不滅の猟犬

 とんでもないことになった。
 倉庫の中、小さい頭を抱えて更に小さく縮こまる。ララフェルの身体は隠れるのにぴったりで、まさかこういう場面で感謝することになるとは思わなかった、せめてもうちょっとよい場面で活かしたかった。
「オラァ!!」
 おおよそ木の扉からしていい音ではない音と怒号が下から聞こえてきた。声を出さないように口元を抑えながらさらに小さく小さく木箱の奥に身体を押し込める。断続的に聞こえてくる何かを破壊するような音に身体が跳ね上がるが、それも必死で抑えこむ。何せ相手が相手だ、この程度の気配は容易く嗅ぎ取ってしまうに違いない。だが外に飛び出すにはもう遅すぎる。
(なんでこうなった)
 リスクは低いはずだった。そして今までもそれなりにうまくやれていたのだ。黒渦団の張っていた網もかいくぐっていたし、顧客だって口が硬かった。今回も、地図に載っていない島で商品の受け渡しをするはずが、そこに待っていたのは黒渦の雌狐だった。鷹目の見張りがそれを見つけ、慌てて引き返したところで待っていたのは不滅隊。咄嗟に逃げ出したはいいものの目敏く見つかり、こうして手頃な倉庫に駆け込んでいる。
 それなりには稼げていたし、これからもそのままやっていくつもりだったのに、盛り上がってきたところで嗅ぎつけられてあっというまにご破算だ。せめて冒険者のように転移魔法が使えれば良かったもののと、適性がなかった自分の身体をここまで恨んだことはない。
 ずんずんずんと荒っぽい足音が近づいてくる。踏みしめられた階段がみしみしと不吉な音を立てる。
「ッふぅー……どこだァどこにいやがる」
 怖い。ドスの利いた声に心臓が縮み上がる。不滅隊のガサ入れなんてもう少し事務的なものではなかったのか、その筋の人間がやるようなものではなかったはずだ。
 みし、みし、と軋む床が近づいてくる。捕まったらきっとタダではおかないだろう。けしかけた手下があっさり返り討ちに遭ったのをついさっき見ている。あんな、歯を剥き出しにした真っ黒い狼みたいな男に捕まったら何をされるか十分に想像がつく。
「隠れてんじゃねえぞオレの休日ぶっ壊しやがってよォ!!」
 隠れている木箱のむこう、すぐ目の前の床が何か硬いものにずがんと抉られた。その衝撃で尻がちょっと浮く。ぶるぶる震える手で口元を抑えるが、いつまで持ちこたえられるか正直自信が無い。
 いっそのこと楽になりたい、そんな情けない思考が頭の中をよぎった。
(いやだめだだめだ)
 そんなことでどうする。一山当ててやると心に決めたはずだ、ここはなんとしてでもやり過ごさないとならない。
 そうこうしているうちに目の前の気配が動いた。どうやらさらに奥へと向かったらしい。とりあえずは一息吐いても良さそうだ、また戻ってくるかもしれないが一度探した場所だからきっと見過ごしてくれるだろう。
 僅かに肩の力を抜いて、きゅっと膝を抱え直す。
 ドスドスドスという足音がまた戻ってきて通り過ぎ、もう十分だと思えるほどに待ったあと、意を決してずりずりと隙間から這い出す。ほこりを巻き込んで出た先の倉庫は、窓から差し込む光でオレンジ色に染め上げられていた。駆け込んだのは昼だから想像以上に長い時間が経っていたらしい。だがこれで不滅隊の奴らも諦めただろう。
「――よう」
 だがその期待は、飛んできた低い声にぶつかって淡い泡沫となってはじけ飛んだ。
 蛇に睨まれた蛙のようにがっちりと固まった首を何とか動かして後ろを向く。
「かくれんぼは終わりか」
 振り返った先の暗がりには、二つの黄金色と、剥き出しになった犬歯だけが浮かんでいた。

***

「見事な働きだったな!」
「うっせえな耳元で叫ぶんじゃねえよ」
 普段の彼なら上官に向ける言葉ではなかろうと叱責を飛ばしているところだったが、今回の獲物にはたいそう上機嫌だったらしい。特に咎めることもなく、ははははと快活に笑いながら肩を叩いてくる。
「なんにせよ貴官のおかげで膿が一つ片付いた。今期のは期待してくれ」
「少なかったら承知しねえからな」
「なんなら大闘士に昇進も」
「ぜってえ嫌だ」
 鼻に皺を寄せて威嚇すると、上官――スウィフト大闘佐は「功績としてはもう十分なんだが」といいながらも渋々引き下がる。隙あらば昇進を捻じ込もうとしてくるから油断がならない。勿論、昇進すれば貰える給金が格段に上がるというのは理解しているが、思い浮かぶのは知り合いの目の下の隈である。所属している組織が違うし、あいつはあいつで仕事に好かれ断れないタチだから、キーンが昇進したところで同じような憂き目に遭うとは限らない。だが、そんな仰々しい肩書きなんてそもそもまっぴらごめんだった。邪魔だしかさばるし、余計なものを運び込むからだ。
「釣り合いが取れて丁度いいと思うんだがな」
 しかし、肝心の上官はまるで解っていなかった。そもそも大きな商家の息子であり、現在若くしてこの地位にいる時点で、肩書きなどあって当然のもので羽織る上着程度にしか考えていないのだろう。
「んなもんハナからいらねえよ」
「いや連携の面でな、いちいち上を挟まなくても良くなるだろうから迅速に回るなと」
「今日のも結構迅速だったと思うんだがなァ!?」
 思わず力を込めて握った羽根ペンが不穏な音を立てた。
 だって今日は休みの日だったのだ。冒険にも出ず、勿論仕事もなく、ただぬくぬくと寝床で転がるだけの一日の予定だった。それが突然、枕元に置いていたリンクシェルに叩き起こされた。話を聞いてみれば飛び入りの仕事だという。なにも自分でなくともと呻いたところ、返ってきたのは少し前に担当していた尻尾が掴めそうで掴めなかった黒い噂だった。誰からと聞けば、その目の下に隈を作っている大甲士からだという。そしてその返事には、ご丁寧に港への到着予測時刻まで添えられていた。
 斯くしてキーンの休日は露と消え、やりたくもない隠れ鬼をする羽目になった。腹いせで下手人を丁寧に丁寧に追い詰めたが、それで恨みが消えるわけではない。
「あいつがあすこにいりゃ十分だろ」
 同じようなことをされているのはキーンに限った話ではないと聞く。あれだけ手元に仕事を抱えておいて、他人に振った案件を事細かに覚えているのは異常である。
「オレに同じ事ができるわけねえし」
 すると上司はすっとぼけた顔をする。
「何も同じことをしろと言っているわけではない。貴官が直接話を受けられれば楽になるというだけの話だ」
「誰が?」
「私が。おかげで今日の万羽券が飛んだ」
 うるせえよと吼えた結果、今度こそ羽根ペンが粉砕された。天引きしておくぞという不穏な一言を残し、スウィフトは相変わらず満足げに部屋を出て行く。
「クソが」
 低く唸りながら換えのペンを出し、やたらと綺麗な字で整えられた資料を眺める。
 最後に記された見慣れた名前にありったけの愚痴をぶつけながら、キーンはペン先にインクを含ませた。

三度の飯が好き

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