とある花屋の冬

WRO 特別収容プロトコル (6) / リブクラ / pixiv

「——こんばんは。まだやってますか?」
 店を閉める間際に聞こえた渋い声に、彼は顔を上げる。そして、一日の仕事で疲れていた顔をほころばせ、「どうぞ」と中へ招き入れた。
「まだ大丈夫ですよ」
「すみませんね、こんな時間に」
「いえいえ。ゆっくり選んでください」
「ありがとうございます」
 店の中に入ってきたのは、厚手のロングコートに身を包み、中折れ帽を手に持った、黒縁眼鏡の紳士だった。仕事帰りに走ってきたのか、ほんの少し息が荒い。首に巻いたストールをわずかに緩めながら、紳士は目を細めた。
「ちょうど冬の花が入り始めたんですよ。最近は種類も増えて」
「そうですか。それはよかった、家内が喜びます」
 紳士は、コートの裾が店中に並ぶ花々に引っかからないように気を払いながら、香りの中に身をかがめてそれぞれの花をじっくりと見始める。彼はそれを見守りながらも、包むための紙を用意し始めた。

 この花屋には、冬だけの常連客がいる。
 一週間に二、三度の割合で来ては、花を買い、たまに長持ちさせる方法を聞き、そしてプレゼント用にと包んで帰って行くこの紳士が、その常連だった。どこかで見たことがあるような、穏やかな表情をいつも浮かべた紳士は、冬の間だけ店にやってきては、香りのする花を選んでは買っていった。
「家内がね、体を壊すんですよ。冬に」
 常連になってから三回目の冬、ずいぶん親しくなっていた彼はある日、「冬の花がお好きなんですか」と聞いてみた。すると紳士はその問いの奥に潜むものを読み取ってくれたのか、わずかに苦いものを滲ませながら、そう答えたのだ。
「空気がだめなんですかねえ。春になるとだんだん調子がよくなるんですけど、冬は寝てばかりで」
「それは……お大事に」
「ありがとうございます。……それでその、家を花で埋めてしまえば、体が春だと勘違いして、元気にならないかと思いましてね」
「ああそれで」
「ええ、それで。なので、できればでいいんですが、華やかな香りのするものがあれば、それをいただけますか」
 ——早く良くなるかもしれないので。
 はにかんだ笑みを浮かべそう続けた紳士は、その冬いっぱい店に通い、そして次の年もまたやってきた。

 冬に入って初めてということで、紳士は長持ちのする、そして香りも豊かな花を選んだ。お包みしますねと花を受け取り、水を含んだスポンジに刺し、水が漏れないように防水処理を施していく。
「そんなに時間かかりませんので大丈夫ですよ」
「ああ、ええ、近くで大きな工事があってちょっと道路が混むようになったので、念のためです。活き活きしたお花の方が、奥様も喜ぶでしょうし」
 街の中というわけではないが、それでも主要な道路の近くに建設されつつある建物のおかげで、資材の中継地となるこの街には建設用の車や人々が増えていた。活気があふれるのはいいことだが、その分道路が混むようになったのだ。
 もちろん、一日や二日持ち歩くわけではないが、彼は自分の店で扱っている花や、その花を買って行ってくれるお客はできるだけ大切にしたいと思っていた。花を買う人間に(普段の所行はさておき、少なくともその買う瞬間は)悪い人間はいない、というのが彼のモットーだった。
「すみません」
「いえいえ。いつもいらしてくださるので、そのお礼です。あと、去年お話しされてた種も入ったので、もしよろしければどうぞ。こっちはサービス」
 外を持ち歩いても目立たない、しかし少しだけ華やかさを感じる色使いのリボンを巻く。
 そして話は自然と、先ほど口に出した建物の話に移った。
「WROの人たちが作ってるから、たぶんWROの建物だと思うんですけど。あんなに大きいの作って何に使うんですかね」
「やっぱり目立ちます?」
「見えちゃうとね、やっぱり気になるというか。神羅カンパニーみたいなきらきらした感じじゃないから嫌な感じはしないんですけど」
 はいどうぞ、とささやかな花束を渡し、値段を告げる。その装いにふさわしく、洒落た革の財布を出した紳士は、代金を払いながらも「もしかしたらですが」と言った。
「宝箱なのかもしれませんね、あの建物」
「宝箱?」
「大事なものをしまうための」
 思いもよらない言葉にきょとんとしていたら、紳士は「あはは」と照れくさそうに笑った。
「すみません、変なこと言っちゃって。よく家内にも言われるんですよ、あんたはたまに突拍子もないことを言い出すって」
「あ、いえ、とんでもない」
「お時間いただいてすみません。また来ます」
「ありがとうございます、お待ちしてます。……奥様、早く良くなるといいですね」
 紳士はまた笑った。心からの笑みのように、彼には見えた。

***

 WROの作った建物が完成したその冬、常連客だった紳士はしばらくすると来なくなった。いったい何があったのか、連絡手段も聞いていない彼にとって何が起こったのか察することはできないが、きっと伴侶の病気が治ったのだろうと、そう前向きに考えることにした。
 次の年の冬も、紳士はやってこなかった。
 少しの寂しさを味わいながら店に出て、店のポストをのぞいたら、いつもの仕入れ先から来る封筒に混じって、見慣れない白い封筒が届いていた。宛名には店の名前が、そして裏には猫をかたどった封蝋と「世界再生機構」の文字がある。
 WROから来るようなことは今まで何度かあったが、いったい何だろうか。電気料金の値上げだったら嫌だなあとそんなことを考えながら、封筒を持って彼は店の中に引っ込む。開店準備にはまだ時間があるからと、事務室の机で早速封を切った。
 その中に入っていたのは、便箋が二枚と、写真が一枚だった。
 真っ白い背景の中、花に埋もれて微笑む、金色の髪をした美しい人がその写真には映っていた。目を奪われたが、彼の知り合いではない。その隣に並んで座り、同じく笑顔をこちらに向けてくれているのはあのお客様だが——いつもと雰囲気が少し違っている。それに何より、WROの公式の封筒で送られてくる理由がわからない。
 いったい何だろうかと首をかしげながら、次の便箋に取りかかる。
 便箋にはごくごくシンプルな文章が、しかしとても整った文字で綴られていた。それを目で追うにつれ、彼は自分の目が、今までにないくらい大きく開いていくのを感じた。
「嘘だろ」
 紳士の既視感も、建物の話も何もかも理解した瞬間に口から零れ出た一言は、今までで一番——空から星が降ってきたときと同じくらいには震えていた。

『突然のお手紙、申し訳ありません。きっと驚かれたと思います。
 冬の間はありがとうございました。そちらでお花を買ってから、家内は目を覚ますたび、喜ぶようになってくれました。冬も怖がらなくなりました。あなたとのお話で、私も花を育ててみたくなり、最近は家内と引っ越し先で、花畑を作りました。まだ小さいですが、そのうち大きくしていくつもりです。
 家内はもう冬を怖がらなくてもよくなりましたが、また暇を見て、お邪魔させていただきたいと考えています。今度は冬だけではなく、春や夏、秋の花も、是非拝見させてください。
 本当にお世話になりました。そして、これからもよろしくお願いいたします。
 
  ——リーブ・トゥエスティ

 追伸
  同封した写真の花は、以前いただいた種から咲いたものです。うまく咲きましたので、ご報告まで』

三度の飯が好き

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