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エタバン後 
お仕事している中身のない話

 腰が痛い。
「え? なに? 街のルガディン一気食いでもしたの?」
「は? してません」
「そのぐらいで痛めるなんて君にしては珍しいねえ。年?」
「だからしてません。まだ年でもないつもりです」
 苦虫を五匹ほどまとめて噛みつぶした顔で答えると、相手は「そっか」と実に素っ気ない返事をして再び手元の書類に目を落とす。謝罪もないのかこの男はと睨むが気付いていない。いやもしかしたら気付いていないふりをしているのかもしれない。この男なら十分あり得る。
「じゃあどうしたの、怪我? 有給取ったら?」
「今からとってもいいですか? ……ああこの件はうちの分隊が対応済みですね」
「だーめ。……んー本当だ、お疲れ様。承認承認」
 さらさらと小気味の良い音を立ててサインが描かれていく。渡されたそれをくるくると丸め、カーバンクルに持たせてそれいけと送り出し、元気よく駆けていく後ろ姿を見送りつつ新たなファイルを手に取った。
「座りっぱなしで腰がいたいって言ってるんです」
「あっそういうこと? やっぱり年じゃん」
「年じゃない」
 俺が年ならあんた骸骨でしょうと言ってのけたら、珍しい眼鏡姿の上司は——そう、残念なことに上司なのだ——ぎゅむっと目を瞑った。顔の全てのパーツが中央に寄っている。実に情けない。
「うぇー手厳しいよぉ」
「そっちが先に仕掛けてきたんでしょうが」
 噛むなら噛まれる覚悟を持てというのはこの世の常識だ。
 しょぼぼ、という効果音が聞こえてきそうな程には肩を落とした上司を尻目に、手元の書類をざっと眺める。また蛮神の討滅依頼だ。それも急ぎ。融和がなされつつあるとはいえ、頑なな一派は未だにこちら側に対する抵抗が根強い。部族の多数が融和を望むようになったため、以前に比べればさほど頻繁ではないが、それでもぽつぽつと舞い込んでくる。人同士でさえ諍いは絶えないのだから、きっとこれからもなくなることはないのだろう。
「……動ける部隊は他にいましたっけ。甲士以上で」
 だが、らしくない感傷に浸るのはここまでだ。何々なんのはなし、と覗き込んできた少甲佐はすぐに何の案件か気付いたらしい。
「んー、僕の手持ちだと一つ以外いないかな、みんな元気よく冒険してるから。君のところは?」
「さっきまで一ついたんですけどね」
「振り分けちゃったかあ」
「振り分けちゃいましたね」
「じゃあだめだねえ」
「ちなみに少甲佐どのの一つっていうのは」
「君」
 ここ一週間で一番大きな溜め息が出た。薄々解っていたことではある、ラザハンが立ち直りつつあり、新天地として月、さらには宇宙の果てまで道が開かれたのだ。冒険者であれば誰だって行く。そして特殊陸戦隊はその冒険者が主な構成員だ。つまりはこうして今現在、グランドカンパニーの仕事にかかっている人間の方が珍しい。
「わかりましたよ、行きますよ……」
「うーん最高の部下を持てて僕とっても幸せ」
「俺は最悪の気分ですけど」
 さりさりと自分のサインを入れると耳元に手をやる。しばらくの呼び出し音ののち、聞き慣れた低い声が鼓膜を震わせる。
『なんだ』
「寝てた? おはよう」
『寝る。オヤスミ』
「もうちょっと起きてて。討滅のお手伝いして欲しいんだけど」
『いつだ』
「今日これから」
 狼の唸り声のような音のあと、もにゃもにゃもごもご、と言葉になっていない文句が聞こえる。微かに混じる「みー」という小さな声は、彼が最近連れて帰ってきた茶トラが鮮やかな仔猫の声だろう。彼が文句を言うたびに猫の鳴き声が聞こえてくる。まるで会話でもしているか、宥められているように聞こえて思わず口元が緩んだ。
『……わかった。いく』
「ありがとね! 座標は後で送るから」
『んー』
「愛してるよダーリン」
 たっぷり待ったあと、ようやく聞こえてきた『オレも』という返事に気を良くして通話を切った。
 半分寝ぼけてはいるものの、やるといったことはやってくれる男だ。なんだかんだ言いつつ着てくれるだろう。
「ということで俺も出てきます。今日中には終わると思いますが直帰しますので」
 手元の書類をとんとんと纏めて、バインダーに仕舞う。途端に少甲佐が文句を言い出した。
「えーやだ一人にしないであと僕も旦那くんに会いたい」
「あっじゃあ来ます? 俺癒やし手やりますよ」
「うーん死にたくないのでやっぱりお留守番するね」
 がんばって、とひらひら手を振る上司を置いて、傍らに置いていた魔道書を腰に提げる。他の人員を募る必要はないだろう。
「ではお疲れ様でした。お先に失礼します」
「はーい気をつけて。デート楽しんで」
「言われずとも」
 少しばかり元気がなくなった上司を置いて執務室を出る。あれもう出られたんですか、というちょっと失礼な言葉に苦笑いを返しながら詠唱する転移魔法は、心なしか弾んでいた。

三度の飯が好き

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