バレクラ / pixiv
扉の前に立ち、深呼吸を一つする。
どうしてこんなに緊張してるんだと自分自身に呆れ返りながらも、きゅっと拳を握り、軽く扉をノックした。
「……」
しばらく待つも返事はない。バレットは、念のため「入るぞ」と声をかけ、扉を押し開けた。
夜も遅くだというのに、部屋の中には明かりがついていた。ティファの言っていた言葉は本当だったかと思いながら、バレットは部屋の奥のベッドに目線をやる。わずかな膨らみは規則正しく上下している——ように見えて、かすかな違和感があった。
「起きてんだろ、クラウド」
その一言に、布団の塊がびくりと動いた。そしてややあってから、もぞ、とその中身が起き上がる。
「……よくわかったな」
「そりゃ、伊達に見てねえからな。入るぞ」
「うん」
どうぞ、という声に甘え後ろ手に扉を閉める。クラウドは備え付けの冷蔵庫の中を開けると、ミネラルウォーターの瓶を出した。
「有料じゃねえのかそれ」
「ここのじゃない。昼間の買い出しで買っておいた」
「お前にしちゃ気が利くな」
放られたそれを受け取り、口を開ける。ベッドに腰掛け一口含み、本題を切り出す。
「最近寝てねえのか」
クラウドの部屋に明かりがついてる、という話をティファからされたのは、ミディールから戻ってきて数日後のことだった。ずっと起きているのかわからないが、とにかく遅くまで明るいようだ、と。また一人で何か抱え込んでいるのか、それとも別な理由があるのか、とにかく心配だから様子を見てほしい——というのが、彼女からの相談だった。
「……寝てはいるよ」
クラウドから返ってきたのはその一言だった。
「明るいのにか」
「明るいから寝てるんだ。……寝られるというか」
寝られる、とバレットは聞き返した。その声に秘められたニュアンスを悟ったのか、クラウドがやや苦い、それでいて少し恥ずかしげな笑みを滲ませる。
「——暗いのが、怖いんだ」
***
そこは真っ暗な闇の中だった。
魔晄炉の中で煌々と輝くものや、その直前まで見ていた光のせいか。ライフストリームの中は光に包まれていると思っていたが、クラウドが放り込まれた先はただの真っ暗な闇の底だった。闇の中で一人だけ世界から切り離され、そして数多の意識に浸され、侵され続けた。
ライフストリームは星に生きるありとあらゆる精神の集合体だ。耳をふさいでも突き抜けてくる幾百、幾千もの生の記憶や意志は、それだけで、クラウドの心を容易く割った。
「暗いと、また声が聞こえるような気がする」
ミネラルウォーターの瓶を持ったまま、クラウドは床に視線を落として言った。
「エアリスが言ってたことを——星の声が聞こえるところもあるって言ってたのを思い出して、ここでも聞こえるんじゃないかって思ったら、急に怖くなった」
「……で、明るくしたまま寝てんのか」
「子供みたいだろ」
はは、とクラウドが笑う。
「背伸びやめるっつったんだろ、それでいいじゃねえか」
クラウドの隣に座ったバレットは、その顔を見る。普段は先頭切ってパーティーを引っ張っていくが、よく考えてみると彼が単純に外界とふれあうことのできた時間は、たかだか十六年かそこらしかない。バレットに比べればほんの子供なのだ。そう思ったら、うつむくクラウドのその姿が余計幼く、頼りないものであるように感じられた。
(——こんなガキが)
自分と並ぶと嫌でも強調されてしまうその腕の細さは、鉄の塊を振り回しているとはいえ筋骨隆々というわけてわはない。それがますます、宝条にされた実験というものの歪みを感じさせる。普通の体で、普通ではないことができるようになってしまったその歪みを。
一瞬沈黙が落ちた。今更二人の間に何も言わない空気があってもどうってことはないが、今回ばかりは何かを言わなければならないという焦りを感じたバレットは、ややあって「ああそうだ」と声を出す。
「暗いとだめなんだろ」
「うん」
「テントの時は良いのか? この前の野宿はちゃんと寝てたろ」
クラウドはきょとんとした顔をした。そしてややあってから、「そういえば」と呟いた。
「野宿は大丈夫だ……」
「理由はわかるか?」
「……あ」
「どうだ?」
それまで伏せられていたクラウドの顔が上がる。だが、なぜかまたすぐに視線が地面に落ちた。
「なんだよ」
「……その、笑わないでほしいんだが」
「笑わねえよ」
「本当か?」
「本当だって」
だから言えよと隣の体を肩で小突く。ややあってから、彼の少しばかり恥ずかしそうな顔がこちらを向いた。
「誰かと一緒だと、大丈夫なんだ、たぶん」
***
「——で、それから一緒に寝てんのか」
おう、と答えた瞬間、隣で酒を飲んでいたシドが「かーっ」と親父くさい効果音を出した。自分よりも年下のはずなのに、この男はよくこういうことをするし、実際誰よりも様になる。
「お前さんはそれでいいのかよ。ずっと長いこと、その、なんだ——好きだって思ってたんだろ、ええ?」
「今のままで」
「いいかなってか? あーあーあーあーもう聞いてらんねえなオイ!」
だが席を立とうとはしない。一応、話を聞かせろといった手前一段落するまでは残るつもりなのだろう。そんな悪態をつくほどなら無理をしなくても良いのにと思いながらも、促されるがままに先を話す。
「んで、最近はどうなんでい。ちったぁ寝れるようになったのか」
「一人だと一晩中は無理らしいんだがな。オレが行くと一晩寝られるようになった」
「っかぁーーーー!!」
二度目の効果音が飛んだ。ついでに飲んでいたバーボンも少し飛んだ。
「お前さんそれでよく我慢できるな? え? 大丈夫か? 何かおかしくなっちまったんじゃないか? 普段ならこう、この機に乗じてーとか、勇ましいこと言ってたろ」
「おかしくなってねえよ。普通だ、普通」
バレットは手元の酒を一気にあおった。そしてギル札をテーブルに置き、部屋の鍵を取る。
「戻る。待たせちまってるし」
んだテメーもうちっと付き合えや、という罵声は無視して、無理矢理シドに連れ込まれたバーを後にする。夜風で酔いを覚ましながら早足で向かうのは今日の宿だ。
ロビーを通り過ぎ階段を上り、そして自室の前に来ると、一度深呼吸をして鍵を差し込む。
部屋の中は暗かった。奥に見えるベッドには、規則正しく上下する布団の塊が見える。リズムから見て、これは狸寝入りではない。
バレットは、その布団の主を起こさないようにできるだけ静かに部屋を横切ると、シャワーブースに入った。ギミックアームの代わりに付けていた義手を外し、汗と酒の匂いを流してしまうと、布団をめくってその中に潜り込む。
「……バレット?」
その途端、夢の中にいたクラウドがぱちりと目を開けた。
「おう。悪いな、遅くなった」
「……大丈夫……少し寝られた」
「そうか、そりゃよかった」
もう少しこっちこい、とわずかに体温の高い身体を引き寄せる。ぽんぽんと背中を撫でてやれば、たったそれだけで、クラウドの意識は眠りに再び引きずり込まれたらしい。
誰かと一緒なら大丈夫らしいとわかってからしばらく。バレットは毎夜、クラウドと一緒に眠るようになった。実際その予想は間違ってはいなかったらしく、それまでずっと暗がりでは眠れなかったクラウドは、あっさりと眠るようになった。何かの用事で少しばかり眠る時間が遅くなっても、その間は明かりを消していられるようにもなった。バレットは、それが嬉しくもあり、同時に複雑でもあった。
——そう、シドの言ったとおり、彼はずっとクラウドのことが好きだった。友情とはまた違うものだ、と自覚もしていた。自覚のきっかけはまた別なのだが、バレットにとってクラウドは、愛情を注ぐべきものであり、そして欲の対象でもあった。
『あんたが来てくれるって解ってるから、安心できる』
ほんの少しだけ、いつもの無感動な表情にはにかみを滲ませながらそう言われた時、バレットの中にわき上がってきた劣情を押さえ込むのに、どれだけ時間を要したか解らない。だがそれ以上に、クラウドが自分を必要としているということが解っただけで、バレットは得も言われぬ幸福感が、心の中に広がるのを感じた。
だが、それ以上は踏み込めなかった。クラウドはまだ子供なのだ。自分で言うのも癪だが根は素直な奴だから、きっとバレットが踏み込んだら受け入れてくれるに違いない。確かにシドの言ったとおり、この機に乗じて、と思ったことも何度かある。だがバレットではきっとだめなのだ。未だ父親であるバレットでは。
毎晩毎晩クラウドに添い寝をして——この幼い生き物を夜から守り続けて、バレットはそう実感した。
すり、と無防備に擦り寄ってくる身体を、ほんの少しだけ強めに抱きしめる。
「……畜生、好きだ、好きなんだけどなあ」
きっと届かないであろう呟きを暗がりに投げ、バレットは己の気持ちと一緒に、自分の意識を封じ込めた。