妖怪つむじ吸い

 義理の弟が奇行をしている。
 今に始まったことではない。ここのところずっとだ。三都市に腰を落ち着けるようになってしばらくしてから目立つようになってきた。最初は猫で、友人が拾ったむちむちころころの仔猫にやられた。凝視していると思った次の瞬間には伏せている。あの長身が瞬く間に伏せるものだから一瞬で視界から消える。当の仔猫には未だに好かれているのかどうか解らないが、「猫だからそれがいい」と静かに笑いながら言う様は正直恐ろしい。
 そして今。
「キンちゃんやめなー仕事の邪魔だよ」
「んー」
 義弟は今、つむじを吸っている。
 人間の男のつむじである。猫ではない。そもそもこの義弟は猫を吸うということをしない。「猫に無理なことはさせたくない」とか気持ち悪い思いやりを見せる。だがその代わりなのか何なのかそれとも妙な物質を嗅ぎ取っているのか知らないが、最近一緒になったばかりの成人男性をひっ捕まえてはつむじをふこふこと吸っている。しかも無心でだ。
「んー」
「どいて」
「んー……」
「……どかないならそっちの紙とって」
「ん」
 膝の上に人間を載せ、つむじに鼻を埋めたまま、言われるがままに紙の山からひょいひょいと目当てのものをとっては机の上に広げている。だがやめろというお願いだけは聞いていない。耳から追い出しているのかもしれない。珍しく仕事を持ち帰ってきて身動きができないのをいいことに、がっちりと抱え込んで離そうとすらしていない。
「……そこから何か出ているのか?」
「ア? 何言ってんだテメェ」
 好奇心に負けて聞いてみたらこれである。まるで解せなかったので緑の頭越しに一発ぶん殴ったら、「ひょ」という小さな悲鳴が聞こえてきた。
「俺越しで暴力振るうの怖いからやめてよー」
「言っても離さないだろう、こいつは」
 レジーの言を受け、取られるとでも思ったのか、ずも、とシェーダーの顎が緑色の頭に埋まった。じとじとした金色の瞳がこちらを睨んでいるのが気に食わなくてもう一発、今度は確保されている人間に配慮して軽めに入れる。ふぎゃ、という悲鳴が抱えられている側から聞こえたのは、衝撃に弱いからだろうということにした。
「抵抗すればいいのに」
「俺がキンちゃんに力で勝てると思う?」
「口で勝つだろう」
 その気になれば軽めの一言で沈むはずだ。というか沈んでいるのをレジーは何度も見てきている。拳を振るうことなく簡単に倒せるのはある意味とてもうらやましい。
 しかし彼はできる範囲で首を振った。
「それはできるだけしないって決めた」
「なぜ?」
「さすがに可哀想になっちゃって」
「そうか?」
 レジーは首を傾げた。可哀想とかそういった感情をキーンに抱いたことはあまりない。もしあったらあんなに徹底的に叩きのめしてなどいない。優しいやつだなと感心していたら、後ろの二つの目玉が相変わらずじとっとこちらを見据えていた。
 どうやら邪魔だと言っているらしい。だが今日はロロが居ないからどこかに行く予定などなかった。そもそも家族だから一緒にいたって何ら問題はない。それに見ていて面白い。
 無言でのやりとりをよそに、抱えられている当の本人はさかさかと目の前の紙類を処理していく。そして、あいかわらずしがみついているキーンを見上げて言った。
「キンちゃん」
「んー?」
「これキンちゃん宛だからね。このまんま抱っこしてるつもりならあとでちゃんとやってね」
「…………」
 返事がなくなった。手がちょっと震えている。葛藤しているらしい。そもそもあんなしち面倒くさいものと比べるものではないと思うのだが、キーンの中では違うようだ。
「キンちゃん、返事」
「…………ヴー」
 それは返事ではなく唸り声だと思うのだが。
 つくづく我が義弟はよくわからない生き物になったものだ。脆くて鋭い剃刀のような仏頂面の男が、情けなく腹を見せる狼のような愉快な顔をするようになるとは正直予想もつかなかった。最も、自分かあ家族と呼べる人間を作ろうとしたこともレジーにとっては想定外だ。
「なあキーン」
「んだよ」
「後で私にも嗅がせろ」
 せっかくならそんな気分にさせる不可思議なものを自分でも体験したいと思ったのだが、言った瞬間に狼さながらの威嚇をされたのは言うまでもなかった。

三度の飯が好き

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