空のふわふわ

エタバン後 いつぞやの進路に悩んでいたモブが遊びに来たよ 
Q. むーたんは離れると消えるのでは? 
A. 細けぇことはいいんだよ

 曰く、巴術はありとあらゆる自然現象を算術で表現する学問である。
 曰く、巴術士は宝珠の神秘を解き明かした魔紋を用いて使い魔を使役する。
 そして曰く、修練を積むと様々な使い魔を喚び出すことができる。
「……らしいんですけど本当なんですか?」
「は? 本当だよオレだって巴術士やったんだぞ、テメェ先輩かつ上官の話疑ってんのか」
「疑ってるわけじゃないんですけど」
 上官の言葉に、胡座の間に抱えた空色のふわふわを見下ろす。ウサギよりも大きな耳、猫よりもぽてぽてとした身体、そして狐よりも大きく三つ叉に分かれた尻尾を持つその空色のふわふわは、こちらをじっと見返してくると、背伸びをして鼻先をくっつけてきた。かわいい。
「こんなかわいいのがそんなことになるんですか?」
「そんなことになんだよ。オレとあいつの召喚術見ただろ」
 一方の上官は、不思議な形をした端末を両手で握り、壁に映し出した映像から目を離さずに答えた。傍らでは同じ形の端末を握ったリビエヌが「んぎゃあ!!」と悲鳴を上げ、その隣では剣術士のクモキリが同様に「万死!! 万死!!」と叫んでいる。
 昼下がりの休憩時間、だれかが持ち込んできたガーロンド社の機械で一層賑やかな不滅隊隊舎は、出入りするようになってから結構な確率で遭遇する光景だった。
「修練積んで慣れてくりゃそのうちサマになってくんだよ。オレが言うから間違いはねえ」
「サマに」
「色とりどりのカーバンクルになったりなァァアアー!? バッやめろなにしてんだリビエヌ!!」
「ケケケケケさっきの仕返しですゥー」
 ——おおよそ上官とのやりとりではないがこれにも慣れてきた。
 確かにこの大闘士は嘘をついたことはない。巴術士としても修行できるようになっておおよそ一月ほど、不安定だったカーバンクルも安定してきて、ちゃんと言うことを聞いてそばにいてくれるようになったし、障壁だって出してくれるようになった。だが、あの日初めて目にしたような、苛烈な戦闘においても逃げたり後ろに隠れたりせずにともに立っているようなことはまだできない。顔つきすら違う気がする。
「顔つきだぁ?」
「なんかこう……ぽわっとしているというか」
「覇気はないよねぇ確かにトリャーッ!!」
「ギャーッ!? リビエヌそれわたし!!」
 どうやら同士討ちを始めたらしい女子達をよそに、大闘士はじっと空色のふわふわを見ている。大きい手がぼふんと頭に軟着陸し、長い指がワシワシと毛並みを撫で、さらに顎の下もくいくいとくすぐり耳の根元まで存分に掻いたところでようやく、「こんなもんだ」と返事があった。
「こんなもん」
「最初はみんなこんなぽわついた顔だってこったよ。オレのもそうだったし、オレの嫁のもそうだったんじゃねえか。その頃のは見てねえけど」
「見てないんですか」
「初めて会ったときからあんな闘志が強そうな顔だった」
「闘志が強そう」
「強そうだったろ」
 まあ確かに、と唸る。
 思い起こされるのは先日の合同演習で初めて目にした大甲士のカーバンクルだ。自分のカーバンクルとはまるで正反対の燃え盛る炎のような紅蓮の毛色は、突然現れた予定外の大型の魔物にも動揺すらせず、主の隣で仁王立ちして鼻の頭に皺を寄せ威嚇していた。自分の使い魔は、びっくりしたのか二イルムほど飛び上がった後、よじよじと登ってきて頭にしがみつき下りようとしなかったというのに。
「獰猛ですよねえ大甲士さんのむーたん。でも綺麗な色で好きですよ」
「鮮やかな朱だったか?」
「そうそうルビー色って言うかさ」
「仲直りすんの早くねえかもうちっと喧嘩してろよ」
「さっき謝ったんで」
「謝ってねえだろうがオレ知ってんぞ」
 再びガチャガチャしだした大闘士は、それでもちらちらとこちらのふわふわに視線を送りながら続ける。
「テメェは問題なく巴術勉強できてるし、ギルドの方からも報告は上がってねえって聞いてる。だからそんな心配すんな、そのうちできるようになっっっっからァ!!」
「いたぁい!!」
「様ぁないな」
「クモキリひどーい!!」
「っぱ仲直りしてねえじゃねえか」
 だははははと子供のように笑いながら手元の端末を忙しく操作する大闘佐に、使い魔と顔を見合わせる。覇気がないと言われればその通りの顔だが、それでもちょっとだけ前向きな顔をしているように見えなくもない。
「……がんばろっか」
 額の宝石の周りをかりかりしてやると、黒檀のように真っ黒い瞳が気持ちよさそうに細められる。これが本当に自分のエーテルから生み出された物なのだろうかと疑問に思ってしまうぐらいには可愛い。
 誘惑に負けてもちもちとカーバンクルのほっぺをいじくり回していたら、自分もと言うようにもう一匹がこちらの手をすんすん嗅いできた。あまり見たことがない真っ赤なカーバンクルだが、おねだりされたのなら仕方が——
「——あか?」
「は? こっちは青だ何言ってんだテメェ」
「赤いカーバンクルが」
 瞬間、その場の何もかもから音が消えた。
「——ッッッたぁー休憩したした! お仕事しにいくよクモキリ!」
「わっわっ放り投げるな壊れる!」
「じゃ隊長あとはよろしくお願いしますねー」
 あっという間に片付けて隊舎から消え去る女子二人をよそに、未だ端末を握ったままの大闘士は、その端正な顔にいつになく脂汗を浮かべて真っ赤なカーバンクルを見ていた。
「……あの、その、これはだな——」
 だが、その必死な言い訳も、最後まで言い終わる前にカーバンクルの身体から出ているとは思えない威嚇に遮られてしまった。自分の使い魔が肩に登って頭にしがみついてきたが、赤いカーバンクルは大闘士への威嚇を止めない。
「わかったわかった仕事すっからやるから」
 気迫に負けたらしい大闘士がわたわたと立ち上がり、追い立てられながら執務室へ消えていく。追いやったカーバンクルはと言うと、フン、と荒い鼻息を一つ扉にぶつけたあと、鼻に皺を寄せたままてちてちとこちらに戻ってきた。
「わっわっ自分はそのちょうどお休みでして!」
 何か言われたわけでもないが思わず言い訳をしてしまう。
 すると真っ赤なカーバンクルは、その意味が解ったかのように打って変わって「ぷん」と可愛らしい鳴き声を上げると、こちらの膝を枕にしてごろんと横になってきた。
「……か、帰らなくて良いんですか……? あっ、はい、いいんですね、わかりました……」
 代わりに返事をした尻尾に使い魔ともども怯えながら、撫でろと言わんばかりに見せられた白いお腹をおそるおそる撫でてやる。自分でお腹を掻いているつもりになっているのか、ぴょいぴょいと動く後ろ脚が可愛らしい。安心と判断したのか自分のカーバンクルも下りてきたので、二匹まとめてもみくちゃにしてやったら、ふと閉じたはずの執務室の扉が細く開いていることに気付いた。
「あとはたのんだ、おれはにげる」
 覗いた口元がそんな言葉を形作った直後、何かを察したのか手元の赤い毛玉が光の尾を曳きながら執務室へと突進していく。閉じた扉の向こうから何やら悲鳴が聞こえてきたが、休日の自分には関係がないことだ。
「帰るか」
 抱っこされた空色のふわふわは、ただただ可愛らしく「んきゅう」と鳴いた。

三度の飯が好き

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