おとなりさん:(またハッサクさんにはめられた)/ バツクラ / 文庫ページメーカー
ちょうど器に盛ったところで、テーブルに置いていた携帯が鳴った。手を洗って拾い上げ、液晶を見てみたら、そろそろ家に来るんじゃないかと思っていた人間の名前が、せわしなくアピールする受話器のマークとともに表示されている。
「はいよ、どうした?」
『ごめん、今日は帰れない』
いつも端的な物言いをする相手らしく、聞く人が聞いたら誤解を招きそうな台詞が飛び出してくる。だが、もう慣れたもののバッツは「そっかー」と返した。
「なんかあった?」
『飛び入りの仕事が入った。ちょっと遠くにいるから、多分今日中に戻れない』
その言葉に続けて告げられたのは、確かにここから大分離れた場所の名前だった。きっと明日が休みだからと引き受けたのだろう。
「遠いなあ。もう泊まって来いよ」
『そのつもり。明日の昼過ぎぐらいには帰ってこられると思う』
「はいよ。おまえの分は取っとくから」
『……』
「……ん? どした?」
突然黙り込んだ相手に、バッツは思わず携帯のディスプレイを見てしまった。通話が切れたのかと思ったがそうではないようで、画面には相変わらず相手の名前が浮かんでいる。別に機嫌も悪くなさそうだったし、一体どうしたのだろうか。
だが、その静寂は思いの外長くは続かなかった。
『……おなか減った』
――あんたの飯食べたい。
バッツの心臓がぎゅっとはねた。思わず携帯を落としそうになったがぐっとこらえて、極力平静を装いながら、その呟きに「そっか」と返す。
「めっちゃ嬉しいけど、今日はがまんな。明日おまえんちのドアに下げとくから」
『んー』
「拗ねんな拗ねんな」
『……わかった。いつもありがとう』
「いいってこった。気を付けてな、おやすみ」
おやすみ、という言葉とともに電話が切れる。端末を耳から話してロックをかけ、机の上へ置いたところで、我慢の限界がきた。
「――なんだいまの……」
すぐそばのベッドに、顔を覆いながら倒れ込む。胸の中を暴れ回る感情を、目の前の枕に何度もたたきつけても、先ほどの衝撃をやり過ごすには全くもって足りなかった。
あれはマズい、あれは反則だ、どう頑張ったって勝てっこない。
直前まではあれほど冷静に、ただ淡々と話していたのに、ふと気が抜けた途端にこれ。まるで幼い子供のような、しかし甘く掠れたその呟きは、スピーカー越しでもとんでもない破壊力だった。
(しかもおれの、おれの飯がいいとか!!)
お腹減ったならまだ、ここまでやられることにはならなかっただろう。最後の一言が完全にバッツの息の根を止めた。
「ただでさえまいっちまってるのになあ」
これ以上ダメになったら、普通の顔で会えなくなってしまう。いったいどこまで自分をダメにしてくれるのか。そしてどこまで自分がダメになってしまうのか、正直初めてのことで皆目見当がつかない。
「っあー、もう、好きだなあ……」
ぎゅっと枕を握りしめながら絞り出した一言は、コンソメの香りに混じって消えていった。