トラウマスイッチ中の自機
くっつく前だけどなんやかんやと面倒を見てくれるキンちゃん
部屋に入り、ベッドの上がもぬけの空——というのを見ても、だんだん驚かなくなってきた。
いやさすがに最初はびっくりするが、見るべきところがわかっているだけでも気分はだいぶ違ってくるし、実際そこにいてくれるから、前以上に慌てることはなくなった。
そして今日も、ベッドの上は毛布の抜け殻だけがある。
キーンは吸いかけた息を止めると、静かに足を進めてベッドに近づく。ベッドと壁の間を覗き込んで目的のものを見つけて、そこでようやくゆっくりと鼻から息を抜いた。
「あー、こっちか」
その一言で、ほんの少しの隙間にはさまっていたもの——淡い色の病衣に包まれた背中が、びく、と震えたのが見えた。
「寒くねえ? 身体痛くねえか? あの寝袋持ってきたほうがいいか」
小刻みに震えだしたのにはわざと言及せず、持ってきたものをそっと小机の上に置いてベッドに腰掛ける。触れたマットレスは冷たい。きっと夜からずっとここに、隙間にいたのだろう。
「……ぁ、う、あ、きん、ちゃん」
しばらくののち、背中が発したのはそんな音だった。ん、と先を促すと、震える呼吸を隠せないままに言葉が紡がれる。
「きょ、きょう、……きょう、天気、いいでしょ」
「ああ」
「だ、から、——だから、おれ、おれのとこ、じゃなくて、ぼ、冒険、いっといで。お、おれ、ここ、ここにいるから、だいじょうぶ」
「それも考えたけどな、あんまいい話ねえんだわ。だからこっちにいる」
「そ、そう、ごっ、ごめんね、ごめん……」
「いんだよ」
答えながら、素早く部屋の備品に欠けがないかをざっと目で見ていく。特におかしいところはないし、本人の呼吸もただ怯えているときのそれだ。厭な臭いもしない。隙間でじっとしているだけなら、何か手を打つ必要はない。
「布団直しちまうぞ」
よっこいしょと腰を上げ、すっかり乱れてしまった毛布を掴んだ。この具合から察するに、きっと夜中に恐怖に押しつぶされそうになってしまったのだろう。藻掻いて、暴れて、どうしようもなくなってこの隙間に逃げ込んで、それからずっとここで隠れていたのかもしれない。
キーンやカームを呼べばいいといつも言っているのに、迷惑をかけてるからこれ以上はかけたくないと頑なだ。自分もカームもできるだけ見に来るようにはしているが、それでも届かないことはある。それがどうしようもなく悔しいが、表面に出さないまま口の中で噛みしめる。
ばさ、と広げられた布団の音にすら震える背中を横目に整えてしまうと、机に固定されたランプのオイルを補充する。元通り鍵のかかる戸棚にしまったら、朝の仕事はもう終わりだ。
「終わったぞー」
戻りたくなったらいつでも戻っていいからな、と再び隙間に目をやる。だが、キーンの耳が拾ったのは、引きつった呼吸でも、震えた声でもなく、控えめな吐息だった。できるだけ音をさせないようにベッドに乗り上げて見てみたら、そこに丸まっていた身体は膝を抱えたまま、壁に凭れて眠っていた。
拍子抜けしたが、一晩中起きていたなら無理もないだろう。抱え上げて寝床の上に乗せてやることも一瞬考えたが、この男がこうなっているときは頑なにベッドを嫌がるから、起きるまでそっとしておいてやることにした。ただ冷えてしまわないように、そばの椅子にかけてあった毛糸のカーディガンを持ってくると、小さくなっている身体にかけてやる。
——もどかしい。はがゆい。焦る。怖い。
何かしてやりたいのに何もしてやることができない。怖がっているのにその恐怖を断ってやることもできない。拾い上げてやりたいのに踏み込めない。踏み込みあぐねているうちに、前よりはマシになったとはいえ、目の前の人間はどんどん小さくなっていく。
「……ッはぁー……」
こみ上げてくる感情をすべて噛み砕いて溜め息に換える。少なくとも今はまだ口にするべきではない。カームが、レジーが、そして何より本人が抗おうとしているのだ。盾役のくせに自分が踏みとどまれなくてどうするのか。
キーンは極力音をさせないように椅子を持ってくると、ここ最近ですっかり読み進めてしまった本を引き出しから出す。
小机の上、持ってきたあめ玉の瓶から一つつまみあげると口に放り込み、からころと転がしながら、乾いた頁を一枚捲った。