うつつの家

ミディール崩壊直後 / バレクラ / Pixiv

 バレットはひたすらに待っていた。
 崩壊したミディール上空に停泊する、ハイウィンドの仮眠室。あまりベッドの数は多くないが、それでも数人が船内で長期間過ごせるようにと設計された部屋の中。船の揺れに耐えられるよう、しっかりと床や壁に固定された二段ベッドに腰掛けたバレットは、彼にしては珍しく静かに待っていた。
 バレットが待っているのは、向かいのベッドに横たわる青年だ。長い間夢の中を一人でさまよっていた青年――クラウドは、ミディールに噴き出したライフストリームから引き上げられて一日が経つが、未だに目を覚ましてくれない。
 きっと大丈夫よ、と一足早く起きたティファはそう言ってバレットの肩を叩いてくれた。だが、こんこんと眠り続けるクラウドを見ると心配でたまらない。
 このまま目を覚まさないんじゃないか。目を覚ましても、バレットのことはもう覚えていないんじゃないか。眠っている間に、セフィロスの呼び声に誘われてどこかに行ってしまっているんじゃないか――そんな不安が、普段は騒がしいバレットの口に重たい蓋をする。
 仲間たちは気を遣ってなのか、それとも眠るクラウドのためを思ってか、仮眠室には余程の用がない限り来なかった。たまに心配げな足音がすぐそばまで近付いてきてはまた遠ざかってゆくくらいだ。
「……ん」
 不意に、クラウドが小さな呻き声を上げて身動ぎをした。思わずベッドから腰を浮かせたが、ただの寝返りだとわかった瞬間、再び堅めのマットレスに沈む。
 ついこの前まで重度の魔晄中毒だったことを考えれば、なかなか目を覚まさないのもしょうがない。ずっと寝ていたようなものだ、あと一日や二日寝坊するくらいどうってことない。
 そう自分に言い聞かせて、バレットはただ待つ。

***

 その巌のような腰が再び上がったのは、ハイウィンドの窓から差し込む夕日が地平線の向こうに消えてしまった後だった。
 静かに、本当に静かに、瞼に覆われた青色が現れたその瞬間、バレットは吸い込んだ息を止めてしまうほどに緊張していた。慌てて吐き出すとその顔をのぞき込み、そしてまだまだ体温の低い手を握り、茫洋とした双眸に己の顔を割り込ませる。
「おい、おい、大丈夫か」
「……」
 未だ夢とうつつの合間を彷徨っているような、力の抜けた表情のクラウドは、バレットのその声すらも初めは聞こえていないようだった。だがもう一度、ぐっと近くで声をかけてやると、ようやくその半分ほど開かれた瞳がバレットの顔を捉えた。
「オレがわかるか」
 緊張で舌がもつれそうになる。
 クラウドはしばらくバレットの顔を見つめていた。そして、たっぷりと時間をかけてようやく、ほとんど血の気のない唇がゆっくりと音を紡ぎ出す。
「……バレット……?」
「――!! そう、そうだ、オレだよ」
 良かったなあ、とバレットは左手をクラウドの頬に添える。良かった、目を覚ましてくれた、覚えていてくれた、そして名前を口にしてくれた――様々な気持ちが体中を駆け抜け、雄叫びにかたちを変えて迸りそうになったが、ぐっと抑え込む。
「クラウド、本当によかった、よかったなあ……!!」
 代わりに、その爆発しそうな喜びを、僅かに細くなってしまった体を抱き起こして腕の中に閉じこめることで表したら、当のクラウドからかすかな抗議の声が上がった。
「くるしい……くるしいから、……バレット」
 離せ、という小さな抵抗は無視だ。力なくもがくクラウドをそのままきつく抱きしめて、ただひたすらにその感触と体温を確かめる。まだここにいる、今ここにいる、どこにも行っていない。何も変わっていない。たっぷり数分は確かめてようやく身体を離せば、クラウドの口からふうと溜め息が漏れたのがわかった。
「苦しかった」
「悪かった、悪かったって」
 優しく元のベッドに横たえて布団を掛ける。弛緩した肢体は再び眠気に引き込まれているのか、瞼がまた落ちようとしている。僅かに早かった呼吸はまた緩やかに、深いリズムに戻りつつあった。
「まだ眠いだろ。もうちっと寝てろ、な」
 でも、とその口が動いたが声すら出せていない。ほれみろと苦笑すると、バレットはその額に左手を置いた。
「あと少し寝てたって構いやしねえよ。今起きただけで十分だ」
「……、……」
「大丈夫だ、ティファはもう起きてる。心配すんな」
 かろうじて聞き取れた言葉にそう返してやったら、すう、と再び瞼が落ちていった。

***

 二、三日は体力回復に専念すること――すなわち休むことが、ハイウィンドの医療スタッフからクラウドに課せられた最初の仕事だった。
 といっても、ティファから聞くに生来乗り物酔いがひどいクラウドが、ハイウィンドの中で休むと言っても土台無理な話だったため、一行はそれぞれの休息や補給も兼ねて、一旦コスモキャニオンに下ろして貰うことにした。
 宿屋に部屋を取ると、ずっと抱えていたクラウドをベッドに寝かせる。布団を掛けてやり念のため熱も見てようやく、ふうと一息吐いた。
 ――昨日目を覚ましてからというもの、クラウドは今の今までずっと眠り続けている。
 バレットは寝台に腰掛けると、枕に広がる金髪に触れた。宿屋の柔らかな灯りを弾いて光るその髪を掬い、すぐそばにある頬を指の背で撫でる。
 とたんに、ん、と僅かに眉が寄り、少しだけではあるが顔が傾き指にすり寄ってくる、その反応が嬉しかった。ほんの三日前までは、こんな反応すら返ってこなかったのだ。

「――無理に食べさせないであげてほしい」
 バレットがそうドクターに言われたのは、つい一週間前のことである。顔を見に行くたびどんどん痩せ、肉が落ちていくクラウドに、少しでも良いから食事をさせようと悪戦苦闘していたその時だ。咽せてしまったクラウドの口を拭い、きれいにしてやったその後、お世辞にも明るいとは言えない顔をしたドクターに呼ばれて言われたのがその一言だった。
「でも、食わなきゃ元気になんねえだろ」
「そうなんだけどね……彼はもう、食べられなくなってきているんだ」
「……それって、どういう意味だよ先生」
「最善は尽くしているが、どうしても、難しいことがある。苦しい思いはあまりさせない方がいい。彼にとっても、君にとっても」
 それは事実上、クラウドが助からないと言われているようなものだった。

 その彼が、生きて、戻って、ここにいる。
 それだけでバレットの心は、言いようのない安堵に包まれるのだが、ここまでこんこんと眠り続けていると少しばかり焦りが滲む。本当に大丈夫なんだろうか、何かしなくて良いのかと、ついそわそわとしてしまう。寝づらくないか、暑くないか、熱を出していないかなんて気にしてしまって、とてもではないが落ち着いていられない。
 バレットはそっと、その額に手を添えた。
 できるだけ優しく触れたつもりだったが、しかし予想以上に勢いがあったらしい。ん、と先ほどよりもはっきり眉が寄り、やがてうっすらと細く碧が零れる。
「わ、悪い、起こしちまった」
 まさかこれだけで起きるとは、と今までとはまた違う理由で慌ててしまった。だがそんなバレットは尻目に、クラウドはぼんやりと視線をさまよわせた後、やがて焦点を合わせる。
「……? ここ、……?」
「ああ、シルドラインだ。コスモキャニオンの。覚えてるか」
「……こすもきゃにおん」
 少しばかり心配になる声だったが、ややあってから「おぼえてる」という言葉が返ってきてほっと胸をなで下ろした。
「空の上じゃしんどいだろって、ティファがな」
「……」
 瞬きが二度ほどあった。やがてそれまで何の感情も浮かべていなかった顔に、じわりとほんの少しだけ笑みが滲む。
「……ありがとう」
「っへへ、素直に言うなよ気持ち悪い」
 むず痒さを、その金髪をわしわしと撫でることで発散する。クラウドは嫌がらずにそれどころか気持ちよさそうに目を細めた。無防備なその表情に、バレットの心の底がじり、と疼く。
「――クラウド」
 す、と手を頬に滑らせる。
 先程まで寝ていたせいか、わずかに高い体温が手のひらに伝わる。
「キスして良いか」
 クラウドの唇の端が上がった。
「……わざわざ聞くなよ」
 甘い吐息が漏れる。
 白い手がバレットの首にかかるよりも前に迎えにいき、抱え込むと、惜しみなくキスを降らせる。長い間そうした後にようやく顔を離すと、クラウドの表情はかつてないほど柔らかいものになっていた。
「……するのか?」
「ばっ」
 だが、そんな子供のような顔で思いもよらないことを言われたものだから、バレットは言葉を詰まらせてしまった。
「なっ、……しねえよ、するわけねえだろ病み上がりだぞお前」
「病み上がりじゃなかったらするのか」
「お前、そりゃあ、するよ」
 はは、と実に楽しそうに笑うクラウドを膝に載せて座らせてやる。
 ずいぶん軽くなってしまった身体ではあったが、それでもあのミディールの日々に触れた時よりも、ずっとずっと生の温もりに満ちあふれている。それに、こんなに憂いなく声を上げて笑うようなことは今までなかった。
 もう人形じゃないんだと、そう言っているようだった。
「なあ」
「うん?」
 額を合わせ、間近にある美しい瞳をじっと覗き込む。
「明日調子よかったら散歩行かねえか。しばらく歩いてなかったろ」
「ああ、うん、行く。行きたい」
「じゃあ決まりな」
「その後するのか?」
「……まあ、調子がな、よかったらな」
 悪戯っぽく咲いた瞳の縁、綺麗なカーブを描く目尻を優しく撫でてやると、またゆっくりと寝床に横たえる。
「メシでも買ってくるか」
「……いらない。一緒に寝たい」
「わかった、さっきから甘えてえんだなお前?」
 だが何か腹に入れないと、それこそ明日動けなくなってしまう。だからもう少し我慢しろ、と布団越しにぽんぽん撫でてやったら、一拍置いてやや不服げな「わかった」が返ってきた。
「待ってる」
「よし、良い子だ」
 名残惜しげなその金髪をもふもふと撫でてやると、バレットは寝台から下りた。そして部屋の鍵と財布を取るとポケットに突っ込む。
「行ってくる」
「いってらっしゃい」
 久方ぶりに返ってきたその言葉をゆっくりと噛みしめながら、バレットは温かみのあるドアノブに手を掛けた。

三度の飯が好き

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