剣闘士と商人

剣闘士のキンちゃんと商人の自機のさいしょのはなし 
楽しくなっちゃった

 男というのはいつの時代も荒っぽいことが好きらしい。かくいう自分も男なのだが、店先のケンカとか酒場でのいざこざに遭遇するとどうしてもびっくりして足がすくんでしまうから、休みとなるとこぞってコロセウムに向かう男達の気持ちはよく解らない。
 思えばコロセウムに足を運んだことはほとんどなかった。親も祖父も「ソーサラー出る? 出ないならいい」だの「あすこに行ってもめぼしい客はおらん」だの言っていて、出かけていくことはそうそうなかった。姉だけは「は? 全然行く。本とか客とか知らんし見ててスッキリする」とよくわからないことを言って出かけていたことは覚えている。正直、その考えは今でも理解できていない。
「——でもそれで旦那見つけたんだから、コロセウムも悪くねえだろ」
「それはそうなんだけどさ、やっぱり俺はちょっと——うわ痛そう」
 視界の端で散った赤から慌てて顔を逸らす。対モンスターならまだギリギリ見ていられるが、人の斬り合いはやはり苦手だ。どちらも人だから勝っても負けても痛みが想像できてしまう。
「ったぁー情けねえなあそれでも男かよ」
「男だよ。あんただって生魚捌けないくせに」
「魚は関係ねえだろが」
 悪かったって、とご機嫌を取ってくる太い腕に好きにさせる。この男もウルダハの民の例に漏れず闘技場での催しが好きで、一晩明けた後や宿屋に行く前に寄っていた。今回はたまたま、本当にたまたま「じゃあせっかくだし行ってみようかな」という気紛れでついてきてみたのだが、やはりというかなんというか、視線がどうしても中央に行かない。
「にんげんやばん、ぜったいむり。あんな重たいのよく持てるね」
「本しか持ったことねえしなお前。あとチンポか」
「それは持つものじゃなくて握るもんでしょ」
 他愛のないやりとりをしながら、ホラ次、と示された指の先を追う。太くて節くれ立った見た目とは裏腹に、器用に動くハイランダーの彫金師の指は、次の組み合わせで出てきた剣闘士を指していた。
「最近下積み終わって出てきた奴なんだと。なかなかやるって話だぜ」
「へー。エレゼン? 珍しいね、ハイランダーとかじゃないんだ」
 尖った耳に、斜めに走る傷にもかかわらず整った顔立ちは離れていてもよくわかる。女性の人気も高いのか、観客席からにわかに黄色い声援が上がったのが聞こえた。が、自分としては正直なところ顔ではなく、夜を思わせる青灰色の肌と、爛々と輝く金色の瞳が気になった。盛大に名乗りを上げることもアピールすることもしないが、湛える闘志はぴりぴりとこちらの肌に伝わってくる。
「……もしかしてフォレスターとは違う?」
「その通り。もっと珍しいシェーダー族だってよ」
「へえー初めて見た」
 シェーダー族は洞窟や森から出てこない少数派と聞く。ゆえにエレゼン族の数多いグリダニア以外で見かけることはほとんどなく、そのグリダニアですら目にすることは希だという。そんなシェーダーの彼が一体どういう事情があって剣闘士などしているのだろうか。少しだけ興味が湧いた。
 こちらの興味など知るよしも無く、シェーダーの青年はゆっくりと前に進み出た。相手は人間で、体格の良いハイランダーだ。それぞれが戒めの鎖を解いて準備をする——かと思いきや、シェーダーの青年は両手に鎖が絡まったままだ。不自由な状態で腰に提げた剣を抜いて構えている。
「えっえっあのままのでいいの」
「いいんだと。ハンデの分賞金が上がるからってな」
「へ、へえー……」
 一体どうやって戦うのだろう。ハラハラする気持ちと同時に好奇心が沸いて出てくる。
 ドキドキしながら見守っているうちに合図が鳴った。
 砂が舞い、二人がぶつかる。細身のシェーダーの青年が力負けするかと思いきや、互角に鍔迫り合いをしている。手首に絡みついた鎖も全く意に介していないようだ。むしろ相手がそれに執着する隙をうまく利用し、もう一つの武器として使っているようにすら見えた。
 剣術や闘いのことなんてまるで解らない。それでも、シェーダーの青年はハイランダーの相手より優位に立っていることはわかった。岩石と見まごうばかりの背中から素人目にも解るほど焦りが伝わってくる。
 筋力と体格差を生かした猛攻に、シェーダーの青年が一瞬押し負ける。それを逃さず、ハイランダーの剣闘士が大きく踏み込んだ。
 その刹那、それまで硬く引き結ばれていた青年の口元が、初めて明確に弧を描いた。瞳がより爛々と燦めき、コロセウムの灯りを反射して光の尾を曳く。たてがみにも見える濃紺の長髪がなびき、ちらりと見えた犬歯がまるで狼の牙のように見え——
「おい危なっ」
「へ」
 ——た瞬間、相手の手から弾き飛ばされた無骨な剣が、まっしぐらにこちらへすっ飛んできた。

***

「申し訳ございませんでした!!」
 医務室に連れていかれるなりぐいぐいと頭を押し込められて腰が軋む。いつもなら、なんだよ、という文句が口をついて出ているところだっだが、今回ばかりはぐっと我慢した。半分は理不尽な理由ではないと解っているからだ。
 いつも通り試合をしていつも通りぶっ飛ばした剣が、たまたま遠くで見ていた客にすっ飛んでいったのだ。普段なら柵があるのだが、今日に限って偶然改修中で取っ払われていたという不運も重なり、客に怪我を負わせる羽目になってしまった。正直、あの程度の踏み込みで得物をぶっ飛ばされる側も、代わりの柵を用意していなかった側も謝るべきだとは思ったが、直接的な原因を作ったのは自分なのだからしょうがない。
「治療費とクリーニング代は闘技場からお出ししますので!! 何卒!! ほらお前もちゃんと謝りなさい!!」
「……すいませんでした」
「あのそんな、たまたま自分があそこにいただけなので、そこまでされなくても」
 抑えつけられた頭の向こうから聞こえてきたのは、今までまるで縁がないほど穏やかな男の声だった。自分が今まで聞いてきた男は、大抵怒鳴るかがなるか罵るかだったから、こんなに優しい声は聞いたことがない。
「彼にも謝ってもらいましたから十分ですよ。自己責任で観に来てますし」
「そ、それはさすがにですね」
 雇い主が焦っている。その理由はあまり詳しくない自分でもわかった。ウルダハは商人の街だ、相手の弱みや傷を見つけたら、どんな手を使ってでも広げて吸い出すのが常套手段。だからタダよりも高い買い物はないし、こちらの落ち度があるにもかかわらず相手に金を出してもらうなど、後から何を要求されるかわかったものではない。
 なんとかと食い下がる雇い主に、客はしばらく悩む素振りを見せた後、「じゃあ」と言った。
「彼の名前を聞いてもいいですか。彼の口から」
「は……? あ、ええ、はい、そういうことでしたら」
 今度はぐいと背中を掴んで起こされる。相変わらずこちらのことなんて考えちゃいない。
「ほら早くしろ」
 ずいと押された先、この部屋に入ってようやく見る事ができた相手は、自分のそれよりも随分と綺麗で清潔なベッドの上に腰掛けていた。中肉中背、ごくごく普通の商人といった風体のミッドランダーの男だ。随分前に見てそれっきりの、森を思わせるような深い深い緑色の頭が印象深い。清潔な服についた赤黒い染みが目立つが、頬は彼が言ったとおり治療師に治してもらったようで、真っ白い布があてられている。
 髪と同じく、深い緑の穏やかな目が笑う。
「あんたの名前は?」
「えっ……と、キンバリー、です」
「へえ。キンちゃんだ」
「……?? いやキンバリーだけど」
 コラッ、と嗜めるような雇い主の声がした。しかし男はそれを笑って抑えると、よっこいしょ、とベッドを下り、そしてこちらをじっと見上げてきた。
「金色だ」
「は?」
 意図がつかめなくて聞き返したら、突然頬を両手で挟み込まれる。暖かい感触にどうすればいいのか解らず固まっていたら、ぐっと近くなった緑色が更に笑った。
「見たことない、綺麗な色だね」
「何が?」
「あんたの目」
「その話いるか……?」
 考えていることがよく解らない。どんな受け答えをすれば正解なのかも読めず、キンバリーはただ考えたことを口にする。
「テメェこそ傷は大丈夫なのか? ほんとに金要らねえのか?」
「うーん、そうね、もう少し粘って多めにもらおうと思ったけど、いいや。やめた」
「なんで?」
「綺麗な目見せてもらったから満足しちゃった」
 頬から温もりが離れる。未だどういうことなのか理解していない自分に、男はまた笑った。
「人も待たせてますし、俺はこれで。お金は本当に要らないので気にしないでください」
「はっえっ」
「彼も狙ってやったことじゃないでしょうし、あんまり叱らないでやってあげてくださいね。では良い夜を」
「ちょっと」
 雇い主が止める間もなく、男はまるで布のようにすり抜けて医務室を出て行く。為す術もなく見送ることになった雇い主は思いっ切り苦い溜息を吐くと、キンバリーを見上げてきた。
「……請求次第じゃ年季伸びるぞ、覚悟しとけ」
「そんなもん来ねえと思うけど」
「馬鹿たれ」
 感じたことをそのまま言うと、腹をバチンと叩かれる。
「ウルダハの商人がタダでいいって言うときはな、相場の十倍搾り取る準備ができたってときだ。優しい顔に騙されんじゃねえ。あーなんとかして金策しとかんと……」
「…………」
 それでもあれは本当だと思うけどな、という言葉は噛みつぶし、雇い主に鎖を引かれるがまま部屋を出る。
 ふわりとくすぐった森の残り香は、すぐに離れて消えていった。

三度の飯が好き

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