とある新人の場合

モブ視点 悩み事を相談しに来たよ 
エタバン後

 小隊の隊長は怖いと聞いていたがまさかここまでとは思わなかった。
 扉越しでも聞こえてくる罵声に怒声、さらには何かを蹴り飛ばすような音すらする。内容はよくわからないが、無茶な任務を押しつけられて怒り狂っている——ように聞こえなくもない。
 冒険者部隊と言っても軍事組織であることには変わりないのだ、できることなら「絶対相談する!!」と目を輝かせていた先週の自分を拳で殴って止めてやりたい。執務室の前で、ただただ後悔の渦に巻き込まれながら立つこと数分間。扉の向こうの空気がようやく静かになり、蝶番が軋んだ。
「——えーっと、お待たせしてごめんね~」
 現れたのは鬼のような形相をした将校——ではなく、ミッドランダーの女性だった。何もしなくても全身から「無害」「友好的」「博愛」という空気が漂ってくる髪の長い人だ。干しぶどう並みに縮み上がっていた心臓が、その女性の柔らかい声音で普通のぶどう程度には戻った。
「隊の治療師をしてるセシリーって言います。相談の子ね?」
「はっふぁい」
 慌てて自分でも敬礼を返す。たぶん恐ろしく不格好だったとは思うが、それでもセシリーはにっこり笑って言った。
「うーん新鮮な敬礼。安心するなぁ~」
「オイさっさと入れろ」
 だが、後ろから飛んできた低い声に、ようやく戻ってきた心臓が再びミュッと縮んだ。さっきまで暴れていた声だ。
「はいはいごめんなさーい。ほら、どうぞ~」
 入りたくねえ。
 でも入るしかない。ゴクリと生唾を飲んで、恐る恐るセシリーが開けてくれた扉へ歩を進める。
「失礼します!」
 腹から出した声は見事に震えていた。名と階級を名乗って敬礼し、恐る恐る真正面の気配に視線を遣る。
「おう」
 誰が聞いても不機嫌とわかる声を出したのは、夜の狼のような人間だった。
 夜明け前の空のような濃い青灰色の肌に、同じく夜に浮かぶ雲のような色の髪。そこに浮かぶ切れ長の目は、満月にも似た濃い金色だ。耳が尖っているところからエレゼンなのだろうが、肌や髪の色からしてめったに目にかかれないシェーダーだろうか。黒影の民という名にも納得の、夜に紛れそうな佇まいだ。間近で見るとこんなにも物静かな圧がある。もちろん先程までの印象もあるが。
 その黒影の隊長は、じろりと自分を見下ろして言った。
「——あ? 何ボケッとしてんだテメェ。さっさと座れ」
「しししししつれいしました!!!」
「うるせえ。あと謝らなくていい」
「しっ……!! は、はい……!」
 言われたとおり慌ててソファーに腰掛ける。それにあわせて、隊長も自分の椅子にどっかりと座った。
「で? 相談ってのはなんだ」
「え、えと、その、自分は剣術士を希望していたんですが」
「あー、そういやこの前の訓練にいたな。筋は良かった」
「へぁッ光栄です! そ、その、希望していたんですけども、先日の実地で召喚術を拝見しまして、キャスター職にも興味がその」
 ほんの少しだけ、隊長の目が開かれたような気がした。
「最近の実地訓練ってえと……修練所のか?」
「は、そうです」
「あー、それ隊長ですねぇ~」
「ほぁ!?」
 まるで知らなかった。人数が多かったのもあってよく見えなかったが、一目にして心を奪われたあの鮮烈な風がこの隊長の操るものだったとは。
 先程までとはまた違う動きをし出した心臓を抑えて話を続ける。
「それでその、できれば巴術も学びたいと思いまして……ただ、知り合いにもおらずどうすればよいのかと」
「今までの教官さん見てみたんですけど~、肉体派ばっかりだったんですよね~。あれじゃ取り合ってくれる人いなかったでしょ~」
 セシリーの助け船にうんうんうんと頷く。志望が志望だったためか、今まで師事した教官は皆が皆筋金入りの肉体派だった。コロシアムの街というのも影響しているかもしれないが、とてもではないが巴術という単語を出すことは憚られる空気があったのだ。
「なるほどな。今まで魔術を見たことは? この前のが初めてか?」
「は、はいそうです。上官から巴術だと聞いて、巴術士の隊長を探したのですが連絡がつかず……」
「まあキャスターの隊長格なんて基本そうだわな。冒険だけじゃなくて研究にも時間使ってっから」
「ねー」
 なるほど門前払いを喰らい続けたのはそういう理由だったのか、と腑に落ちた。しかし納得はできたものの、それならますます望みは薄いかもしれない。諦めた方が良いのだろうか、そう肩を落としかけた時、顎に手を当てて考えていた隊長が「よし」と言った。
「オレは魔術教えんのには向いてねえが、そういうのやれそうな……いややらされてそうな召喚士を一人知ってる。このあと時間は?」
「あ、あります! 今日の分のカリキュラムは終わらせましたので!」
「上出来。紹介してやる」
 に、と隊長が口角を上げた。予想外の表情に面食らったが、なんとか「ありがとうございます」と頭を下げる。
「紹介状書くからちっと待ってな」
「はい!」
 これで希望が見えた。相談して良かったと心底ホッとする。この隊長も、態度こそ怖いものがあるが実際は優しい人なのだろう。
「おし行くぞ。セシリー」
「はーいあとはお任せを。あ、隊長これも持ってってくださいね」
「んだこれ」
「黒渦とやった件の報告書です、締め切り間近の。逃げようったってだめですよ。明日隊長いないんですから今日中にお願いしますね~」
「ヴォッ……」
 ——などと、一瞬エレゼン族から出てはいけない音が出ていたが、きっとそうに違いないのだ。

***

 リムサ・ロミンサは目映いぐらいに晴れている。
 青い海に青い空、そして太陽の光を反射する白い石畳は、ウルダハ出身の自分からすると異国情緒の具現だ。行き交う海鳥の鳴き声や潮の香り、漂ってくる香ばしいソースの香りや呼び込みの威勢の良い声は、浮き足立つような空気を作り上げている。
「おし行くぞ。迷子になんなよ」
「はい!」
 隊長はずんずん進んでいく。だが、こちらの歩幅に合わせてくれているようで、まるきり置いて行かれるようなことはなかった。さらには折角だからということで、いくつかの都市内エーテライトに交感もさせてくれた。見た目は怖いがやはり優しい人だ。
 やがて着いたのは、赤と黒の旗を掲げた黒渦団の司令部だった。隊長は既に顔が知られているのか、「おう」と鷹揚に敬礼するだけで通り過ぎていく。やがて見えてきたのは木で作られた重厚な扉だ。使い込んだ軍艦の色にも似たその扉を見て、再び心臓が暴れ出す。
 セシリーは、「君が次に会う人は大甲士だから失礼のないようにねー」と言っていた。もっともである。隊長はまるで勝手知ったるという様子で突き進んできたが、ここは他国のグランドカンパニーなのだ。何か粗相をしたら問題になるどころではない。しかもリムサ・ロミンサは海賊の街だから、無事に帰れないということすらありうる。
 だがその懸念はすぐさま吹っ飛んだ。ずんずん進んだ隊長が、ノックもせずにその扉をズバンと開けたのだ。ヒュ、と妙な音が喉で鳴った瞬間、セシリーが「たぶん隊長が真っ先に失礼するから大丈夫だと思うけど」と言っていたことも思い出した。
「おういるか!」
 挙げ句の果てにはこれである。名乗りも敬礼もあったものではない。顔面から血の気が引いた瞬間、隊長が入っていった部屋の奥で何かが動く気配がした。
「ちょっと、入るときはノックして」
 んだテメェざけんなコラ表出ろや——という罵声を覚悟していた耳にはあまりにも優しい声だった。子供に言い聞かせるような様子さえある。
「いつもしてねえだろ」
「だからいつもしてって言ってるの」
「んなこたどうでもいいだろ。今日は会わせてえ奴がいんだよ」
 いつもこんなことしてるんですか、という悲鳴が出かけたが、自分に話の先が向いたので慌てて背筋を伸ばし前に出る。
「失礼します!」
 敬礼し名前を名乗って視線を上げる。
 大きな窓を背にして座っていたのは、中肉中背のミッドランダーの青年だった。森の木々をそのまま葉先から幹まで移し込んだような、不思議な色合いをした髪がまず目に入る。少し日に焼けたような褐色の頬には、ワンポイントのように鮮烈な赤が差しこまれていて、それがまた不思議と目を引いた。目元はただ穏やかだ。当たり障りのない笑顔だが、商人達のようないやらしさは不思議と感じなかった。
「ようこそ黒渦団へ。ここの大甲士をしてる、ヒラキ・シーウィードです。制服からして訓練中の新人かな? とうぞ座って」
「はっはい!」
「それで、今日はどうしたの」
 赤と黒のコートに身を包んだ大甲士はどこまでも穏やかだった。酒臭くて粗暴なルガディンを想像していたがまるで真逆だ。
「剣術士志望なんだけどな、オレ様の召喚術を見てキャスターも気になってんだと。ただ教えられる教官がいなくてよ」
「へぇー」
 流されている訳ではなく、純粋に感心している様子の声だった。こちらを見ている眼鏡越しの瞳は、まるで動く物を見つけた猫科のように興味津々だ。
「そんでテメェのがそういうの詳しそうだし、折角だから本場のが良いかと思って連れてきた。ホレ紹介状」
「ンー断れない。珍しく要領が良いね」
「あとお仕事手伝って」
「ンー断りたい」」
 なるほどだんだん読めてきた。この二人は前々からきっとこういう気安い間柄なのだろう。こうまでタイプが違うのに仲が良いのは不思議だが、馬が合うのにタイプも何も関係ない。
「じゃあキンちゃ——キーン大闘士からいくつか聞いていると思うけど、改めて聞かせてほしい」
「はい」
「見たことがあるのは彼の召喚術——巴術だけかな? 赤魔法や呪術、幻術、占星術は?」
「え、えっと、ありません。そんなに種類が?」
「あるんだけど大闘士?」
 二人分の視線を受けて、しらね、と本棚を漁っていた隊長——大闘士はそっぽを向いた。
「呪術はウルダハの管轄でしょ? せめて呪術くらいは紹介しなよ」
「テメェは全部やってっから丁度良いなって思ったんだよ」
「それはそっちもでしょ」
「ギルド最近行ってねえし。それに召喚術見てやりてえっつってんだからよ」
 やれやれと軽い溜息が聞こえたがそれ以上のおとがめはなかった。
「……まあいいか、彼の言うとおりとっかかりだし、巴術士ギルドを紹介しよう。希望すれば癒し手と攻め手どちらの進路も取れるしね」
「ありがとうございます!」
「お礼を言うのはこっちだよ。巴術を志してくれてありがとう」
 優しさの中に嬉しさが混じる本気の笑顔に、軍隊にもこういう人はいるんだ、と思わず泣きそうになった。
 感動に震える自分をよそに、大甲士はおもむろに立ち上がると、綺麗に整頓された棚の一角から革のバインダーを取り出す。
「紹介の前に少しやってほしいことがあるんだ」
「はあ」
「これ解いてみてくれる? 簡単な問題。あっ君の評価には直結しないから気楽にやってほしい。巴術は算術が下敷きになってるからね、どの段階から始めるのかを見たいだけだよ」
 渡された紙には、初等教育で習うような算術の計算式がいくつか書かれていた。後ろから覗き込んできた大闘士が「んだそれ、オレの時はしなかったじゃねえか」と唇を尖らせる。
「そりゃ解ってるからね。あと大闘士」
「あ?」
「仕事して。彼が解き終わるまでに二件片付けられなかったら晩飯奢りね」
 再びエレゼン男性にあるまじき声が聞こえた。どたどたどたと忙しない足音が後ろの空間を横切って隅っこで落ち着く。
 これは遅く解いた方が良いのだろうか。そう思っていたら、戸棚に向かっていた大甲士が笑ってこちらを振り向いた。
「気にしないでやっていいよ。彼のためにならないから」
「はっはあ……」
 力関係もだいたい解ってきた、そんな気がする。
 その言葉に甘えて、温かい紅茶までいただいてしまいながら算術の問いを解いていく。昔こういうの習ったなあ、と少し懐かしくなりながらもさくさくと解を書き、「終わりました」と声を挙げたのと、「っだぁー終わった!」と悲鳴混じりの声が聞こえたのはほぼ同時だった。
「二人ともお疲れ様。まずは君からね」
「はい」
 なんだか先生に見てもらうような、そんな気恥ずかしくも懐かしい気持ちを抱えながら渡す。少し緊張するが、ふんふんと答案を追った大甲士はあっさりと「いいね」と言ってくれた。
「これならスムーズに行きそうだ。向いてるかどうかはやってみないと解らないけど紹介しようか」
「ありがとうございます!」
「良かったな」
「紹介状書くから待ってね」
 はい、と頷くと、大甲士は机の抽斗から紹介状と覚しき型の書類を取り出す。
 そこにさらさらと書き出された名前を見て思わず息を呑んだ。
「すげえだろこいつの字。上手えよな」
 なぜか自慢げな大闘士の言葉にこくこくと頷く。これが人間が書いた文字なのだろうか、まるで活版印刷でもしたかのように完璧に整っている。こんなに綺麗な自分の名前を見たのは初めてです、と口にしたところ、大甲士は「照れるなあ」と苦笑いした。
「昔取った杵柄だよ。練習したら誰でも書けるって」
「真円フリーハンドで描ける奴ぁそうそういねえと思うけどな」
「フリーハンド」
「やめてってば。……じゃあ彼借りるね。大闘士はここで残り片付けながら留守番」
 途端、「アァ!?」という轟音が頭上で炸裂した。まるで癪に障った狼の唸り声だ。
「んだよオレがコイツの上長だぞ」
「片付けないと明日の釣り流すからね」
「くぅ……」
 だがすぐ犬になった。
 釣りとは、という視線を向けると、大甲士の悪戯っぽい笑みが返ってくる。
「釣り。この人から誘ってきた釣り。仕事片付けたらって約束だったんだけどね、まったく」
 ちょっとわかってきた気がしたが却ってわからなくなってきた。

 ——その後、大甲士の丁寧な案内と紹介を受け、無事剣術と並行して巴術の門を叩けることになったのだが、そこで大闘士と大甲士が夫婦であるということを知り今日一番の大声を上げることになったのは、ここだけの話である。

三度の飯が好き

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