モブのある意味横恋慕の話
「――えっまた来ちゃったの? あんたも好きだねえ」
取調室にしてはやけに呑気な声だった。ぼろっちい木のテーブルの上に落としていた視線を上げると、部屋の入り口には赤と黒の制服を着た優男が立っていた。
「またきました……」
「今回でもう三回目だよ。懲りないね」
「へへ」
力なく笑う自分をよそに、その黒渦団の男はコツコツとヒールの音を狭い室内に響かせながら入ってくると、身体を滑り込ませるようにして向かいに座る。
どこまでもらしくない、緑髪のミッドランダーの男だった。海賊の都にあって眼帯もバンダナもしていないし、顔にあるのは傷ではなく真っ赤なハート型の刺青だけ。顎の髭も整えられているし、全体的に清潔感がある。何よりその両目には殺気とか闘志とかそういったものはまるでなく、あるとしたら滲み出ている疲労感ぐらいだ。
彼は入り口で巨躯のルガディンに渡された紙のファイルを広げた。
「えっと……またギルドで暴れちゃった? 今度はなに、お酒飲みすぎたの?」
「あー、その、……たぶん?」
「そうみたいね。飲んだお酒のリスト挟まってたんだけど、飲み比べでもこんなに飲んでる人いないよ」
「うぇえへへ……」
「お酒飲んだら人が変わるって自覚してるんならちゃんと節制しないと」
ぐうの音も出なかった。穏やかな顔から繰り出される正論を顔面で受け止めながらしおしおと小さくなることぐらいしかできない。
――普段は善良な一市民をしている自分がここに居る経緯はものすごく単純だった。冒険者ギルドで深酒をした結果、かっとなってケンカをしてついでに椅子を二つほど壊したのだ。結果その近くにいた黒渦団の人を呼ばれ、一晩拘置所で頭を冷やし、そして酒が抜けたタイミングで詳しい話を聞くためにここにいる、というわけである。
「バデロンさんがすぐ動いてくれたから人死にがでなくてよかったけど、うちの冒険者ギルドは基本みんな気が荒いから飲むときはちゃんと気をつけないと」
「はい……」
「気分は平気?」
「アッはい」
「ふーん、お酒抜けるのは早いのかな? 飲み過ぎるのさえ治せばいい感じに付き合えると思うから、今回からそういう集まり紹介するよ」
はい、と手渡されたのは一枚の紙切れだった。ちらりと読んでみると、「お酒との付き合いかたを考える」というような言葉がつらつらと書かれている。酒に浸りがちな人の多いお国柄だからか、そういったトラブルを防ぐために考案された施策なのだろう。
「今日の手続きで予約も入れるように伝えておくから、ちゃんと行くんだよ」
「は、はい……」
きっと行かないと思うけど、という言葉は心の中に仕舞いこみ、ただただ従順な酒に弱い一市民の仕草をする。
――そろそろのはずだ。前も昼下がりのこの時間だった。そわそわと浮き足立つ気持ちをなんとか隠しながら、最早事実確認に等しい取り調べをただただ肯定して待つ。
「失礼します」
重たいノックが聞こえたのは、そろそろ取り調べが切り上げられようかというタイミングだった。はたと顔を上げると、薄く開いた扉から先程のルガディンの身体が見えている。
「隊長、縄を」
「ああ、うん、そんな時間か」
隙間から彼へと手渡されたのは束ねられた太い縄だった。ずっしりと重みのあるそれを受け取った彼は、手慣れた様子で検めたあと、片手で支え、もう片方の手をそっと被せる。
薄暗い部屋に、ぽう、と光が滲んだ。彼の手から縄へと徐々に広がっていく。
「――うん、これでよし」
縄全体が淡く光ったところで彼は手を離した。
「吊ってきて。立ち会いよろしくね」
「アイアイ」
きびきびとした動作で縄を受け取った部下は、黒渦団の敬礼をすると扉を閉めた。重たい軍靴の足音が遠ざかっていくと同時、立ち上がっていた彼が再び椅子へ腰掛ける。
「途中にごめんね」
「あっいえ」
「確かお金の話までしたんだっけ。ここから先は覚えてる? 覚えてるっていうのもちょっと複雑だけど」
「は、はい、だいたいは……」
「それじゃあ係官呼んでくるから待ってて」
彼が再び立ち上がった。来たときのようにヒールの音を響かせながら取調室の出口へ向かい、開ける。
「もう来ちゃだめだよ」
に、と困ったようなそうでないような曖昧な笑みを残し、彼は部屋を出て行った。ひらりと翻る赤と黒の裾が扉で遮られ見えなくなる。
「――ッはぁ……」
途端に熱い吐息が出た。
やっぱり最高だ。たまらない。思わず顔を覆ったことで、手首に繋がれた鎖が机にぶつかってじゃらりと音を立てる。
(見れた、今日、見れた)
前回は悲しいことに見られなかったが、今回は運良くタイミングが被ってくれた。
やっぱり普段からそういうのを相手にしているだけある。見た目や雰囲気が優しいからみんなチョロいなんて勘違いしがちだが、全くの正反対だと思っている。
(あの人がいちばん厳しい)
さっきの縄は絞首刑に使うそれだ。リムサで暮らす人間であれば誰だって一度は見たことがある。掟を破った者達の中でも、いっそう極悪な海賊を縛り首にするものだ。そして彼は縄が切れないようにエーテルを込め、更にその絞首刑の許可を出している。この平和になりつつある世間、グランドカンパニーの隊員ですら人の命を奪うこともなくなっていると聞く中で、自分の取り調べと全く変わらない表情で、ためらいもなく、悪人とは言え命を奪う命令を下している。
その、他人の命になどまるで重きを置いていないと言わんばかりの様子を見たら、もうどうにもたまらなくなってしまった。初めての酔っ払い騒ぎはそういったことも何も考えていない全くの不手際だったのだが、二回目と今回はそうではない。
「はあ……」
また会いたい。彼が命を奪う瞬間が見たい。この酒癖を治してしまったらきっと会えなくなってしまう。自分のことを考えて提案してくれたのはとても嬉しいが、そうではないのだ。
(次はどうしよう)
流石に頻度が近いと疑われるに違いないし、哨戒してくれた集まりとやらにもまるきり行かないというのもメンツを潰してしまうだろう。もう少し時間を空けた後がいい。
――いや、それよりも、彼自身にこのくだらない人生の幕引きを託してもいいかもしれない。もちろん今ではないしもっとずっと先の話になるが。
まるで展望の見えなかった人生に一筋の光明が差したかのようだった。彼がいなくなってしまったことで一段暗くなったように感じていた取調室すら明るくなったように感じる。
どうすれば彼に引導を渡してもらえるだろうか、そこらの海賊にでも入った方がいいか、それとも別の手立てを考えるべきか。
いつか来る未来に心が躍る。明るい将来設計は、係官が来るまでずっと続いたのだった。