レモネード

「ほい」
「ヴォッ」
 日課のトレーニングを終えて一息吐こうとした、ちょうどその時だった。ミストヴィレッジにしては珍しくからりと晴れた昼、芝生を踏んで近づいてくる二足と四足の足音には気付いていたのだが、まさか火照った頬に氷のような冷たさが突き刺さるとは思わず、キーンは腹から妙な声を出した。
「てめなにすんだ」
「飲む?」
 こちらの言うことには何も答えず突き出されたのは、陽を受けて薄く琥珀色に輝く飲み物が入ったグラスだった。無遠慮な手の主のことの態度はいつものことなのでこれ以上何か言うことはせず、素直に受け取る。余った片手で胡座の間にここぞと入り込み丸くなるふわふわの塊を撫でながら、陽に透かしたり傾けたりする。
「んだこれ」
「レモネード。あっついから飲みたくなって」
「トレーニング頑張ってるオレのためではなく?」
「俺が飲みたいから」
 しれっと言ってのける緑色の瞳にそういう奴だったわと心中で唇を噛みしめながら、飲んでみて、という視線に促され口をつけた。
「……ン」
「おいし? そうだよねー俺が作ったから」
「まだなんも言ってねえけど、でもまあ美味い」
 胡座の間に新たに加わりもみくちゃになりだした毛玉ふたつを撫でながら、今度は一気に飲み干す。納品物でよく作っているからだろうか、それとも調理師としての腕前がなせるものなのか、しっかりとレモンの酸味と爽やかさ、そして苦みを活かしつつ、ほのかな甘みが喉に心地よく飲みやすい。
「納品してるやつとなんか違うな。紅茶か?」
「うん、ちょっと入れてる。美味しいでしょ、俺の家の隠し味」
「レモンティーじゃない理由は」
「お茶っ葉の節約」
「ハーン」
 商人の家なら然もあらん、と納得しながら口の中に転がりこんできた氷も食う。「うわ凄い音」と顔をしかめられたが、運動したばっかりで身体が熱いんだと構わず平らげる。
「そんなに食べるとあとでお腹痛くするよ」
「子供じゃあるまいし壊したことねえし。――美味かった、ありがとな」
 すっかり空になったコップを「ほい」と返す。返された方は、いまだ三分の二ほどが入っているコップに口をつけながら「ん」と受け取り、家の塀に腰をかけた。そのままここで飲むつもりらしい。猫の一方がどぅるりと抜けだし、一目散にそちらへ駆けていく。
「朝に買い物行ってきたんだけどさ、たまたまレモネード売ってるの見て、ちょっと懐かしくなったんだよね」
「懐かしくなった?」
「小っちゃい頃に小遣い稼ぎで売ってたことあるから」
「その時から金が大好きだったんだな」
「今も大好きみたいなこと言わないでよ」
「嘘ァ言ってねえだろ」
「逆に聞くけどお金嫌いな人っている?」
 その心底疑問に思っているような瞳にキーンは思わず笑ってしまった。確かに嫌いな奴はそんなにいないだろう。
 胡座の間を独り占めして、太股を踏み踏みし始めた縞の仔猫を撫でながら、時折聞こえるごろごろという音に耳を傾ける。最近ようやくうまく鳴らせるようになってきたようだが、それでもまだぱらぱらと拙い音が大半だ。
 穏やかな昼だった。今までの生活からはとても考えられない。きっと長続きはしないのだろうし、諦めだってついているが、それでももう少し続いてほしいと思ってしまう程度には、少し遠くで飼い猫の猫パンチに押し負けている男に毒されてしまっている。
「たまにはこんなんもいいな」
「あ、気に入った? また作ろうか」
「ん」
 キーンは鷹揚に頷きつつ、うとうとし始めた仔猫を片手で掬い上げた。
「腹減った。メシ行くぞ」
「奢りならいいよ」
「はァ? わかった」
「いいの? 言ってみるもんだなあ」
 強制的に股の間に割り込んでいた飼い猫を「よっこいしょ」と退かしてついてくる小柄な気配の足音を聞きながら、キーンは住み慣れて久しい家の扉を押し開ける。
 日はまだ高い。外食するなら絶好の天気である。この時間ならあの店か、それとももう少し奥のあすこがいいかなんて考えながら、キーンは投げて寄越されたタオルを受け取った。

三度の飯が好き

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