しりもちの日

初めて会ったときの話 
お腹がすいたときに書きました

「わぷぅ」
 突然鼻が潰された。予想もしなかった衝撃にたたらを踏み、そのままべったんと尻餅をつく。腕に抱えたカーバンクルがギィと文句を言ったのが聞こえたが、尻から伝わってくる衝撃にご機嫌取りも何もできない。小さい頃の尻餅ならまだしも、大人になってからの尻餅はいささか響くものがある。
「った……」
 にじむ涙と痛みを堪えていたら、ずも、と頭上に影が差した。そういえば壁にしては柔らかい物にぶつかった気がするし、そもそもあそこには壁なんてなかったはずだ。自分はいったい何にぶつかったのか気になるというのもあり、目をしぱしぱさせながら顔を上げる。
 まず目に入ったのは棒、いや足だった。革のぴっちりしたボトムスを穿いているいやに長いその直線を上までたどると、やけに高いところにある腰と添えられた青灰色の手が見える。どうやら人だったようだ。
「おい」
 その腰は、腹の底に響くような低く不機嫌そうな声を出した。
「は」
「んだテメェ、ずっとぼんやり座ってんじゃねえよ。腰抜けたか?」
 声が落ちてきたのはもっと上だった。首をぐぐぐと曲げてようやく、遙か高みからこちらを見下ろす視線が見えた。
 お月様だ、と思った。夜空に浮かぶお月様が二つ、真っ直ぐこっちを捉えている。こんなに綺麗な金色の瞳も珍しい。耳が尖っているからエレゼン族なのだろうが、宵闇に浮かぶ雲を思わせる肌の色はフォレスターでは見かけたことがない。きっと噂に聞くシェーダーという種族なのだろう——が、その端整な顔立ちには明らかに不機嫌と不満と苛立ちが圧を伴って滲み出ていた。
「ェあ、えっと、す、すいません……」
「あ? なんでテメェが謝んだ」
「だ、だってぶつかったから——」
「はあ?」
 眉間の皺がますます深くなった。声もドスが利いている。最近は絡まれることはなかったのになあ、と何もかも諦めて、恐らく降り注ぐであろう罵声ないしは暴力を耐えようとウナギのように暴れ出すカーバンクルを抱えて目をつぶる。
「——キーン?」
 だが、割り込んできたのは暴力でも何でもない、最近よく聞くようになった声だった。芯のある低めの女性の声におっかなびっくり目を開けると、エレゼン族の青年の肩越しに白髪と褐色が覗いている。
「あ、あれ、姐貴……?」
「そこにいたのか。小さすぎて見えなかった」
「あ? んだこいつ知り合いか?」
「知り合いも何も今日の仕事仲間だよ。召喚士を連れてくると言ったろう」
 ほら、と差し出された褐色の手を掴む。タコのある、力強くも温かい手だ。
 足が浮くんじゃないかという勢いで引っ張り上げた女性——レジーは、いつもの勇ましい笑みを浮かべた。
「立ち話もなんだ、腹ごしらえしながら打ち合わせといこうじゃないか」
「えっあっうん……」
「お前はさっさと用事を済ませてこいキーン」
「言われなくてもしてくるっての」
 キーンと呼ばれた彼は長い足でずんずん遠ざかっていく。話の内容からして、どうも今日の仕事に一緒についてきてくれる人だったらしい。
(最悪の出会い方しちゃった気がするけど……)
 どうリカバリーするかはこれから考えよう。
 レジーに案内された卓は既に料理でいっぱいだった。美食の都の名前に相応しく量も質も抜群な食事は、見ているだけでも心が元気になってくる。
「……あのさ姐貴」
 いただきますと手を合わせ食前の軽い祈りを済ませた後、さっそく目の前のパスタをよそいながら尋ねると、肉にかぶりついているレジーは視線で答えてくれた。何事も情報収集だ。もしかしたらこのあと世話になるかもしれないし、話を聞いておいて損はない。
「さっきのシェーダー君て、姐貴の友達?」
 真っ白い歯が肉を引きちぎって、もしゃもしゃと豪快に咀嚼して飲み込む。
「弟」
 たっぷり間を取って放たれた単語に、思わずフォークを取り落としそうになったのは言うまでも無かった。

三度の飯が好き

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