情動ベクトル

リブクラ / pixiv ※暴力表現あり

 局長が犬を飼っているというのは、隊員たちの間では有名な話だ。そしてその犬は四つ足ではなく、二本足で歩いて喋る犬というのもまた、有名な話だった。
 誰が広めたのか解らないが、言われて困ることはないし今のところ本人からも苦情は来ていない。だから否定も肯定も消去もせずに放置していたら、どうやら外のごくごく一部にも、同じような話が伝わっているようだ——とわかったのは、ついこの間のことだ。
 
 ——犬が出てきたらすぐ逃げろ。
 瞳が青なら生き延びられる。
 両目が赤なら諦めろ。
 
「両目が赤? あの狂犬はコンタクトを装着するほど、お洒落に目覚めていたとは記憶しておりませんが」
「ええ、まあそうですね」
 ではどうしてと首を傾げるシェルクに、リーブは休憩がてら淹れた紅茶を飲みながら「個人的かつ、外的な要因です」と答えた。
 しかしシェルクはその回答が気に入らなかったらしい。今まさに渡してこようとした成果物をひょいと引っ込めてしまう。
「……そろそろ単純明快に言う癖を付けたらどうですか? 意志疎通において回りくどいというのは褒められる癖ではないと思います」
「わざとそう言ったんです」
 すっとシェルクの目が細められる。こういう顔をするときは決まって、小言がセットでついてくるのだ。
「つまりは言いたくないと。隠し事が多すぎませんか最近」
 そしてその予想は的中した。
「そうとも言いますね。仕事が溜まっている今、そんな楽しい話題を振られてしまったら残業する羽目になりますし。そのうちに」
 だからまた機会がありましたらと続けたら、若き遣り手はやれやれと大袈裟に溜息をついた。そして手に持っていたタブレットをリーブの机の上に置く。その画面には、調査を依頼していたとある新興企業の名前と調査結果が表示されていた。
 相変わらず仕事が早いですねと受け取り軽く目を通すと、リーブが予想したとおり、かなりあくどいことをやっているようだ。数はさほどではないが、企業としての経済力、さらにバックの組織が積み重ねてきた経験と年数はバカにできない域に来ている。
「……確かパラミリに新人が入ってましたね?」
 言いながら書類から顔を上げると、シェルクはリーブがやらんとしていることを察したらしい。露骨に顔を歪めた。
「またお披露目ですか? 悪趣味です」
「教育ですよ、教育。お披露目だなんてそんな勿体ないことはしません」
「物は言い様ですね。……連絡はご自分でどうぞ。私はランチに行ってきます」
 ご苦労様ですの言葉も待たずにくるんと身を翻したシェルクは、そのまま軽やかな足取りで出口へと向かう。執務室の扉が開いたところで足が止まり、クラウドとはまた違った色合いの魔晄の瞳がリーブを振り返った。まだ何か言い足りないことでもあるのだろうかと首を傾げたら、一拍置いてぽそりと言われた。
「……局長の『そのうち』は、全然そのうちじゃありませんので、期待しないでお待ちしてます」
「ははは」
「プロポーズも『そのうち』なんて言って随分引っ張りましたしね」
 年相応の少女らしい、悪戯っぽい笑みだけ残して、シェルクはドアの向こうへ消えていく。
 リーブは一歩間に合わなかった反論を、少々冷めてしまった紅茶で飲み下すことしかできなかった。

***

 狼が出るときは、彼らの部隊も一緒に出る。一般隊員達では手に負えないようなものを相手にすることが多いということもあるが、狼が食い散らしていった後始末で、余計な動揺をさせてはならないという配慮によるものだ。それだけ狼の食事は激しい。そして今日は後者の役割で、彼らは出動していた。
「——リーブ」
 突入前の緊迫した車両の中に響いたのは、その狼のいつになく物憂げな声だった。全身をタイトな黒衣に包んで、至る所にナイフホルダーを下げた刃物まみれの狼は、モニター前の椅子に腰掛けている自分の飼い主——リーブの首に、その両腕を絡めていた。
「まだ?」
 おなかすいた、と言う声は明らかなお強請りだった。もう待ちきれなくなっているらしい。
「ステイです」
 一方で、返すリーブの言葉は努めて穏やかだった。その強さや肩書き、そして顔を知っている人間ならまず抗えないような色艶を見せる狼に対して、飼い主は極力冷静に言う。
「ステイ? 待て? なんで」
「今準備していただいているので。それに、皆さんの前ではしたないですよ」
 ちらと狼の目がこちらを向いた。先ほどまで綺麗な魔晄の色だったそれは、今や完全に真っ赤な血の色を湛えている。こうなってしまった狼は、もうこの色が抜けるまで、リーブ以外の話は聞こうとしないし耳にすら入らない、正真正銘の忠犬になる。意志疎通の会話すらも疎かになるほどに。
「いつもしてる。みんな知ってる」
 案の定、興味ないと言わんばかりについと視線が逸らされた。普段の物静かで穏やかな印象とは正反対の彼に、リーブは穏やかな苦笑を漏らしたようだ。
「とにかくもう少し待て、できますね」
「……」
「いい子です」
 手を伸ばしてよしよしとその頬を撫でるリーブは、完全に猛獣使いの様相を呈していた。おとなしくその手に撫でられている狼——クラウドもまた、飼い主に従順な猟犬に見える。耳と尻尾すら目に浮かんできそうだと思える程度に余裕があるのは、前から彼らのことを知っているのと、WROのパラミリに身を置くようになって結構な時間が経ち、余裕が生まれたからだろう。
 だが、どうやら彼の隣で待機している新入りは、まだまだそんな余裕はないようだった。さっきから目線が狼とその飼い主に釘付けになっている。
(——やれやれ)
 これは早いところこちらからも急かしてやらないといけないだろう。初任務で高嶺の花の毒に呑まれてしまっては困る。
「局長、あとどのくらいですかね? 新入りが毒気にあてられてますよー」
「おや」
「へっ? は、そのすみません!!」
 律儀に謝る新入りに対し、やんや、とはやし立てるのは他の隊員だ。自らが通ってきた道だからこそ、新入りが同じ道を通るとまずからかってくる。
「だめだぞ坊や、最初にクラウドさんは。火傷どころじゃ済まされないぞ」
「食い千切られる」
「何を?」
「ナニを!」
「ははは、人の飼い犬で下世話な話は止めてくださいよ」
 場がわいたところで、無線の雑音が割り込みモニタが点灯した。映っているのは今回の舞台、廃墟になった小さな村だ。
 騒々しかった車内が一様に、緊迫感を取り戻す。その様子とは裏腹に、スピーカーからは技術屋ののんびりした声が響いた。
『すみません手こずっちゃって。準備整いました』
「ご苦労様です。急がせてしまってすみませんね」
「出ていい? 出ていいか?」
 途端に狼の尻尾がぴんと立った。リーブの顔をのぞき込みまとわりつく様は、散歩を待っている犬のそれだ。もっとも、することはただの一方的な狩りなのだが。
 リーブは焦らしているつもりなのか、ほんの少しだけ考えている素振りを見せた。
「言いつけ守れます?」
「守る。だから早く」
 キスでもせんばかりの勢いで頬を擦り寄せるクラウドの後ろ頭を軽く撫でると、リーブは穏やかに笑って頷きを送り、運転席に声をかける。
「扉を開けていただけますか」
 シャドウフォックスの扉が開いた。生温い風が車内に流れ込み、夜の帳に覆われた荒れた大地が徐々に眼前に現れる。月は出ていない。暗視ゴーグルなしの裸眼では、少し離れたところにある廃村は、ただの黒々とした塊にしか見えなかった。
「取ってくる二人は覚えてますね」
「うん」
「殺してはだめですよ」
「わかった」
 リーブにまとわりついていたクラウドが離れ、床に両手と片膝をつき、腰を上げた。用意はできているといわんばかりの彼に、極力穏やかな一言がかかる。
「遊んでもらいなさい」
 車体が傾ぐほどの踏み込みの後、狼の姿が消える。弾丸のように解き放たれた彼の後ろ姿はすでに、夜の向こうへ消えていた。

***

 あるかなしかの夜風の中を、全力で走るのは心地良くて好きだ。何もかも置き去りにして自分の足で駆け抜けるのは、フェンリルで走るときとはまた違った気持ちよさがある。それに今日は、何よりリーブがそばにいる。一緒に隣を歩けなくても、近くにいるというだけで楽しくて仕方がない。
 より低く、そしてより速く、打ち捨てられた廃村を駆け抜けながら、クラウドは獲物を探す。とってこいと言われたのは二人だ。おそらく一番奥にいるんだろうが、ぼろぼろになった建物には全く明かりがないから、正直何がどこにいるのかも曖昧だ。
 でも、それを探し出すのが楽しい。
 クラウドは適当に、人の気配が感じられる廃れた倉庫に飛び込んだ。ほとんど手入れのされていない壁なんて適当に蹴れば簡単に破れる。
 破片をまき散らしながら床を滑ると、驚いた顔が五つほど出迎えた。ざっと視線を走らせて、言いつけられた顔がないのを確認したクラウドは、屈んだまま間髪入れずに腿のナイフを抜き放つ。
 金属の走る音に、クラウドが何をしたのか察した五人は慌てて武器を構えるが、それよりも速くクラウドは地面を蹴っていた。
 ——六メートル。それが銃に対して先手を取れる距離と言われている。
「お」
 何を叫ぼうとしたのかよく解らないが、クラウドは目前でぽかんと開いた口の中に右手の刃先を叩き込んでいた。六メートルなどクラウドにとっては一歩で終わる。そしてこの倉庫は、七メートル四方あったら良い方だ。
 錆び付いた壁に囲まれた空間はすぐにクラウドの遊び場になった。気がついたときには体の破片が散らばって、向かってくるものはなかった。みんなくっつけたらダチャオ像みたいになるんだろうなと、そんなくだらないことを考えながら、いろんなところに刺さったままだったナイフを抜いて次の建物に向かう。
 騒ぎに気づいたのか、壁の向こうに固まっている気配がざわざわと動き出した。金属の音も混じっている。
 だが、それは些細なことだ。
 クラウドは割れて濁っている窓ガラスから家の中に飛び込んだ。先ほどとは違っていくつもの銃口に迎えられたが、飛来する鉛玉を身を沈めるだけで避けると、邪魔な玩具を排除にかかる。鈍い人間が持つ銃など、単なる重石でしかない。
「あんまり撃つと仲間に当たるぞ」
 もっともな忠告をして一人の後ろに回り込む。しかしながらその忠告は間に合わなかったらしい。盾にしていた一人は仲間の弾を浴びて面白い踊りを踊った。
 ただの肉袋になった体が崩れ落ちるよりも早く、クラウドは狼狽えている人間たちに襲いかかる。防護服など意味はない。その間から見えている肉に情け容赦なくかつ丁寧に刃を滑らせ突き立てるだけだ。
「おっ……あああああ!!」
 右手を落とされ破れかぶれになったらしい巨漢が、獣じみた咆哮を上げながら殴りかかってくる。だが、クラウドはその拳に向けてナイフを水平に構え背にプロテクターの乗った腕を添えた。
 衝撃はほんの僅かだった。
 鋭い刃に拳が食い込み指が飛び、咆哮が悲鳴に変わる。頬に散ったのはおそらく血だろうが、そんなことに頓着はしない。
「刃物相手に殴りかかるとか」
 クラウドは鼻で笑うと、手を抱えてうずくまる男のむき出しの背中に、仕上げでナイフを突き立てた。
 艶消しの黒に塗られた牙と爪を存分に振り回し、局長の狼に相応しい狩りを終えると、息つく暇なく外へと飛び出す。
 残りの気配は一カ所だ。取ってこいと言われた獲物は今の今までいなかったから、きっとそこにいるはずだ。
 まっしぐらに建物に——それは街の集会所らしかった——飛び込むと、銃弾の波をかわし、防ぎ、そして弾きながら、視界の中の人間達を見る。
(……いた)
 ガタイの良い男達を盾にするようにして、一番奥に縮こまっている影が二つ。一瞬だけ向けられた顔は、リーブに「とってこい」と言われたそれだ。
 喜びでぶわりと髪が逆立つような感覚に任せ、クラウドはその白い喉を精一杯反らせて、長く尾を引く遠吠えを放った。

***

「……狼ですかね?」
 夜陰に響く遠吠えに思わず漏らした呟きは、周囲の先達が各々の武器を持ち、装填する音に紛れてしまった。
「おう、新入り、行くぞ。クラウドさんが見つけた」
「は? クラウドさん?」
「あの子、獲物を見つけたら遠吠えするんですよ」
 先輩に小突かれて慌てて支度を整える彼に、相変わらずの笑みを保ったリーブがそう告げる。彼はこの指揮車から動かないらしい。
「通信機は壊してしまうし、あの状態だと他に難しいことはできませんからね。サマになってますでしょ」
「は、はあ」
「モタモタすんな新入り。クラウドさんが遊びきる前に行くぞ」
「り、了解です」
 ナイトビジョンを下げサブマシンガンを構えると、先導する先輩の後に続きシャドウフォックスを飛び出した。
 外はいやに静かだった。聞こえるのはあるかなしかの風と、その風に揺れる木の音だけだ。つい先ほどまでは銃声が聞こえていたのに、ぱったりと止んでいる。
 隊長の指示に従い、隊員達がそれぞれの建物に散っていく。方々から威勢のいい「クリア!」の声が聞こえる中、彼は最後の建物、村の集会所へと突入した。
 そして、見た。
 緑の視界を通して転がる何かは、明らかに人体の一部だ。腕、足、指、手。相当な量が転がっているから、最初彼はそれらが人間だったものだと理解できなかった。
「う、うわ……」
「……? 終わり?」
 後ずさりかけた彼の耳に、その場に全くそぐわないのわびりとした声が飛び込んできて、思わず体の動きが止まった。転がる「パーツ」に気を取られていたが、建物の奥に光る何かと、それに屈んで話しかけている隊長と先輩が見える。
「終わりだそうですよ、クラウドさん。局長んとこ戻りましょう」
「取ってこいって言われてますし」
「終わりか、そうか」
 その光る何かはクラウドの金髪だった。そして、クラウドが何かの上にまたがっていること、そしてその何かは僅かに動いていることが、引きずりだされるようにして見えてきた。
「じゃあ、帰ろう」
「忘れ物しないでくださいね」
「ちゃんともってくよ」
 金髪の位置が高くなった。立ち上がったのだろう。そのままこちらを振り向いて、ゆっくりと近づいてくる。両手に持っている——というよりは、引きずっているのはおそらくは対象の人間だろう。ゴーグルのせいであまりよくは見えないが、もうほとんど動けないこと、反抗する気力もすっかり削られていることだけは、その人間から漏れる情けない呻き声ですぐにわかった。
「局長には連絡入れといたんで」
「うん」
 この量を平らげた人間にしてはものすごく軽い返事をして、クラウドはずるずると人間を引きずってくる。さほど鍛えているように見えないのに自分よりも大きな男二人を引きずって、しかもさほど重そうにしていないのは、さすが救星の英雄なのだろうか。
「新入り、ちょっとこっちこい」
「あっはい」
 奥に行った隊長の呼びかけに答え、彼は突っ立っていたその場所からたっと駆け出す。
 獲物を引きずるクラウドとすれ違うその刹那、彼の弧を描く血塗れの口元に一瞬目を奪われた。
 ——彼も、年は若いとはいえ元軍人、そして今も軍人だ。そして彼の感覚には、この組織は「そういうもの」だという、確信に近いものがあった。
 この組織は、星を守るというリーブ局長の意志に沿って練り上げられた一つの生命体だ。離反も裏切りも許されないし考えることすら許さない、そういったものなのだ。就職が決まった日、入局の宣誓をしたその瞬間から感じていたそれは、局長であるリーブの佇まいやクラウド、そして同僚たちの雰囲気で、確かな物になっていた。
 だから彼は、救星の英雄の無邪気で純粋な血塗られた笑顔を、仄かで叶わぬ恋慕とともに、心の奥底へ封じ込めることにした。

***

 よくできました、と頭を撫でながら褒めてやると、クラウドは花が咲くように笑った。満足するまで撫でてやりながら、リーブは腕のバングルに魔力を通す。
「……魔法? なん——」
 反応したクラウドが言い終わる前にその顎をそっと掴み引き寄せ、未だ乾いた血がこびりついている唇を塞ぐ。一瞬だけ驚きを浮かべた深紅の瞳が、リーブの視界の中でゆっくりと瞼に覆われ、そしてまた現れ出た時には、その色はもうすでにいつもの星の色に戻っていた。
「……っん」
「うまくできたご褒美です」
「ご褒美……」
「もっといりますか?」
 うん、と僅かに頬を赤らめて頷くクラウドを抱きしめ、リーブは惜しみなく愛情を降らせる。次第に腕の中の身体から徐々に力が抜けてゆき、重みが増していく。それをまるでダンスでも踊るかのようにうまくエスコートし座席に座らせてやったその瞬間、クラウドの体は糸が切れたかのように横倒しに倒れた。
「おっとと」
 頭を打たないように寸前で支えると、そのまま隣に腰掛け、膝にその頭を載せてやる。
 スーツに血がつくのも構わずに頬に指を滑らせていたら、カーゴに後始末を終えた隊員達が帰ってきた。ひょいと顔をのぞかせてきたのは隊長だ。彼はナイトビジョンをはずすと、クラウドとリーブの姿を見てにっと笑った。
「お疲れさまです」
「局長もお疲れさまでした。クラウドさん……はお休み中ですか」
「ええ。久々で疲れてしまったようで」
「大暴れでしたもんねー。……皆静かにな、起こすと機嫌最悪だぞ」
 うぃーす、という男臭い声と共にぞろぞろと隊員達が入ってくる。カーゴルームが閉まりしばらくして、シャドウフォックスが動き出した。
「いつもありがとうございます」
「いやあとんでもない。こちらこそ楽させてもらってありがとうございます。相手はほぼ全員、生きてますよ。可哀想なことに」
「お礼はクラウドさんにもお願いします。覚えていないかもしれませんけど」
 よしよしと撫でてやると、まるで猫のようにすりすりとすり寄ってくる。俺も良いですかとのばされた隊長の手は容赦なくはたき落として、リーブは車の揺れに身を任せた。

 リーブがクラウドにバーサクをかけるようになったのは、WROのパラミリが運用され始めたその頃からだ。正規軍とはまた違う手練れの人間は、技量も高くそれに比例してプライドも高い。その彼らをリーブの忠実な兵士として纏め上げるために、クラウドの圧倒的な実力を見せつけるのが、最初の目的だった。
 運用からしばらく経ち、彼らの結束も信頼も強固になってきた今、バーサクをクラウドへかける理由はすっかり変わっていた。普段自分を抑え込む癖のあるクラウドが、唯一自分の本能をそのままぶちまけられるように——そして、本能のままに活き活きと動いているクラウドを見るために。
 普段から自分を抑えつけているクラウドが、何のしがらみもなく自由に闘っているその様は、リーブの心を掴んで離さなかった。それに、建て前も虚飾も何もかも取り払ってなお、リーブのことを純粋に信じ、そして愛してくれるクラウドが、愛しくてしょうがなくなっていた。

 不意にシャドウフォックスが大きく揺れ、膝の上のクラウドが小さく声を上げた。だが起きるまでには至らなかったらしく、わずかに身動ぎをしただけだ。精神感応系の魔法が効きやすい彼は、解除した途端に反動とでも言うのだろうか、スイッチでも切れたのかのように熟睡する。今このタイミングで目が覚めてしまえば乗り物酔いになってしまうから、幸いと言うべきだろう。
「相変わらず、よく寝てますね。局長の膝枕ってそんなに気持ちいいもんなんですかね」
「寝てみます?」
「遠慮しときます。クラウドさんに殺されちまう」
「ですよね。私も嫌です」
「じゃあなんで聞いたんですか……」
 げんなりとした顔で隊長が引き下がる。分をわきまえた現場の人間は好きですよなんて返しながらも、リーブは穏やかに、無防備に眠るクラウドの頬を撫でた。
 ——リーブがWROの表の象徴なら、クラウドは影の象徴だ。刃向かったらどうなるかを武装隊員たちの心の中に染み込ませ、一方ではその強さで心に噛みつき離さない。優しい本人にそんなつもりなど、毛頭ないのかもしれないが。
 一方的な畏怖と恋慕の対象。それが今のクラウドだ。リーブが仕向けたこととはいえ、彼は様々な人間の情を向けられている。目の前の若い兵士をはじめとした隊員たちに、配達の客に、見知った人間全てに。
 しかし、クラウドはリーブにだけ、愛情を返してくれる。他でもないリーブだけに、魔法の力で理性をほぼ剥ぎ取られてもなお。
 それがたまらない。たまらなく愛しい。
 帰ったらお風呂に入れてあげよう。そう心に決めて、血がこびりついた髪を軽く梳いてやる。
「……ご褒美、あげませんとね」
「あれ、あげたんじゃないんですか?」
「まだまだ、この子は満足しませんよ」
 ほんの少し開いた唇に指を沿わせると、クラウドの顔が幸せそうに顔が綻ぶ。それにつられてリーブもまた、己の頬がゆるやかに持ち上がっていくのを感じた。
「勿論、私もですけどね」
 お熱いですねえ、と隊長の冷やかす声とともに再び手が伸びてきた。
 容赦なくはたき落としてやった。

***

 私は、WRO局規を全面的に支持し、星外および星内のあらゆる敵から守りぬきます。また局規に忠誠を捧げ、義務の遂行を惜しまず、疑問を抱くことも、逃れようとすることもなく、これから職場となる世界再生機構の勤めを忠実にまっとうすることを誓います。

 ――WRO入局の誓い

三度の飯が好き

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