本当に最初の頃の話
モブのおにいさんと
「なんで?」
それは単純な疑問だった。皮肉でも挑発でも嘲りでもない、ただただ純粋な疑問。氷が溶けたら水になることを初めて知った子供がするような、純粋な問いかけ。未だ子供と言っても差し支えのない、青年期に差し掛かっただけの彼が口にしてもさほど不思議ではないのだが、それでも少しばかり面食らってしまった。
「どうしてって、周りは皆そうだろう。お前のお父さんも、お母さんも、姉さんも」
「周りがそうってだけ? 他に理由は?」
「嫉妬とか、もつれとか、余計なことに巻き込まれずに済む」
「僕はそんな妬かないし、妬かない人選んでるよ。そうしろって教えてくれたのはあんたでしょ」
「それはそうなんだが、いずれそういう人間が出てきたときに困るぞ」
「出てくるかなあ……」
むむ、とベッドの上であぐらをかいて腕を組む裸の彼は、心の底から先程の問いかけを――「いずれは一人に絞れ」という言葉を疑問に思っているようだった。
「姉さんは店継がないんだろう?」
「僕のが向いてるしね。……お店のことは考える、考えなきゃいけないのは解ってるけどさ、僕女の人と寝るのは得意じゃないし」
「寝たのか」
「試しに。いい人だったしまたどうかなって言ってくれたけど、男の人相手のが気が楽だからって断っちゃった」
最初が最初だったからかな、と緑色の瞳が笑う。
(最初、――最初か)
思い返されるのはあの夜だ。酒、雨、祭りの夜の浮つきと、踏み越える要素は揃っていた。そのせいだ、一瞬の気の迷いだとの言い訳は、今日この場という延長線上がある時点で意味を成さないということは重々承知しているし、年上の自分が彼のおねだりに色々と乗ってしまっている時点で何も言えたことではないというのもわかっている。
それでもあの夜はそうさせられたのだ、卵の内から聞こえる囀りに乗せられてしまったのだと思う自分もいた。この、青年になりかけた少年の、ごくごく平凡な身体の内に潜む、魅力と言い換えるにはあまりにも不可思議な引力に、ただ誘われるがまま殻に罅を入れたのだと。
「――あ、別にあんたのせいって言ってるわけじゃないよ」
その胸の内を見透かしたかのように、彼は目を細めて言った。
「僕がいいよって言わなかったらあんたはやらなかった。全部僕がお願いしたことだし。あんたは優しいだけ。ね?」
だからそんな難しい顔しない、と彼の指が頬に伸びる。一瞬だけ撫でた指先は吸っていた煙草をつまみ、傍らの灰皿へ押しつけた。代わりにと言わんばかりにこちらの口を塞いできた柔らかい唇は、啄むようにすぐに離れると、真っ赤な舌先を覗かせる。
「苦い」
「大人の味だ。お前にはまだ早い」
「じゃあ今度教えて」
「教わったってろくな事ないぞ」
「あんたに教わりたい。他の人じゃなくて」
ちろちろと、炎の先にも似た舌が囀る。こちらのことは聞いているようでいて、何一つ意に介さず空を漂う鳥の舌が、耳元を掠っていく。
「あんたの匂い嫌いじゃないし」
「……言ってろ」
「ん、なに、興奮した? いいよ、あんたの好きに、何回でも」
――耳に心地が良いことばかりを歌い奏でるこの鳥は、あの夜自分が孵したのだ。
今際の際の鳴き声にも似た蝋燭の焦げる音を聞きながら、ハイランダーの自分にとってはあまりにも小さな舌を貪って、砂漠の夜は更けていく。
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