろ」
差し出されたコルク抜きを受け取ると、レノは手際よくボトルを開け、二人分のグラスに注ぐ。乾杯、と軽く持ち上げて一口飲むと、波の音を聞きながら、少しばかり遅い朝食の始まりだ。
「夕方だよな」
「デートが? そうだぞ、と」
「それまで何するんだ」
「きまってんだろ。普段会えない二人がリゾートの別荘で会ってんだ。会えなかった分のヤラしいこと、たくさんしようぜ、と」
次の瞬間、向こう臑を割と容赦なく蹴られたが、目線をそらして黙々と食べるクラウドの両耳は、わかりやすいほど真っ赤になっていた。
***
好きなことをしていると、時間という物はあっという間に過ぎるものだ。思う存分溺れ、貪った後、二人がシャワーを終えて着替えたら、太陽の光はオレンジ色へ変わり、ぎらぎらとした強さを和らげている頃合いだった。
「よーし行くぞ、と。ちゃんと掴まれよ」
「二台で行けばいいだろ」
「それはただのツーリングだぞ、と。オレはおまえとスキンシップしたいの」
なぜか文句を言うクラウドを無理矢理デイトナの後ろに乗せ、腕を腹に回させるとエンジンを噴かす。太陽の角度をちらりと確認して、ちょうど良い時間だと笑みをこぼして、目的地へと向かった。
コスタの海岸線はとても走り心地がいい。何度走っても飽きないし気持ちがいいのだ。心なしかデイトナのエンジン音も調子が良いように聞こえてくる。
「大丈夫かよ、と!!」
デイトナの音に負けないように、レノは声を張り上げる。答える声は残念ながらなかったが、代わりに腹に巻き付く腕がきゅっときつくなった。
普段あれだけダイナミックにブン回しているエッジの配達屋は、レノの後ろにしがみついていた。荷物や人を載せることには慣れていても、誰かの後ろに乗るのは慣れていないようで、体重移動もぎこちない。もしかしたら自分が初めての人間じゃないかと思うと、この久々のデートという状況に更に刺激的なスパイスが加わって、嫌でも口角が上がるのが解る。
海のきらめきがコスタの風に乗り、どんどん後ろへ流れていく。
「――いつかこいつで超イイトコ行こうぜ、と」
無骨なフレームのバイクを指差しそう言ったら、隣で目を輝かせていた金髪の少年は「無理すんなよ」と結構失礼なことを言った。
「無理って、オレ結構高給取りだぞ、と。キャッシュで買えるわこれくらい」
「本当かよ」
「本当だっつの。年上の言うことくらいちゃんと信じろよ、と」
うりうりー、とそのふわふわと自由に跳ねるチョコボのような髪をかき回してやったら、やめろよ、と抗議された。だが振り払うほどではないらしい。レノの手が離れた途端、唇を尖らせながら更に奔放になった髪を整える少年兵は、だがほとんど消え入りそうな声で言った。
「……期待してる」
「お、マジ? いいの? じゃあ来月行くぞ、と」
「来月? やだよ、任務あるから」
「そんな長くかかんねえだろ。戻ってきたらすぐ行くぞ、と」
「……しょうがないなあ」
それまでバイクを見つめていた少年兵の瞳が、高いところにあるレノを見上げる。夏の爽やかな空気をぎゅっと詰めたようなその瞳は、純粋な好意を滲ませて、太陽の光を受けきらきらと輝いている。
「じゃあ約束」
「おう」
レノが顔を近づけると、少年兵もまた誘われるように目を閉じる。
——だが、その約束が果たされることはなかった。
デイトナを停めスタンドを下ろすと、レノは未だしがみついたままのクラウドの手をぽんぽんと叩く。
「着いたぞ、と」
「ここ?」
「そ、ここ」
レノがデイトナを停めたのは、コスタ・デル・ソルのリゾートからだいぶ離れた、小高い丘のふもとだ。歩いては来れない場所にあるせいか、ほとんど人はいない。穏やかに寄せては引いていく波の音だけが聞こえる。
「上、いくぞ、と」
それなりの傾斜を登り始めると、クラウドは素直についてくる。さほどの高さでもないから、すぐにてっぺんに着いた。
「——わ……」
クラウドの短い、しかし珍しく十分に驚きのこもった声が後ろから聞こえてきて、レノは満足げに笑う。
彼らの視界は真紅だった。沈む太陽を飲み込み真っ赤に染まる海が一面、すべての視界を埋めている。炎とも血とも違う、どこか柔らかだが鮮やかな紅だ。
クラウドの眼はその紅を反射して鮮やかに輝いていた。あの時の目と一緒だ、とレノは思った。無邪気そのものの純粋な、もうレノには持てない光を湛えた瞳だ。
「全然知らなかった」
「イイトコだろ。人もいねぇし、景色も最高だぞ、と」
「そうだな」
星の色を湛えた瞳がレノを見る。
「あんたの色と同じだから、寂しくなったらここに来るよ」
「……お前ほんと、ほんっと最高だわ……!!」
レノは顔を覆って唸ることしかできなかった。
どうしてこいつは、ここまで目眩がするほど嬉しいことを言ってくれるのだろうか。しかも無自覚ときているからタチが悪い。
レノはたまらずクラウドの手を掴む。
「あー、もう、帰るぞ、と」
「え、何で」
「エロいことしたいからに決まってんだろ」
「まだもうちょっと見たい」
「明日な、明日」
適当な事を言って、レノはクラウドをぐいぐい引っ張る。しばらく抵抗していたクラウドだったが、呆れたようなため息が一つ聞こえてきた後は素直になった。デイトナに乗り込み、クラウドの手が腹に回されたのを確認すると、エンジンをかける。
「……レノ」
「ん?」
腹の底に響くような駆動音に紛れて名前が呼ばれたので、レノは後ろの同乗者を振り返る。だが、その顔はレノの背中に押し付けられているため、視界には波風に揺れる金髪しか入ってこない。
「なんだよ、と」
「約束、覚えててくれて、ありがとう」
「——ッほんっともう!! さっさと帰るぞ、と!!」
後輪が大地を噛む。
恋人たちを乗せた鋼鉄の機械は、夜に変わりつつある空気を切り裂き、華やかな夏の海岸へと一路向かっていった。