コルクラ / pixiv
「あんた、寝てないだろ」
目線を合わせるなりのその言葉に、コル・リオニスは一瞬反応が遅れた。おそらく言われるであろうと予想していた、「初めまして」だとかそんな当たり障りのない言葉でもなんでもない(さらに言うなれば敬語ですらない)、完全に虚を突いた一言に、次の一言が出てこなかった。
「なに、またか。あれほど人の範疇を超えた勤務はするなと言っただろうが」
代わりにその場をつないだのは、先程からずっとその相手と話をしていた上司だった。確かにそんなことを以前言われた気がするが、仕事量がそれを許してくれないのだから仕方が無い。その気持ちを表情で表現したら、上司は「はあ」と渋い溜息をついた。眉間に皺が寄っている。
「これだから」
「ああ、そうだ、これ使うといい」
「は」
「サービス」
相手は——まるでチョコボのような、奔放に跳ねた金髪をした男は、太ももあたりについているポケットから何かの包みを取り出した。
「薬局の二号店で配ってた」
「はあ……どうも」
「それじゃ、ちゃんと寝ろよ。……では、また」
「ああ。ご苦労」
男はぺこりとクレイラスに向かって頭を下げると、彼はそのままどこかに行ってしまった。
——この突拍子もない、五分にも満たない会話が、配達屋との出会いだった。
***
疲れた体を引きずってねぐらに戻るのはいつものことだ。電気も点けずに上着を脱ぎシャワーを浴びて、そのままのろのろとお世辞にも素早いとは言えない動きで寝床に潜り込めば、ここ数日空けて冷え切っているはずのベッドがほのかなぬくもりを伝えてきた。
ほとんどぼけてしまっている頭で、ただ淡々と布団をめくれば、そこから出てきたのは何一つ服を着ていない全裸の男だった。
「……」
ぱちくり、と瞬きを一回。
だが、コルはそれ以上の反応を見せず、もそもそと寝床に潜り込む。ベッドに先客がいるのはいつもの——ここ最近習慣となりつつあることだった。それに何より疲れていた。すでにしっかりと習慣として根付き始めている現象に対して、なんやかんやと文句を付け、消耗する体力はどこにも残っていない。あるのはただ、睡眠をするためだけに最低限残していた分だけだ。
せめてもの配慮とでも言うのだろうか、かろうじて人一人分あいているスペースに無事収まったと思った途端に、背中を向けていた素っ裸の青年が寝返りを打った。起きていたのかとも思ったがそうではないようで、その目はしっかりと瞑られている。
どうも体温に反応してこちらを剥いただけのようだと理解した瞬間、その白い、だがそれなりにバランスのとれた筋肉がついた腕がにゅっと伸びてきた。きゅ、とほどよい力で晒された胸に引き寄せられる。
「……」
途端、すー、と安心したような深い吐息が頭上から聞こえてきた。
この男は勝手に人のねぐらに上がり込み、そして勝手に人を抱き枕にしていく上、さらに思う存分気持ちよく寝て翌朝は何事もなかったかのように帰って行く。あまりにも堂々としているものだから、正直なところ鍵はどうしたのかとか、自分の家はないのかとか怒ったり、追い出したりしようという気持ちはコルの中からすっかり失せていた。どうせあまり帰らない部屋だから、飽きるまで好きにしろと放ったところずるずると続き、何の関係もない人間に抱き枕扱いされるのにもすっかり慣れるという現状に至っている。
それに何より、この青年に抱き枕にされると、大変不本意なことではあるが、驚くほどよく眠れるのだ。理由はよくわからないが、おそらく人肌というものにとんと縁が無く、触れてこなかったからだろう——と、勝手に納得している。
たまに絞め上げられるのはいつまで経っても慣れないが、今日は特に力が強まらなかったため、幸いにしてどうやらおとなしめの日であるらしい。ほっとした途端に眠気が襲ってきた。
数年前の突拍子もない出会いから今までずっと続いているこの不思議な関係は、きっとおそらくもうしばらくは続くのだろう。それもまた悪くはないかもしれない。
「……おやすみ」
「……おやすみ……」
おそらくは寝言で言ったのであろう返事が、普段の愛想がいいとはとても言えない態度とはほど遠い、ずいぶんと気の抜けた口調に思わず苦笑いがこぼれる。
それを最後に、コルの意識は泥の中に引きずり込まれていった。