傀儡回しと猫の王

リブクラ / セフィクラ / pixiv

「セフィロスは来てませんか?」

 それが、リーブが部屋に入って聞く最初の言葉だった。体調を崩していようが元気だろうが、部屋の外だろうが中だろうが、その一言だけは全くぶれることがなく、一言一句、同じ言葉で繰り返された。
「来てませんよ」
 対するリーブの言葉も変わらない。努めて冷静にそう返すと、今日の朝食が載ったトレイを、ベッド脇のテーブルに置く。
 ラッピングされたサンドイッチが二つ、カップに入ったサラダが一つ、そして飲み物。特に多くはない、寧ろ今までの彼から考えたら少なすぎるほどの量だ。
「今日の分です。……食べられますか?」
「……」
 リーブの言葉に翡翠の瞳がテーブルの上にちらりと動き、ややあって、哀しげに伏せられる。
「……ごめんなさい」
「今日はこれだけで良いですから」
「……ごめんなさい……」
「そうですか」
 言葉とともに吐き出したため息は少し大きかったらしい。ベッドに腰掛けた彼はびくりと大きく肩を震わせると、また「ごめんなさい」と零す。伏せられた瞳から怯えの空気を感じ取り、リーブはできるだけ優しく、子供に言い聞かせるように言った。
「冷蔵庫に入れておきますから、夕方までには食べてくださいね」
「はい……」
 彼の声はとても小さかったが、それでも返事をしてくれたことに安堵しながら、リーブは持ってきた朝食を部屋の片隅に備え付けた冷蔵庫へトレイごと入れた。
 はい、とは言われたが、おそらくは今日も食べてくれないだろう。食事を食べたがらないのはいつものことだ。理由は本人も解っていないらしいからどうしようもない。食べさせる方法はなくもないのだが、それは本当に最後の手段だった。何よりリーブ自身がやりたくなかった。
「これなら食べられますか?」
 代わりに冷蔵庫に入れておいた、銀色の包装がされた携帯ゼリー飲料を渡してやると、遠慮がちに手が伸ばされる。
 必要最低限の栄養素だけが入ったそれは、食事も点滴も嫌がる唯一彼が拒まなかったものだ。点滴を嫌がる理由は解るとして、なぜこれだけは食べられるのか、未だに理由は解らない。
 彼はパックを両手で受け取ると、また俯いてぽつりと零す。
「……あの、ほんとうに、ごめんなさい……」
「いいんですよ」
 気にしないでください——と、その髪に伸ばしたリーブの手は、途中でぐっと握りしめられ、また元の位置へと戻っていった。

 ——三ヶ月前の何度目かの再臨。彼ら救星の英雄は星に徒なそうとするかつての英雄を退けることができたが、それは大きな犠牲と引き替えだった。
 一身に期待を受け、人の命を、星そのものを担い続けてきた存在だった、クラウド・ストライフの消失。
 セフィロスコピー・インコンプリート、ナンバリング無し——それが今の彼の名前であり、本質を示す記号だった。
 セフィロスが消えるその直前、クラウドに何を言い、何をしたのかは誰にも解らない。だが、天を覆った黒雲が晴れていき、かつての英雄が消えたそこには、ぐったりと倒れたクラウドが残されていた。そして、彼が目を覚ましたときには、もうすでに「そうなって」いたのだ。
『セフィロスはどこですか?』
『セフィロスは来てませんか?』
 会う人会う人にそう聞く彼は、大空洞での彼そのものだった。セフィロスを唯一の主と考え、己を否定し、セフィロスの為に在るものとして、彼はそこにいた。翡翠をそのままはめ込んだかのような瞳に浮かぶ縦長の瞳孔が何よりの証拠だった。
 彼の心の中にはもう、セフィロスしかいない。リーブが割り込む余地すらない。会話はできるし素直ではあるが、それは操るセフィロスがいないからだということを、リーブは理解していた。

 ちゅる、と控えめな音を立ててゼリー飲料を吸い上げるクラウドは、今日も食欲そのものが乏しいらしい。半分ほど飲んで、諦めたように口を離してしまった。困ったように見上げてくるので、リーブはその隣に座る。
「お腹いっぱいですか?」
「……はい」
「では貸して」
 キャップを開けたままのパックを受け取ると、代わりにリーブが口を付ける。リンゴ味の冷たいゼリーを口の中に含むと、隣の青年のおとがいを掴み、何も言わずに口付けた。
 碧の瞳が僅かに見開かれる。僅かに身体が引いたが、リーブの手が顎を掴んでいるため逃げられることはない。ゆっくりと口の中のゼリーを流し込んでやると、ややあってからその白い喉がごくんと嚥下したのがわかった。
「……っは、ぁ、あの、リーブさん、おれ、お腹」
「まだ少し食べられますよね」
 クラウドの弱々しく震える声もそうぴしゃりと封じ込め、リーブは口移しを続ける。なにせ昨日から何も、ゼリーすら食べていないのだ。せめて今日は、まとまった量を体に入れてやらないといけない。
 親鳥が雛にそうするように、パックの中が空になるまでひたすら繰り返す。すべて食べさせ終えた頃には、クラウドは壁際で、ひっ、ひっ、と小さな嗚咽を漏らしながら泣いていた。口移しをする度に後ずさるものだからついそのまま追いかけたのだが、逃げ場のないのがよりいっそう、クラウドの心も追いつめてしまったらしい。
「……すみません。あなたにはちゃんと食べて欲しくて」
 口の端にわずかについていたゼリーを拭ってやると、怯えの震えが返ってきた。これで終わりですからと言ってベッドから腰を上げると、リーブは空になったパックを持ったまま、その小さな部屋を後にする。
 扉が閉まるその直前、ベッドの上でうずくまったクラウドが小さくセフィロスの名を呼んだことにどろりとした感情が渦巻くのを感じながら、リーブは仕事へ戻っていった。

三度の飯が好き

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