拗ねるヴィンセントさん / ヴィンクラ / 文庫ページメーカー
ヴィンセントはよく拗ねる。
それも本人の実年齢にはまるで似つかわしくない理由で拗ねる。皆と居るときはそんなそぶりはおくびにも出さないのに、二人きりになると途端にわがままを言い出すのだ。むしろ行動を起こしてから何かを口にするので、「言い出す」というよりは「やり出す」といった方が近い。とにかくよくわからない理由で唐突にむっとするのだ。
そして今日もそうだった。朝起きて互いの体が傷まみれ痕まみれになっていることに気づいたクラウドが、かいふくのマテリアで治そうとした途端、それまで上機嫌でクラウドの至る所にキスを落としていたヴィンセントが唐突に拗ねた。クラウドの手の中から回復のマテリアを取り上げると、荷物を置いているベッドにちょっと荒っぽく放り投げたのだ。
感情の変化があまり表面に出てこない彼にとって、これはかなり露骨な不機嫌の現れと見ていい——とわかったのはつい最近のことである。とにかく唐突に拗ねたヴィンセントは、クラウドを抱え込んだまま黙ってしまった。
「ヴィンセント?」
おそるおそる話しかけても何も反応しない。一体どうしたんだよと後ろを向こうとしたが、思いのほかがっちりと固められてしまってそれもできない。
「ヴィンセント、……もしかして、拗ねてるのかあんた」
ほんの少しだけ、その問いに対してヴィンセントの腕の力が強くなった。どうやら図星らしい——のだが、今度はその拗ねている理由がわからない。今回は起きて間もないから、それまでの行動に何かあるはずだと頭をひねった途端、後ろからぼそりと低いつぶやきが聞こえてきた。
「治すのか」
「痕か? そりゃあ」
治す、と言ったらさらに強く抱きすくめられた。察するに、治してほしくないらしい。
「消さないと」
「別に構わない」
「あんたは着込んでるから見えないだろ、そもそも。俺は見えるから」
まさか他人の歯形をつけたまま堂々とそとを歩けるわけもない。想像しただけで顔から日が出そうになるし、何より自分とヴィンセントの関係は、まだ仲間たちには秘めている。
するとヴィンセントは、クラウドをさらに抱き寄せながら少しだけ苛立たしげなため息を吐いた。
「……消してほしくない」
特に明確な理由も何もない一言だった。だがそれは、普段隠しがちなヴィンセントの心の奥底から漏れ出してきた一言でもあるということを、クラウドは理解し始めていた。そして、(余程のことでなければだが)ちゃんと聞き入れてやれば、少しは機嫌が持ち直すということも。
「……わかったよ、わかった」
前に回された腕をぽんぽんと軽く叩く。
「服の下だけ残すから。それでいいだろ」
な、とまるで小さい子供に言い聞かせるかのようになだめてやると、ようやく僅かに腕の力がゆるんだ。寝返りを打ち振り向くと、いつもよりずいぶんと情けなく揺れる表情が出迎える。
「なんて顔してるんだ」
「……せっかく付けた」
「うん」
「見えなくなるのは嫌だ」
「後で見て良いから」
そっとその顔を挟み引き寄せ、ただ触れるだけの口づけを落とす。
「……みんなが見てないときに」
「わかった」
「それならいい」
いい子だと頭を撫でてやると、それまで不機嫌だった表情がほんの少しだけ上機嫌なものになった。本当にかわいい奴だと苦笑しながらその黒髪を撫でまくってやれば、満足げな吐息と共にまた腕の中に閉じ込められる。穏やかな熱が背中をゆっくりと撫でていき、振り払ったはずの眠気がまた舞い戻ってくる。
起きたいんだけど、という抗議はやがて押し流されていった。