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小話 なんもねえ 
魚食いてえなって思った

「……ぁあああ無理! 泳ぐ!」
「ア!?」
 突然だった。黒渦団の船を大甲士の名前と肩書きにものを言わせて借り受けて、誰も人の来ない沖合まで走らせて海釣りをしながら、釣果を捌いては食べ捌いては食べする。そんな静かな休暇は、スポットに碇を下ろして一時間も経たないうちに幕を閉じた。
 静かに隣で釣り糸を垂らしていた男は、なんの前触れもなくそう叫ぶと釣り糸を巻き上げ、キーンが止めるまもなくだぽんと澄み切った海に飛び込む。揺れた水面に船が煽られ、餌に釣られてきていた魚影が散った。
「オイコラァ!! テメェ!!」
「我慢できなくなっちゃったー」
 思わず放った罵声に、沈んでいた影が波間に浮く。
「魚逃げちまったじゃねえか!」
「すぐ戻ってくるって、大丈夫大丈夫。俺も獲るし」
 そう返すと、いつものヘラヘラした笑顔はとぷんと水の中に消えた。こうなっては罵倒も届かない。諦めたキーンはまたよっこらせと椅子に腰をかける。
 船を揺らしていた波が鎮まるまであまり時間はかからなかった。飛び込んでいった奴が言ったとおり、散っていった魚影がおそるおそるといった風に垂らした餌に寄ってくる。ちょいちょいと軽く上下させてやれば、我慢ができなかった中くらいの一匹がさっそく食いついてきた。
「よっ」
 釣り上げてみたらなかなかの大きさだった。たしか生でいけるものだった気がするが、こういうのは食べる前に確認を取っておくのが一番だ。船の下で海を満喫しているであろう奴に見せようと、針に引っかけたまま立ち上がる。
「おーい釣れたぞ」
 だが、覗き込んだ水面の少し離れた先に飛び出したのは、自分の釣ったものよりも一回り大きな魚だった。狙い違わず頭を銛で突かれた魚に遅れて、緑頭が上半分だけ浮かび上がってくる。前々から「俺泳ぐの好きかも」と聞いてはいたが、早々に魚を仕留めてみせるまでになっていたとは驚きだ。重力がない分向いているのかもしれないと一人で納得するも、その感心はあっというまにしぼんで消える。
 ぷかぷかと、まるでおとぎ話の引っ込み思案な人魚のように波間に浮いた顔がこちらを見ている。
 口元ははっきり見えなかったが、その弧を描いた両眼は確かに「ちっさ」と言っていた。
「——よーしわかったなるほどそういうことかなるほどな」
 それならこっちにだって考えがある。
 キーンは魚を生け簀に放りグローブを直し、餌箱からぷりぷりに太ったとっておきの虫を選んでくくりつけ、一呼吸置いてキャストした。狙い通りに着水した浮きを見つめつつ、時折揺らしながらリールをゆっくりと巻いていく。
 すぐに大きめのアタリがあった。くんっと引っ張り、確かな手応えを感じながら、糸を切らないようにリールを巻く。やがて水面を持ち上げるかのように現れたのは、先程よりも丸々と肥えた大物だ。なかなかお目にかかれない高級魚の気がする。
 ほらみろ勝ったと思った途端、まるで見計らったかのようにすぐそばに濡れた何かがボテッと墜落する音が聞こえた。
「……」
 それは頭に穴を開けた一抱えもある大物だった。はっと水面へ目をやると、またあの「ちっさ」と笑う瞳と視線がかち合う。
「……ッッッッテメやってやろうじゃねえかーーーー!!」
 咆哮と同時に緑頭が再び潜る。足先が水面を蹴ったのと、キーンが釣り竿を振ったのはほぼ同時だった。

三度の飯が好き

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