バレクラ / pixiv
——熊がチョコボのぬいぐるみをだっこしている。
ユフィがその光景を見て最初に思ったのはそれだった。それしかなかった。宿屋の一番広い男部屋で、次の行動を決める話し合いに、たまには顔でも出そうかなんて除いた途端に目にした光景がそれだった。
あぐらをかいているバレット、そのあぐらの中に横座りですっぽり収まるようにして座っているクラウド。道中いつも意見がぶつかりやすい二人が、なぜかセットで、しかも密着して座っている。さらに作戦会議の参加者は、それをさも当然通常の光景として受け入れている。そのせいで気づくのがまず遅れた。次に、だっこされているクラウドが、すでに部屋着でうとうとしていたので、つっこみを入れるのがさらにためらわれた。
「あ、あのさ、なんで抱っこしてんの」
ユフィが自分の思ったことを口に出せたのは、会議があらかたまとまりを終えて、男子部屋恒例らしい部屋飲みへ移行したときだ。そのときはすでに、クラウドはバレットの服を掴んで、完全に寝入ってしまっていた。バレットが大声で笑っても喋ってもお構いなしだ。そしてバレットの方も、ごく自然というか手慣れた様子で人一人を抱え、好きに飲んでいる。そのホールドの仕方はいっそ見事で、バレットのパーツの一部のように見える。
「あ? なんだお前まだいたのかよ。子供は寝る時間だぞ」
「子供じゃないっつーの! で、なんで抱っこしてんの」
ひとまず威嚇し、再度同じ質問をぶつけたら、バレットは一瞬きょとんとした顔をしたあと、ひょいと目線を下に——穏やかに眠るクラウドに落とした。
「お前知らなかったのか? こいつ、うとうとし始めるとあっちこっち行って危ねえんだよ」
「あっちこっちって」
「あっちこっちだよ」
酒が入っているバレットはとことん陽気である。普段なら「うるせえ」の一言で片づけてしまうような話にも応えてくれた。
「あれだ、あれ、ウータイの……ダルマ? みてえによ。気抜くと後ろに倒れて頭打っちまうから、こうしてやりゃあ安全だろ、な」
部屋に戻せばいいじゃんか——という反論はなぜか出てこなかった。それほどまでに手慣れていたし、クラウドはクラウドで、野宿の時のような警戒心に満ちた寝方ではなく、完全に気の抜けた寝顔だったからだ。本人達がいいなら、そして周りがもうすでに「これはこういうもの」として受け入れていることなら、彼女が口を出したとて、なにが変わるとも思えない。それに、変えようとも思わない。何より、二人と一緒にいて一番長いはずのティファも、つい最近加わったばかりのシドも、茶化すでもなく、注意するわけでもないあたりで、これはもうそういうもの、なのだろう。
「……うん、まあ、そっか、ありがと」
「お? 素直だなお前、いつもの跳ねっ返りはどうした。疲れてんならさっさと寝ろよ、明日は氷河だぞ」
「あー、……そだね、寝るわ。おやすみオッサン」
「おうよ」
相変わらずクラウドを抱えたまま酒瓶を振り上げるバレットに手を振り返して、ユフィは酒臭い部屋を脱出し、一足先に自分の部屋へと戻っていった。
***
片手で抱えながら部屋の鍵を開け、そして電気を点けるのはもう手慣れたものだ。酔っぱらっていてもできるくらいである。
すうすうと寝息を立てるクラウドの身体を落とさないようにして自室に帰ってきたバレットは、完全に夢の中に入ってしまっている腕の中の体をそっとベッドに下ろした。
「……おっと?」
だが、体を起こそうとしてふと止まった。クラウドの右手が、しっかりバレットの服を掴んでしまっている。
しょうがねえなあと溜息をついてその手を解いてやろうとしたら、端正な眉がきゅっと寄った。その顔が表している表情は端的に言うと不機嫌そのものだ。なんだよ不満かよとしばらく格闘していたが、その力は思いの外強くて、起こさないで剥がすのは無理そうだ、という結論に達した。
「わぁったよ」
一人ごちて、バレットは熟睡しているクラウドの体を少し向こうに押しやった。そして空いたスペースに自分の体を滑り込ませる。どうせ同室だし、他のメンバーは別の部屋だ。明日起きたら思いっきり文句を言ってやればいい。
——そういえば、マリンも昔こんな事があった。あの時はいつまでも、機嫌が治るまで頭を撫でてやったものだ。こいつも口を閉じていれば、年相応——いや、それよりも僅かばかりに幼く見える。
懐かしくなって、ふわふわと遊ぶ金髪に手を伸ばしたのは完全な思いつきだった。わずかに興味もあった。この奔放なチョコボ頭のくせに意外と気を使っているらしく、起きているうちにさわったら何を言われるか解ったものではないからいまのうちに、という軽いそれだ。
細く穏やかな呼吸を繰り返すクラウドを起こさないように、極力静かに、そして優しく、バレットはその金髪に手を埋めた。
「……おお?」
思いの外柔らかい、というのにまず声が出た。つんつん跳ねているものだから、てっきり何か使ってセットでもしているのかと思ったがそうでもなく、太い指がすんなりと埋まる。単純にコシの強いくせっ毛だったらしい。
さわっても全く身じろぎすらしないのをいいことに、半ば浮かせていた手をそのまま埋めた。僅かな明かりを受けてきらきらと光る金髪を、このときばかりは素直に綺麗だなんて思ってしまう。
そのまま指を滑らせて撫でてみる。それでも起きないし、寝言も言わないことに、バレットは改めて驚いた。
——普段、皆を引っ張る牽引役になっているからかどうかは知らないが、宿屋に泊まったときのクラウドは思いの外早寝で、しかも熟睡型だ。夕食を終えて一風呂浴びたらあと一時間も起きていられればいい方だ。それでも作戦会議に出ようとするのは誉められた根性だが、もちろんの事途中で撃沈する。
見るに見かねて「こっちこい」とホールドしてやったら、それが思いの外収まりがよくて今まで続いてきたのだが、まさかここまで起きないとは思わなかった。
(まあなあ、いろいろあったからなあ……)
ここ最近のめまぐるしい変化を、そしてクラウドがちらちらと見せ始めるようになった不安や恐怖、怯えの表情を思い返し、少し苦めの溜息を吐く。今までさんざん喧嘩したり言い合ったりしてきたが、こいつが抱えているものは想像以上に重たくなっているのかもしれない。
せめて夢の中ではちゃんと休めりゃいいんだが、と、柄にでもないことを考えて、バレットはすこしだけ強く、ただし優しく頭を撫でてやる。
「……お」
瞬間、ふ、とクラウドの顔の険が取れ、引き結ばれていた唇がゆるんだ。そういえばこいつの笑顔なんて今まであんまり見たことが無かったな、なんて思いながら、バレットはなおもその金髪に指を通す。
「良い夢見ろよ」
昼間に聞かれたらまず間違いなく嫌な顔をされそうなせりふを呟き、バレットは自分も睡魔に負けるまでずっと、頭を撫でてやっていた。
***
「——んぉ?」
ばさりと本が落ちた音で目を覚ますと、そこはミディールの診療所だった。どうやら知らないうちに眠ってしまっていたらしく、最後に見た記憶のある夕暮れはどこにも見あたらず、診療所は非常用の明かりだけが点いているだけになっていた。
やれやれと肩を叩き腰を伸ばすと、あぐらの上に乗せた体を落とさないよう、ベッドの上の本を拾い上げる。
「どこまで読んだんだっけか?」
だが、バレットの胸板に頭を預け、完全に脱力しきっている体からは、何の返事もない。期待して毎回話しかけてはいるものの、今まで前向きな反応が得られたことなど一度もなかった。
弛緩しきった体に、焦点の合っていない虚ろな目。意味のある言葉などまるで喋れなくなった口は、たまに譫言を呟くか、魘されているような声を出すだけだ。何かの刺激になるかもしれないと、たまにティファを休ませがてら世話を代わって、こうして絵本を読んで聞かせてやったりしているが、クラウドの容態は全く良くならない。
「もう遅えし、今日は寝るか。明日また続き読もうな」
だが、バレットは声をかけることをやめない。体をおいてどこかに行ってしまったクラウドが戻ってくるように、声が聞こえているかのように振る舞い続ける。聞こえていたら嬉しいというのと、聞こえているかもしれないからできるだけ話しかけてくれと、ドクターに言われたからだ。
実際、真偽は定かではないがそういった兆候はあるらしい。よく言われるのは、ドクターや看護師がそばにいるよりも、ティファやバレットがそばにいた方が、少しだけ体の力が抜けるらしいこと。ティファの時は、様々な検査や投薬の時に、僅かではあるがリラックスしているように見えるらしいこと。そしてバレットの時は、一番長く、穏やかに眠っているらしいこと。バレットには正直違いなどは解らないが、毎日診ているドクターには、ちゃんと見えているようだった。
「君たちには体を預けても安心だと思っているのかもしれないね」
そう言われたときは、まさかと思う反面少し嬉しくもあった。
——幼なじみであるティファを除けば、仲間達の中で長いこと一緒にいたのはバレットだ。ふとした癖も理解しているし、戦闘の息が一番合うのも、クラウドの隣に一番長くいたのも自分なのだ。
いつしか、このどこかあぶなっかしい青年の隣は、自分以外には務まらないなんて思うようにもなっていた。それが、仲間達ではなく第三者から保証されたような気がした。
そしてその瞬間、バレットはすとんと理解したのだ。
この感情は、仲間意識とか、信頼とか、そういった綺麗な言葉で表されるものではなかった。
この青年を、一回り以上も歳が違うクラウドを、独占していたいという欲望だ、と。
「ずっと座ってて疲れちまったろ。悪いな」
本をよせて、だらんと力の抜けた人形のようなクラウドの体をベッドに寝かせる。薄い入院着しか着ていない体が冷えないように布団を掛けてやると、どこを見ているとも解らなかった瞳が、ゆっくりと瞼に覆われた。
僅かな部屋の明かりに照らされたその白い顔は、何の表情も浮かべてはいない。あの時のように——さっき見た夢のようにまた笑ってくれやしないかと思ってそっと頭を撫でてみたが、凍てついてしまった顔は柔らかく溶けることなどなく、ただ少しだけ緩やかになった呼吸を繰り返すだけだ。すう、すう、というその寝息のリズムだけがあの時と変わらない。
「……良い夢見ろよ」
あわく輝く金髪を撫で、陶器のように白い額に唇を寄せる。
元に戻ったきっとさせてはくれないだろうなと思いながら、バレットは仕切のカーテンを静かに閉めた。