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🚬のウルダハのモブとうちのと蒼天街

 ウルダハの夜は冷える。
 冷え切った砂漠の空気の中を黙々と歩くことは嫌いではない。むしろ好きな部類に入るが、今日ばかりは気分が沈みがちだ。ポケットに入れた金属の塊が、どうしても気持ちを引っ張ってくる。
「……」
 足を止めたのは立ち入り禁止の紙が貼られたある空き家の前だ。ここに来るたび否応なく足が重くなる。
「……はあ」
 こらえきれず、溜息が一つ地面に落ちた。
 だが、ここで黙っていても仕方がない。隊服のポケットの中に手を突っ込み、どんよりと気持ちを曇らせる原因になったものを取り出す。
 それはこの空き家の鍵だった。隊舎から手続きを経て持ち出してきたそれを鍵穴に差し込み、捻ると、深呼吸を一つしてから押し開ける。
 埃の匂いがした。しばらく人の手が入っていない、真っ暗な空間だ。だが、瞬きを何度か繰り返しているうち、暗闇にじわじわと形が浮かんでくる。
 散乱する紙、紙、紙。地面に落ちているものは無惨に踏み散らかされており、足跡だらけだ。試し書き用のインクだろうか、歪な黒い染みがべったりと広がっている物もある。
「……酷いな」
「俺もそう思う」
 だが次の瞬間、全く異なる要因で胸がギュッと妙な音を立てた。突然目の前に現れた気配、そして耳に飛び込んできた声に悲鳴を上げなかったのは、普段の訓練の賜物だろう。
「——ッッッおまえ」
「よう」
 荒れ果てた部屋、かつてカウンターだったであろうものの向こう側に立っていたのは、用事を言いつけてきた張本人だった。いつの間に入ったのか、いやここの鍵は不滅隊が管理していたはずだ、それなら不法侵入か、しかしそんな形跡などはなかった、などという思考の断片がぐるぐると頭の中を掻き回すが、ようやく絞り出せたのは「お前いつから」というただそれだけだった。
「あんたと一緒だよ」
「いやそれにしても」
 へ、とその口元が笑う。
「リムサで優しいお兄さんに教えてもらったんだよ」
 彼はよっこいしょとカウンターを乗り越えると、脇を通り過ぎ、開け放しになっていた扉を閉めて鍵をかける。
 その頃には、喉から出んばかりに暴れ狂っていた心臓も、だいぶ落ち着きを取り戻していた。
「灯りは?」
「壊れてるんだ、丁度。待ってろ」 
 星明かりすら遮られて真っ暗になった部屋の中で、彼の「おいで」というかすかな声が聞こえる。
 瞬間、どこからともなくまろび出てきたのは、仄かに光り輝く空色のカーバンクルだった。どこかやわらかい光は、ほんのりと優しく中を照らしてくれる。
「お、良い感じ」
「お前のか」
「むーたんだ」
「むーたん……?」
「あんたの口からその単語が出るとちょっとびっくりするな」
 大変失礼なことを言いつつも、彼はそのカーバンクルに手を差し伸べる。そして肩に乗せてやると、ようやくこちらを振り向いた。
「悪いな、こんな夜に。戻って来るのに時間かかった」
「いや、問題ない」
「しかしまあ、随分荒れてんなこれ。ここら辺のはエーテルの焚き付けにしか役に立たないな、もったいない」
 はあーやれやれ、とわざとらしく肩をすくめると、彼はしゃがんで床に散らばる紙をひょいと拾い上げる。
「それなりに良い紙だったんだが。これなんてクガネから取り寄せたんだぞ、面白いエーテルの流し方をするからって」
「……」
「言ってもしょうがねえか。後でマシュマロ焼いて食おう、これで。良く燃えるぞ」
 そして彼は——かつてのこの店の主はゆっくりと立ち上がると、視線をこちらに向けた。
 不思議な光に照らされた口元が弧を描く。
「ま、物盗りが入った感じはなさそうだ」
「と言うと」
「あの日からずっとこのまんまってこと」
 そこだけは感謝しないとなあ、と続けるその笑顔には、どことなく影が落ちているように見えた。ただそう見えたのも一瞬で、すぐに目が奥を向く。
「ここの始末はまた今度やるとしてだ、本題はむこう」
「倉庫か?」
「そう。あんたの出番も倉庫」
 ほんのり光る彼の背中を追い、ルガディンの体格にはやや小さめの扉を通ると、同じく圧迫感のある廊下を奥へと進む。狭いわりにそれなりの奥行きがある通路の突き当たりには、地下へと下りる階段があった。
 ゆったりとしたリズムで下りながら、彼は話を続ける。
「イシュガルドの話は聞いてるだろ」
「大規模な復興事業が始まったとは。その話か?」
「合ってるよ。俺みたいな冒険者がその事業を手伝うことになったんだが、復興するにしたってもろもろの備えがいるだろ」
「まあな」
「ただあすこはついこの前まで竜と戦争してからな、なによりあらゆるモノがない。俺らが——冒険者が報酬目当てで色々集めたり作ったりはしてるが、それでも追っつかないところもある。そこで」
 一番下まで下りていった彼は、肩のカーバンクルを床に下ろしてやる。宝石の光を湛えたエーテルの生き物の灯りに照らされたのは、地下室の壁を埋め尽くさんばかりの棚と、整然と並べられている木箱だ。
「うちの在庫、寄付しちまおうと思って」
 彼は棚の群れの真ん中で笑う。
 その顔は、どことなくすがすがしいものであるようにも見えた。

 ウルダハは砂漠の都であり、商人の都である。
 ゆえに、街で生きる商人達は、自分の顧客と商品を命よりも大切に扱う。火に遭っては自分の子よりもまず商品を助けるとさえ言われる始末だ。しかしだからこそ、商品を安売りするようなことは決してしない。
 それをよく知っているからこそ、彼の口からその言葉を聞いた途端、思わず「正気か?」と口走っていた。
「正気だよ」
「代金も取らんのか」
「寄付だからな」
「本当に正気か?」
「何度も言わせんな」
 彼は苦笑を浮かべると、すぐ近くの箱を少し引き出して中身を見る。
「こんな良い紙、俺が持っててもしょうがない。処分するにしても面倒だしな、今必要なところに回してやるのが一番だろうさ」
「……もう戻ってくるつもりはないのか」
 絞り出した声音は我ながら驚くほど苦々しいものだった。彼もそれに気づいたのか、一瞬目を丸くしたあと、ハッ、と揶揄うように笑う。
「なんだあんた、そんなに寂しいのか」
「寂しくないと言ったら嘘になる。お前の店には世話になったからな」
「主に俺の部屋だろ? あーあとこの地下か」
「そういう意味ではない」
「知ってるよ。……戻ってこない訳じゃないが、同じ仕事はしないな、多分。だから持っててもしょうがないんだ」
 彼は棚から手を離すと、地下室の中央にでんと置いてあった大きな机へ足を向けた。そして、束ねてあった雑紙と筆記具を取るとこちらに寄越し、自身は机の上に放ってあった店のエプロンを手慣れた様子で着る。背中でボタンを留め、そして振り返った彼は、かつてここで良く目にしていた彼とそっくりそのまま同じだったが、それでもほんのわずかに、いつかの彼とは違って見えた。それはきっと、頬の入れ墨や引き締まった身体のせい、だけではないだろう。
 彼はこちらを見上げる。
「運び出すのは向こうの準備と、足が確保できてからだ。今日は何があるかざっと確認しておきたい」
「だから手伝えと」
「そういうこと。ああ力仕事はするぞ、見本をある程度持って行くから。使わないものを大量に持ってきたって言われても困るし」
「そこは相変わらずなんだな」
「ほいほい付き合ってくれるあんたもな」
 エプロンのポケットから手袋を取り出した彼は、それをはめながらにやりと笑う。
「さっさと終わらせてマシュマロ焼こうぜ。そんで宿屋行こう」
「……そこも相変わらずだな……」
「むこうはタイプのルガディンが少なかったんだよ」
「この前はオスラだって言ってなかったか」
 素朴な疑問を投げかけたら「それはこの前、今は今」という、よくわからない言葉が返ってきた。

三度の飯が好き

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