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自機+よそのこのお兄ちゃん
追いかけっこするだけして特に何もしない話

 走って走ってひたすら走る。人に当たらないぎりぎりを攻めつつ、砂の都の石畳をひたすら駆け抜ける。靴裏が擦れることもお構いなしに小径に走り込んで一瞬期待し、すぐさま足音が追いかけてくることに絶望するその繰り返しをしてどのくらい経っただろうか。もはや自分のないに等しい精神力はずたぼろの雑巾のようになっていて、探検ですらそれほど動かしたことのない両足はおそろしく久しぶりの酷使に今にも膝先からもげそうだった。それでもなんとか、後ろから追いかけてくる足音から逃れようと焼けそうな肺を一生懸命に膨らませて足を動かす。
 ちらりと後ろを振り返って、一頭の肉食獣か何かのように食いついてくる人影が視界に入って、ああちくしょうと悪態をついた。だがそれがまずかったらしく、ごっ、と地面に捨てられていた空き瓶に足が取られる。
「でっ!?」
 勢い余って頭から突っ込んでごろごろと転がり、路地の壁にぶつかって何とか止まる。それでも立ち上がろうとしたが、目が回ってへたんと座ってしまった。
 やばい、やばいやばいやばい。
 なんとか立ち上がろうとしても足がもつれて立てない。焦れば焦るほど立てないし、その間にも気配は近づいてくる。何度目かの尻餅をついた直後に、ぬ、と自分の上にでかい影が差したところで、ああもうだめだと絶望した。
 ――体がでかいほうが強い。これは自然界における鉄則だ。ネズミは猫に勝てないし、猫はライオンに勝てないし、ライオンは象を見たら躊躇する。知性と道具を備えた人間であっても、その鉄則をねじ曲げられこそするが、それでもだいぶ無理をする必要があることには変わらない。
 それが丸腰であったらなおさらだし、生来の武闘派で知られるアウラ・ゼラが必死の形相で追いかけてくるなら推して知るべし、逃げない理由はないというものだ。いくつか死線をくぐりはしたものの、生来ウルダハでぬくぬくと暮らしてきた元商人は生物学的に敵うわけがない。
 さらになにより、この相手には一度ぶん殴られたことがある。痛いのは嫌いではないがそれはベッドの上の話で、日常生活での痛いのは嫌いな部類だった。そしてそれを、何の予告もなくやってくる相手は特に苦手だ。
 あのときは勘違いだったし謝罪ももらったが、今回のこれは理由がわからない。だから余計に怖い。ついでに先程思いっきりぶつけた頭も痛いし目も回ったままだ。いや、むしろどんどんひどくなっている気さえする。
(やばい)
 ずいと伸びてくる手から避けるようにうずくまる。
 ちょっと、という声と落下するような感覚を最後に、視界にすとんと帳が下りた。

***

「じゃあお大事に」
 そう言って部屋を出て行く眼鏡の医者に、ありがとうございましたと礼を言って扉を閉め、溜息を一つ落とす。忘れないうちに鍵をかけると、再び重ための溜息がこぼれた。
 振り返った先は、結構滞在してきた慣れてきた宿屋の自室だ。ベッドの上には控えめなブランケットの丘ができている。その中身が先程からの溜息の原因だった。
(本を正せば俺なんだが)
 また溜息が出た。これで三度目だ。いかんいかんと首を振り、備え付けの椅子を寝台のそばに持っていき、静かに腰を下ろす。
 視線の先、濃緑の髪に白い包帯を巻き、消毒薬の香りを僅かに漂わせながら眠っているのは、ついこの前出会ったばかりのミッドランダーの青年だった。こちらの落ち度で迷惑をかけてしまったので謝罪しようとしたはいいもの、これまた上手くいかなかったためもう一度会う機会を探していたのだ。
 幸いにして青年はウルダハの冒険者街に居を構えていてたびたび戻ってきたりしていると聞いていたため、再会はすぐに叶ったのだが、声をかけた途端どういうわけか逃げられてしまった。
 筋を通さないと気が済まない自分は当然のごとく追いかけた。だが相手は冒険者で、しかもこの街を根城にしているからかとにかく追いつけない。そうこうしているうちに自分も熱が入ってしまい、ゼラの生活で培った狩猟技術を存分に発揮してしまった。その結果がこれである。
 足を滑らせたか何かしたのか、少し先で転倒した彼は、思いっ切り壁にぶつかった。慌てて駆け寄ったが、打ち所が悪かったのか気を失ってしまったので、大急ぎで自分が取っている部屋に運んで医者を呼び、そして今に至る。
 やって来た医者は「頭だから一晩様子を見た方が良いけど、まあ冒険者だし大丈夫でしょう」なんて軽いことを言いながら手早く処置していったのだが、あれから全く目を覚ますそぶりはなかった。ただ、起こすわけにもいくまいし、起きるまでここを離れるのも気が引ける。
 うーんうーんどうしようか、と真面目に悩んでいたところ、ふと彼の眉が僅かに動いた。
「……!!」
「……? あー……いまなんじ……?」
「夜の九時を回ったところだ」
 寝起きであまり舌の回っていない質問にそう答えると、相手は「んー……」と掠れた声で唸りながら頭に手をやる。そして包帯を不思議そうに触ったその直後、ぴた、と固まった。
「……ちょっと?」
 ゼンマイの切れたおもちゃのように止まってしまった相手に声をかけたら、今度は突然弾かれたように起き上がった。そして止めるまもなくベッドから下りようとした——のだが、へなへなと床に座り込んでしまう。
「おっおい」
「あんたなんなんだ」
 まだ目眩でもしているのだろうかと慌てて椅子から立ち上がり、また寝台に戻してやろうと手を差し出したら、震える声とともに振り払われてしまう。少しばかり悲しくなったが、あれだけ追いかけ回してしまえば当然だろうと考え直し、せめて同じ目線になるようにしゃがんだ。
「その、本当にすまない。追いかけたのは、危害を加えるつもりでもなんでもなかった」
「……」
「ちゃんと詫びをしたいと思ったんだ、本当だ。あの時は中途半端で終わってしまったから」
 それ以上は言葉を重ねず、ただじっと相手の言葉を待つ。
 寝台に背中をつけてこちらからできるだけ距離を取り、警戒心むき出しで出口やら窓やらを見ていた彼だったが、それでも根気よく待っていたら次第に身体から力が抜けていくのがわかった。
 あらためて手を差し出すと、今度は払いのけられなかったので、脇の下を抱えてよっこいしょと持ち上げて寝台に座らせる。
「一晩安静にするように、だそうだ。頭を打ったらしいから」
「あー……」
「本当に申し訳ない」
 布団の中に潜り直す彼に、床に座ったまま深々と頭を下げる。勿論これだけで許してもらえるとは思わないし、別途あの時の詫びもさせてほしいと続けたら、「あんたなあ」と先程より数段落ち着いた声が聞こえた。
「もうちょっと肩の力抜いた方が良いぜ」
「え」
「詫びはもう要らない。あれだろ、酒代足りなかったってこと気にしてるんだろ」
「あ、ああ」
「あんたが金を出したって事実があればそれだけで十分だ。だからこれ以上あんたが謝る必要はないよ。……酔っ払っててちゃんと言ってなかったな、悪い」
 逆に謝られてしまい、は、と気の抜けた音が口から出た。
 だが、今回のこればっかりは自分に非がある気がしてならない。してほしいことがあったら何でもすると伝えたら、彼は考える素振りを見せたあと、に、と口元に緩やかな弧を浮かべる。
「なんでもいい?」
「俺にできることなら」
 笑みが少し深くなった。何故か妙なざわめきが背筋を伝ったが、その正体は未だによく解らない。
「このベッドとあんた、一晩貸せ」
「……は?」
 そして言われたこともよく解らなかった。帰れないからベッドを貸せというのは解るが、自分もと言うのはどういうことだろう。
 言われたことを頭の中でこねくり回していたら、彼について調べていたときに街の人間から聞いたことを思い出し、ざ、と血の気が引く。
「まさか」
「違う」
 すると彼はさも面白そうに笑った。
「友達の家族に手なんか出すか。抱き枕になれってだけだよ。俺はだれかと一緒じゃないと眠れない質でね」
「そ、そうなのか」
「そう」
 だからホラ、と端に寄ってぽんぽんと寝台を叩く彼に従い、服の埃を払ってからおっかなびっくり潜り込む。
「よし。手貸して」
 彼は言ったとおり抱き枕にするつもりなのか片腕を抱き込んできた。添い寝なんて妹や一族の子供達にしかしたことがなかったからやけに緊張してしまうが、彼の方はこちらのことなどまるで知らず、もぞもぞと寝良い体勢を探しているようだった。
 やがて落ち着いたのか動きが止まり、ふうー、と満足そうな溜息が聞こえてくる。
「おやすみ」
「お、おやすみ……」
 挨拶をした数秒後、寝て起きたばかりだというのに深い寝息が耳に届いた。チラリと視線を遣ってみれば両眼はしっかり閉ざされている。
 なんて早さだと舌を巻いているうち、寄り添う体温に自分もまた眠たくなってきた。今日はやたら体力を使うことが多かったから、身体が疲れているのだろう。
 仄かな消毒液の匂いに包まれながら、自分もまた目をつむる。
 多分明日の朝びっくりするんだろうなあと思いながら、ゆっくりと意識を眠気に委ねた。

三度の飯が好き

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