社長とクラウドちゃん、しつけのうまいリーブさん / 文庫ページメーカー
「待て」
戯れにそう言ったら、まさに目の前の茶菓子に手を出そうとしたクラウドは思いっきり怪訝そうな顔をした。だが特に手を止めるわけでもなく、また何を言うでもなく、ビスケットを摘まんで口の中に放り込む。
「あんたには何が見えているんだ」
反応らしい反応を返してくれたのは、彼が口の中のビスケットを飲み込んでしまってからだった。
「それとも頭おかしくなったか」
続けて更に辛辣な一言が飛ぶ。どうやら先程の一言だけでかなり機嫌が悪くなったようで、こちらを見てくる視線は実に冷たかった。
ルーファウスはまあまあと宥めるように、それまで組んでいた手を広げた。
「なに、どこまでリーブに躾けられているのかと思ってね。飼い主以外の言うことでも聞くのかと」
「……本当におかしくなったのか?」
「いや、至ってまともだよ」
実に苛立たしげな溜め息が聞こえた。まともでそれか、などと呟きながら、彼は不機嫌を前面に押し出すかのように足を組み替える。
「聞くわけがないだろう。ましてやあんたの言うことなんてお願いされたって聞きたくもない。俺がここにいるのはリーブに頼まれたから、それだけだ」
「では、次からはリーブを経由して依頼するとしよう」
「……」
だいぶテンションの下がった魔晄色の視線が刺さる。しかし、先程までとは違って拒絶の言葉は出ないあたり、本当にリーブに言われたらやるつもりではあるらしい。
(よほど躾が上手いのだな)
数日前、まさにクラウドがここに来る羽目になった会合で、リーブが同じ言葉を放ったときはまるで違った。それまでレノやルードと話し込んでいた(喧嘩をしていたとも言う)クラウドに対して、リーブが「ステイ」と言った瞬間、本人の空気が文字通り塗り替えられたのだ。全神経をリーブに傾けじっと指示を待つその仕草はまさに、丁寧に躾けられた猟犬そのものだった。その空気の変わりようには、話していたレノも、ルードも、そしてルーファウスすらも呑まれていた。
「——クラウドさん、あんまり今から騒ぐと疲れますよ」
クラウドの集中が溶けたのは、リーブのその一言があってからだった。その瞬間まで、その場の誰もが、リーブの飼い犬に食われることを覚悟していた。
「くだらないことは止めてくれ。疲れる」
「そうだな、すまなかった」
「もう帰っていいか」
「ああ、——ちょうどツォンから連絡があった。つつがなく終わったそうだ」
どうだか、と言いながらも、その黒衣の猟犬は腰を上げる。一瞥すらもせず扉に向かい、そのままさっさと部屋を出て行く。
「やれ、とんだ猛犬に化けたものだ」
それとも前からだったのか。
しかし、確認する術はない。階段をリズミカルに駆け下りていく足音と、恐らくはあちらも報告しているのであろう微かな話し声を聞きながら、ルーファウスはツォンからの報告書を開き、目を通し始めた。