大人の男の人のにおいが苦手なクラウドちゃん / バレクラ / 文庫ページメーカー
は、という音がした。
唇が震えて、熱っぽい吐息が零れる。普段白い頬に朱が差し、魔晄の瞳がとろんと溶ける。それまでかろうじてタオルを掴んでいた手が今度こそ力が抜けたのを捕まえて、腹の上に載せてやると、かけてやっていたシーツに少しだけ皺が寄った。
「クラウド」
指の背でそっと頬を撫でてやったら、また熱っぽい吐息が零れた。返事をするつもりだったのだろうが、ほとんど言葉になっていない。はくはくと口を開け閉めしているその様子は、まるで空気に溺れる魚である。
——いや、実際溺れているのだ。彼は。大人の男のにおいに。
昔は平気だったらしい。だが、あの地下の悪夢のような研究所で実験と陵辱を繰り返される度、クラウドは自分を犯す人間達の、大人の男達のにおいを覚えてしまった。
そして、においを覚えた彼は、大人の男のにおいを嗅ぐと溺れるようになった。頭の中がぼんやりとなって、まるで何か薬でも嗅がされてしまったかのように麻痺してしまう。身体中から力が抜け、何か無体なことをされてもすぐに終わるように、ただの従順な人形めいたものになってしまうのだ。何も感じなくていいように、そして何も見なくていいように。
「……クラウド」
赤ん坊のように横抱きにした身体を、さらにきつく抱きしめる。頬を寄せてやれば、はっ、はっ、と短く速い呼吸が耳を掠めた。
外に居るときは平気なのに、二人きりになって距離を詰めると途端にこうだ。クラウドの意識は現在から過去に戻ってしまう。バレットを見ているのに見ていない。他の男と、かつてクラウドを嬲った男達と同じものとして捉えてしまっている。
「クラウド」
「ぁ、……う?」
「クラウド、解るか」
瞳が揺れ、熱に浮かされた視線がバレットの顔を捉える。添えているだけだった手で優しく小さな顎を掴むと、ほんの触れるだけのキスをする。きっと下品にむさぼるだけであっただろうあの地下の男達とは違うと教えるために、名前を呼び、ひたすらに優しい触れ合いを繰り返す。
「クラウド」
「ふ、んっ、……におい」
「ああ、オレのにおいだ。覚えろ、クラウド」
素肌にシーツを纏っただけの身体を静かにベッドに横たえてやり、そして自分の身体と布団ですっぽりと覆う。クラウドの手がバレットの胸を掻こうとして、それすらもままならず横に落ちていく。
「やだ……やだ、おちる」
「大丈夫だ、掴んでる。オレが捕まえててやるから」
シーツに伏せられた手に自分の左手を重ね、指を絡める。暴れる劣情を胸中に抑え込みながら、ただ優しく、慈しむように触れ続ける。
手を握り続けていたら、不意にかくんとクラウドの頭が前に垂れた。我慢できなくなって気をやってしまったらしい。
バレットは握っていた手を離し、胸元に抱き寄せてやる。
——あんたのにおいだけでも慣れたいんだ、とクラウドは言った。
バレットとこういった仲になって初めての夜のことだった。その体質と、昔の経験を震えながら伝えてきたクラウドは、今にも泣きそうな声でごめんなさいと言い、そしてあんたの前で人形になりたくないと続けた。だから、俺にあんたのにおいを覚えさせてほしい、と。
最初に比べれば随分頑張った方だ。起きていられる、ただ意識がある時間だけでも長くなった。あとは目の前にいる男がバレットだと解ってくれる時間が長くなってくれれば、嬉しいことこの上ないのだが。
「……ま、急がば回れってな」
焦ってしまって怖がらせては元も子もない。
バレットはクラウドの、石鹸の香りが混じった彼のにおいを胸一杯に吸い込むと、目を瞑って意識を無理矢理追い出した。