リムサについてからちょっとしたぐらいのころ
ぽぽちゃんにはいつもお世話になっております
「おはよう!! 今日もかわいいねえ!!」
勢いよく開け放たれた扉と一緒に飛び込んできた勢いのいい声に、作業の手が一瞬止まった。しかしその声がいつもの声であること、昨日も扉を勢いよくぶち開けられたことを思い出して、またかりかりとペンを動かす。
「ちょっとー返事してよぉー」
凄まじい勢いで部屋に飛び込んできた小さな気配は、ブーブー言いながら椅子のそばに来た。そこでようやく視線を紙面から動かす。
「ぽぽちゃん、俺今日忙しいって昨日言ったよ」
「言ったっけ? でも一緒にご飯食べに行く時間はあるでしょ」
「もう食べちゃったよ」
「えらーい!」
「なんでそれだけでそんな褒めるの……」
「だって偉いじゃん! この前まであんま食べられなかったでしょ! えらい! かわいい! いいよーその調子でいこ!」
まくし立てられる褒め言葉に、はぁ、とやや呆れ気味の溜息を落とした。そしてまた、数字が羅列された紙へと視線を戻す。
こちらを見上げる小さな頭の持ち主は、海都で自分を救ってくれた恩人のララフェルだ。冒険者をしているのにこうして毎日自分が取った宿屋の部屋にやってきては、謎の褒め言葉をばらまいていく。ひたすらに「かわいい」「えっち」「キュート」「えらい」と言いながら寝床でぼるぼる暴れているそのさまはまるで別の生き物だが、こんな生き物でももう一人の恩人曰く「実際やる、すごい」らしい。まるで想像がつかないし、そんな冒険者が何故毎日毎日、ここにやってきてはこうして暴れていくのだろう。暇なのだろうか。
「なになに? 今何やってんの?」
「税関公社のお仕事」
「へーえらいね! あたしあんまやったことないや」
「ぽぽちゃんもいたの?」
「いたよだいぶ前! でもねー外まわりの方が好きでそういうお仕事蹴ってた」
「外回り」
「ええとね強制執」
「だいたいわかった、ありがとう」
きっとその現場は嵐のさなかのようだったに違いない。少しだけ同情してしまった。
小さい身体は数字いっぱいかいてんねーと言いながら、いつもの定位置であるベッドによじ登る。
「それ終わったらさー服買いに行こ! 可愛い服買お!」
「ぽぽちゃんの?」
「きみの! かわいいの着よ! そろそろ寒くなるしさーもこもこしたやつ! おじさんが買ってあげようね!」
「いいよそんな自分で買うよ」
「えーやだ」
やだってなんだ。
足をぶらつかせながら唇を尖らせる彼女はそれからしばらく黙っていたが、またボッと飛び出していく。その先は部屋に備え付けの小さな本棚だ。
「あっ本変わったじゃん! いいねー」
「まだまだ駆け出しだけどね」
「いいよいいよーこの調子でいこ」
彼女がしゃがんだ先にあるのは、この前巴術士ギルドでもらった魔導書だった。今までの仕事の内容や研究成果、そして魔力量から、もう一段階上のものを使っても良いだろう、という許可と共にもらえたのだ。こういうのは得した気分になるし、何より純粋に嬉しい。
「こういうのタダでくれるって気前良いよね。ウルダハだったらお金取ってたよ」
「まー巴術士ギルドは人増やしてる最中だしねー。提督からも言われてるし、そこらへん手厚いよ。錬金術やってる人たちは自分で作ってるけど。そっちのが馴染みがいいから」
「んーやっぱりそうだよね……」
「オッなにつくる!? つくっちゃう!? 錬金の先生紹介しよっか!?」
「……まあそのうちね」
インク壺に羽根ペンを浸け、余分な液を落として紙に走らせる。その感覚が、数ヶ月前までなじみ深かった作業とダブった。
自分で作った方が馴染みが良い、それは十分理解している。たとえ入門用の魔導書であっても、選りすぐった素材と錬金術師によるオーダーメイドで性能は跳ね上がるのだ。それが自分のエーテルが染みこんだ物であれば尚更だろう。巴術を本格的に学び、冒険者の端くれとして走り出した今となっては気にならないと言ったら嘘になる。
しかし、今はまだ、あの砂を踏めるとは思えない。どうしても忌避感の方が勝ってしまう。
「そっかぁーじゃまた今度ね」
それを知っているから、こうしてあっさりなんでもないことのように流してくれる彼女の態度が逆に助かった。
「アッおとといあげたやつじゃん!」
その彼女は再びボッと射出されるとベッドに戻り、愛用させてもらっている寝間着を引っ張り出した。すさまじい勢いで往復運動をする様は巨大なゴム鞠かなにかのようだ。
「着心地良くていいねそれ、ありがとね」
「どういたしまして~! じゃ今度パジャマパーティーしよ! ユー奴もよんでさあ!」
「そのうちね、そのうち」
「あたしシャンパン飲みたい!」
「だからそのうちね」
止まらない話に適当に相づちを打ちながら最後の数字と結論を書き込むと、上から下までざっと計算して確かめる。特に齟齬はないことを確認し、余計なインクを吸い取って乾かすと椅子から腰を上げた。
「終わった?」
「終わった。出してくる」
「じゃあその後買い物ね!」
「行ってあげるけどあんまり買わないでよ、お腹痛くなるから」
「お腹痛くなっちゃうの!? かわいいねえ!」
「なんだそりゃ」
ますます可愛いの基準が解らなくなったのは言うまでもなかった。
そして、書類を提出したあと約束通りマーケットに行ったはいいものの、案の定お腹が痛くなったのも言うまでもなかった。