ターニングポイント (6) / リブクラ / pixiv ※暴力表現あり
神羅カンパニーの資料室は、業務に関わるものであればそれなりに豊富だ。初期にリーブが集めたものもあるし、新しい部署ができる度に増えていったものもある。
リーブは相変わらず資料室の隅で管を巻いていた市長の顔を拝んでから、目的の本を探して部屋の一つに入った。今回の目当ては精神や心理に関わる内容の資料だ。元から持っている能力のため、それなりに土台はあるつもりではあったが、更に専門的な知識となると話は別である。
何が書いてあるのかよく解らない資料や、前に読んだことがある資料の中からひょいひょいと抜き取っていく。時間を多く割けないから深く読み込めるとも思えないが、的を射ていそうな資料であれば迷わず手をかけた。
資料を集めている理由は勿論クラウドの為だ。宝条に植え付けられた偽の自我を取り除いて、本来の自分を取り戻す方法がないか、リーブはリーブでできることを探して動いているのだった。
——あの作戦会議の中で、リーブはクラウドの状態をありのまま仲間達に伝えた。宝条のことを父親だと思っていること、タークスの人間たちを姉や兄だと思っていること。そして、彼らのことを慕い、家族として愛し、幸せそうな毎日を送っていることを、包み隠さず伝えた。勿論その後、仲間たちの間でもしばらく話が割れた。幸せならそのままでいいのではないか、治らないかもしれない状態に戻すよりは、家族に囲まれて過ごした方が幸せなのではないか、そういった話も最初のうちは上がっていた。
だが、最終的に、彼らはクラウドを奪還すること、そして元に戻してやることを決めた。そしてリーブは、それに異を唱えることはしなかった。一番よく知っている仲間たちがそうと決めたのだ。そしてその決定には、ケット・シーの賛成もあった。自分の分身体がそう決めたのなら、彼が反対する理由もなかった。彼ら分身体は時として、リーブの無意識を汲み取って動くからだ。しかも、リーブ本人が決めあぐねているときは特に。
このくらい集めればいいかと判断したリーブは、「持っててくださいね」と連れてきたデブモーグリに持たせる。ハイウィンドにいるものよりもだいぶ小型の、試験的に作成した個体だ。声帯となる機関を与えていないため喋ることはできないがコミュニケーションに問題はないし、力仕事が苦手なリーブのよい助手として働いてくれていた。
ぴょこぴょこ愉快な歩き方をするデブモーグリを連れ、リーブは資料室の外へ出た。部屋にこの資料を置いたら、クラウドの様子を見に行かねばならない。
クラウドの元に残してきたケットには、こっそりインスパイアして監視させているが、どうも最近の動きを見ていると住処にしているビーカーから出かけている事が多くなっていた。一時間もすればタークスを連れて戻ってくるのだが、いったい何をしているのか、そして何をされているのか、リーブは気になって仕方がなかった。戻ってきたときの様子を見るに手ひどい実験はされていないようだが、それでも何かあったのには違いない。宝条が温めていた計画が進んでいる可能性もある。
——そして今も、ケットのカメラを通して見る限りでは、ビーカーの中にクラウドはいなかった。
目を付けられないように、妨げられないようにとしてきたが、そろそろ本格的に動き出さないといけないかもしれない。
そう思ったところで、不意に隣のデブモーグリが足を止めた。何かを見つけたのだろうか、しきりにきょろきょろと周りを見渡している。
「どうかしました?」
デブモーグリは主の顔を見上げると、こくんと一回頷いた。喋れなくとも、インスパイアの力で何を考えているのかは伝わってくる。彼がその鋭敏な機械の耳で捉えていたのは、リーブがよく知る人物の声だった。
「……クラウド?」
そのほかに、なにやら複数の男達の声が混じっている。タークスでも、宝条でも、研究者達の声でもない。怯えているクラウドに対して、荒く、何かを問いつめているような声だ。
——嫌な予感がする。
「急ぎましょう。場所は解りますね」
もう一度、デブモーグリが大きく頷いた。
***
神羅ビルは増築に増築を重ねた建造物だ。当初の建設計画に大筋は沿っているとはいえ、設計の一端を担ったリーブにも知覚し得ない死角の部分がたまにある。デブモーグリが捉えたクラウドの声は、まさにその死角の部分から聞こえてきていた。
おそらくは放置されて久しいのであろう、初期に作られ、転換期に消えていった部署の倉庫。その中が、デブモーグリの示すクラウドの居場所だった。
『——だから知らないって何だよ! おまえが魔晄炉で殺したんだろうがおれの同僚を!』
『しらない……知らない、から、はなして』
『おい、こいつ本当に覚えてないんじゃないのか? もしくは人違いとか——』
『人違いなわけあるかよ!』
『いっ、た、いたい、から、やめ、——ひぎっ』
瞬間、鈍い音と悲鳴がスピーカーに混じった。悲鳴はクラウドのものだ。
(まずい)
話の内容から察するに、クラウドのことを知っている人間達がこの中にいる。すぐさまつっこんでいきたいところだが、ソルジャーが一人でも混じっていたらデブモーグリに勝ち目はない。
リーブは周囲の壁に目を走らせる。何か中身を覗けるものがないかとコード類を目で追うと、カメラの映像ケーブルらしきものが壁を走っているのを見つけた。焦燥感を抑え手を押し当て、意識を潜らせる。
リーブの予想はどちらも当たった。そのケーブルは使われなくなって久しい監視カメラの映像ケーブルであり、若干曇った機械の眼で見えた薄暗い倉庫の中には、軍服を着た複数の男達と、壁際に追い詰められうずくまっているクラウドがいた。ビーカーの中から出てきたそのままの、薄い施術衣しか身にまとっていないクラウドの顔はうつむいているためよく見えないが、それでもすっかり男達に怯えきって、萎縮してしまっていることだけははっきりと解った。
『まあ、確かに金髪は珍しいけどさ。いいのか? 勝手にやっちまって』
『いいっていいって。どうせバレねえし』
『グチャグチャにすればバレない、って!』
容赦のない蹴りが、うずくまるクラウドを掬い上げるようにして叩き込まれる。悲鳴を上げることもできなかったのか、クラウドは床に倒れ、げっ、げっ、と苦しげな咳を漏らすだけだ。
その姿を見下ろしながら、男達は淡々と、ぞっとするほどおぞましい会議を続ける。
『何する?』
『すぐ殺すのも勿体ないしな』
『シラ切り通されるのもシャクだし』
『——あ、いいこと思いついた。結構こいつ使えそうじゃね? 後ろ』
『男だろ、やだよ。オレパス』
『……おれ乗った。最初はすっげえ痛えんだってな』
クラウドを蹴った男の一人が、いまだえずいているクラウドの目の前にしゃがみ込んだ。
『あいつも痛かったんだ。それくらいやって当然だろ。犯して、犯して、そんで殺す』
『ひぅっ』
兵士の一人がクラウドの首を掴み壁に押しつけ、唯一着ていた薄い施術衣のようなものをはぎ取ろうと手をかける。
——その瞬間、リーブは己の分身の精神を文字通り乗っ取った。
ガゴン、と騒々しい音を立てて鉄の扉が開いた。
「……なんだ、こいつ——」
鍵をかけていたはずの扉が開いたことで兵士の視線が一斉に集まるが、その疑念の言葉を待たずにモーグリは踊る。場違いなほどに愛嬌のあるそのボディに収束するのは、星の力を示す緑色の光だ。
神羅の軍属である人間であれば、その光がなんであるのか、知らないわけがない。さすがは訓練された軍人というべきか、彼らはぎょっとしながらも防御態勢を取った。だが、リーブ本人の魔力を伴って炸裂する魔法は、生身で防げるほど柔なものではない。モーグリがぴょんぴょんと二度跳ねる間に、彼らは揃って固い地面に倒れていた。
建物を壊さず、かつ確実な抑止力になりうるだろうと期待してデブモーグリに装着させていたマテリアが思わぬところで役に立った形になったが、気を抜いている場合ではない。なりは小さいがそれなりに重たい体を操って、リーブは一人一人の腹や首を的確に殴打し、無力化していく。
全員が全員静かになったところでようやく、リーブは——リーブが入っていたデブモーグリは肩の力を抜き、扉の近くに身を潜めていたリーブは急いで部屋の中へと駆け込んだ。
「クラウドさん、クラウド、大丈夫ですか!?」
邪魔な身体を踏みつけ踏み越え、倒れているクラウドの前にかがみ込む。
彼は蹴られた腹を抱えるようにしてうずくまり、がたがたと震えていた。リーブが駆けつける前に殴られたのだろうか、唇は切れており痛々しい痣が頬に広がっているのも見える。だがそれ以上に、クラウドは精神状態が危ぶまれるほどに混乱し、怯えていた。その両目はどこも見ていない。いや、見ないようにしている——のかもしれない。
リーブは極力優しくクラウドの身体を抱き起こした。
「クラウド、こっちを見て。ほら、しっかり」
「……ぁ、あ、……おじさん……?」
「そうです。リーブです」
虚ろな目がようやくリーブを映した直後、は、と安堵とも驚きともつかない吐息が、薄く開かれた唇から漏れる。ややあってから、ゆるやかな弧をを描く目の縁にじわりじわりと透明な涙が溜まって、そして瞬きとともにぽろぽろとこぼれ落ちた。戻ってきた、と思ったのも束の間、ひっ、とその白い喉からひきつった音が絞り出される。
「おじ、おじさ、……おじさん、こわかった」
震え、戦慄く唇から紡ぎ出されたのは、クラウドのむき出しの心の声だった。
「すごく、こわ、こわくて、……っおれ、なにも、わるいこと、してないの、——してな、してないのに」
「……ええ、してませんよ。大丈夫」
——ああ、だめだ、と思った。
このクラウドの中に入っているのは偽物のはずなのに、リーブはどうしても甘やかしてしまう。それまでの旅の中で見えていた片鱗が、植え付けられた人格となまじ共通しているからというのもあるかもしれない。哀れみや同情ともまた違う。未だうまく名前が付けられない欲求や衝動が、じわりじわりと広がっていくのを、どうしても止められない。
未知の感情を噛み殺しながら、リーブはクラウドを抱えたまま胸ポケットの端末を取り出した。連絡先として教えられていたイリーナの番号へ掛けたら、ワンコールで繋がった。
『統括! ちょうどよかった、クラウドが』
「見つけましたよ」
『へぁ!? ほ、本当ですか!? いっいま行きます、行きますのでっ!』
タークスにしては珍しく、情緒豊かな声に苦笑しながら、リーブは倉庫の場所を伝え、ついでに人員も確保してくるように付け加える。不届き者がいましたのでね、の一言でイリーナは解ってくれたらしく、即快諾してくれた。
「お姉さんが来ますから」
だからもう大丈夫ですよと、傷に障らないように頭を撫でてやる。
クラウドはまだ震えながらも、うん、と頷きを返してくれた。
***
兵士達は、かつて爆破された魔晄炉の警備を担当していたらしい。
会話から薄々解ったことではあるが、彼らはかつての同僚や上司、後輩が、アバランチが仕掛けた爆破によって、もしくは直接殺されたことを激しく恨んでいた。今回は偶然外に出ていたクラウドを見つけ、復讐を遂げようとしたらしい。
クラウドがなぜ外に出ていたのかは、タークス達も知らなかった。今までは「出てもいい」と言われなければ決して外には出なかったのに——と、沈痛な面もちで言うのはイリーナだ。
「一緒じゃないと外には出られないよって、ずっと言ってたのに」
「今日の予定は?」
「なかったはずです。……とりあえず、今日はルード先パイと私が」
イリーナの鳶色の瞳がちらりと奥のビーカーを見た。ケットを抱えてうずくまり眠るクラウドのそばには、全身から案じている空気を醸し出しているスキンヘッドの大男が無表情で寄り添っている。ケットのカメラを通して見ていた限りでは強面の割によく懐かれていたから、任せても安心だろう。
「わかりました。宝条は?」
「知りません。……たぶん、上の研究室だと思います」
忌々しげに呟くイリーナの心中はよくわかった。リーブとイリーナがクラウドを連れてきた時、宝条はその様子を見て「すばらしい」と言ったのだ。今まで善意にしか触れてこなかったクラウドが、純粋な悪意を知り、恐怖したからだ。新たな経験を積むことで、宝条が作った自我は成長し、より強固なものとなる。
宝条は手ずからクラウドの治療をし、クラウドはその間ずっと宝条にくっついたまま離れなかった。宝条の白衣を掴んで、父親に助けを求めていた。慰められ、撫でられて、もう大丈夫だと言われるまで、ずっと。
——早く本当のクラウドを取り戻さないと、この悪夢のようにおぞましいままごとが現実になってしまう。
「では、私はこれで。何かあったら、呼んでください」
「わかりました。ありがとうございます」
「……お礼なんていらないですよ」
あなたは家族ではないのだから——と、言い掛けた言葉は自制した。嫉妬などらしくもないし、リーブの真意は知らずとも、クラウドに対して好意的な人物と今の段階で事を荒立てるのはまずい。
資料を抱えたデブモーグリを伴って、リーブは研究室を出る。
「もう一度、資料室に行きますよ。図面を探さないと」
デブモーグリの愛嬌のある顔が、リーブを見上げる。
その言わんとしている事を汲み取った彼は、視線をまっすぐ据えて言った。
「ええ、そうです。……呼びましょう、彼らを」