コルクラ / クラコル / リブクラ / pixiv
「——わからない」
それが配達屋の答えだった。いつものように我が物顔で部屋に入り込んできて、当然のように夕食をせびっていき、そして最終的には全裸で寝床に滑り込んだ配達屋が、ふとした会話から発展した、誕生日についての質問に対して投げてよこしたのがそれだった。
「わからない?」
知らないでもなくわからないと答えたその意図をはかりきれず、コルは思わず聞き返していた。振り向いた先の配達屋は、早速眠たくなり始めているのか、不思議な色をした目を閉じては開け、閉じては開けを繰り返している。
「年を数えるのが嫌いで……というか、めんどうで」
「そんなに若いのにか」
にや、とわずかに歪な笑顔がコルに向けられる。
「数えてないから、若くないかもしれないぞ。あんたより年上かも」
「阿呆か」
ぱしんと何の遠慮もなくその頭をはたく。
あいた、と特に痛そうでも何でもない声が聞こえた。
「何かと不便じゃないのか」
布団に潜り込むなり絡みついてきた白い腕をぽんぽんと叩くと、あまり細くはないが、かといってグラディオラスよりは明らかに頼りないそれの持ち主は、「いや」と言った。
「初対面で誕生日なんて聞かれないから不便じゃない」
「それは仕事の話だろう。プライベートはどうなんだ」
「詳しく聞いてきたのはあんたが初めて」
「……」
また適当なことを、何人も引っかけておいてそれか——という野暮は飲み込んだ。この配達屋は、頭の中をいつも空っぽにしておきたがる癖がある。きっと誕生日なんてつぶさに聞いてくるような、深く踏み込んでくる輩は引っかけないか、ついうっかり引っかかったとしてもすぐ切っているに違いない。
「……どうするんだ」
「何を?」
「誕生日。解らないなら、作っても良いんじゃないか」
白い腕の動きが止まった。返事がなくなり、おや、と思っていると、普段なら絡みついて離れない腕がしゅるりと退いていく。
「要らない」
いなくなった腕の持ち主は、ややあってからそう言った。
「そんなものは要らないよ」
何もかもを放り捨てたかのような平坦な声だった。不機嫌なのでもなく、怒っているわけでもない。ただ真っ平らな音としての声だ。そしてこの声は、今までにも何度か聞いたことがある。
また何か踏んだかと自分の発言を後悔しながらも、コルは「そうか」とだけ相槌を打つ。
「おやすみ」
それきり、クラウドは何も言わなくなった。それから数分も経たないうちに、控えめな寝息が聞こえてくる。相変わらず寝入りが恐ろしく早い。
「……やれやれ」
よくわからんやつだとため息を一つ落とし、コルもまた目を瞑った。
***
「誕生日おめでとうございます、クラウドさん」
その声と同時、あんまり広くないがさほど狭くもない店中に所狭しと仲間や顔見知りから祝福の声が挙がる。今日は早く帰ってきて、という同居人の珍しいお願いに応えて、仕事をさっさと片付け帰ってきたところのこれだったから、受け止める用意が全くできていなかった彼は、数秒間たっぷり固まったあとに「へ?」という間抜けな声を出すことしかできなかった。
「誕生日」
「まーたお前さんは間の抜けたこと言いやがる。今日は何日だ? んん?」
壮年もいいところの男が壁掛けカレンダーを——朝には何故か片付けられていたそれを指し示す。書かれている日付を見てようやく、彼は何を言われているのか気がついた。
「——あ」
「去年も忘れてたろお前」
「しょうがないよ、忙しいもん」
「ほら入った入った! せーっかく遠路はるばる来てあげたんだからさ、早いとこ始めちゃおうよ」
子供達にかなり遠慮なく両手を引かれ、赤毛の大きな獣に背中を押されながら、自然と割れた人の波の中を進む。奥に用意されているのはおそらく自分の席なのだろう、後ろには「誕生日おめでとう」と書かれた大きな垂れ幕がかけられ、テーブルには蝋燭の立てられたケーキが置かれていた。
「座って座って」
「火つけるぞ」
何本ものろうそくに火が灯されていく。こんなに吹き消せない、と苦笑いしたら、「大丈夫です」と声がかかった。
「クラウドさんならできますよ」
「うん——」
彼はその声の方を見た。だが、視界の中にはそれらしき顔がなく、あれ、と首を傾げる。
「どうしたの?」
「今、声聞こえて……来てるんだろ?」
「誰の?」
「だれ、って」
唇が震える。
だが名前が出てこない。あれほど呼んでいたはずなのに、彼の頭の中はまるで靄でもかかったようで、その声の主がどうしても思い出せなかった。
「クラウドさん」
「待って、思い出す、思い出すから」
「クラウドさん、大丈夫ですよ。そのままでいいんです」
「やだ、嫌だ」
彼は頭を抱えた。ケーキはいつの間にか消え、目の前にはただ無機質なガラスのテーブルだけがあった。周りの人間も、ひとり、ふたりと白い靄に飲まれる。
——忘れる、忘れていく、忘れてしまう。
あれほど大切だった何もかもを。
「忘れましょう、クラウドさん。あなたはそれでいいんです」
「忘れたくない」
「良い子だから」
「嫌だ」
「クラウドさん」
優しい声がする。
だが彼の心の中はもう張り裂けそうだった。テーブルも、ソファも、みんなで考えたメニューも何もかもが白く濃い靄に包まれて消えていくその光景は、彼が一番見たくなかったものだった。
だから思い出さないようにしていたのだ。思い出したら忘れてしまう。忘れるくらいならいっそのこと、思い出さないほうがずっといい。
「俺は、あんたのこと、忘れたくなかったんだ」
絞り出した一言を最後に、彼の体は包み込まれた大きな何かから、引きちぎられるように放り出された。
***
一発殴ったらおとなしくなった。
「ふむ、今度からこうするか」
「……あ、う?」
「落ち着いて寝られんのかお前は」
先程までさんざん呻いていた男は、その悪夢らしき夢の中からコルの平手でなんとか現実に戻れたらしい。未だわずかばかり焦点のずれた瞳を彷徨わせていたが、しばらくしてようやくコルにピントを合わせた。
「気分はどうだ。また訳の分からない夢でも見ていたんだろうが」
「……」
「……おい」
「……顔、痛い」
「だろうな」
さんざん良い子だとか大丈夫だとかあやしてやっても治まらなかったものだから、ええいままよと結構な力でぶん殴ったのだ。痛くないはずがない。だが痛いと感じてくれているなら、こっち側に戻ってきた証拠でもあるからそれでよし、である。
だがおかげで自分の目も覚めてしまった。
「何か飲むか」
ほぼ覆いかぶさっていた体を起こしながら、不気味なほど静かにしているクラウドに聞く。
「牛乳くらいならついでに温めてやらんでもない」
「……飲む」
「飲んだら速やかに寝ろ」
「……」
「返事」
「……セックスしたい」
「それは今聞きたい返事じゃない」
それまで能面のようだった配達屋の頬が、ぷう、と膨れた。どうやら少し調子が出てきたらしいが、それは言い換えるとコルの体力の危機でもあった。今日はやらん、明日他の男でも捕まえろと言い捨てて、コルはキッチンへと向かう。
不揃いのマグカップを出しミルクを注ぎ、電子レンジに放り込んでスイッチを押すと、ぶぅん、と薄暗い空間に光が灯る。
(——今日のは酷かったな)
液晶の数字が減っていくさまを見ながら思い返すのは、先程までのクラウドの様子だ。うなされるのは稀にあるが、ここまで長く、そして起きなかったことは今までにはなかった。何を思い出していたのか、どんな夢だったのかは、おそらく聞いても答えないだろうしひょっとすると忘れているだろうが、それでも最後の「忘れたくない」という言葉だけはイヤに耳に残った。
誰のことだろうか。そして、彼にとって何だったのか。気にかからないと言えば嘘になるが、聞いたところで何にもならないことは確実だろう。
チン、という音ともに灯りが消える。少しだけ気を払いながらマグカップを持ち、相変わらず全裸でベッドに腰掛けている男にそれを渡してやると、その基本的に躾のなっていない犬はすぐに口を付け、ぬるい、と言った。
「文句の前に礼くらい言え」
「ありがとう。ぬるい」
「よし。あとは自分でやれ」
全裸の隣にコルも座ると、程よく湯気を立てるホットミルクを啜る。クラウドの方も文句は言ったが別に温め直そうとか言う気はないようで、両手でマグカップを持ち、大人しく飲んでいる。
様子をうかがう視線に気づいたのか、暗がりでもそれと解るほどに蒼く不思議な色の瞳がコルを捉えた。
「飲んだらセックスしよう」
「しない」
金髪碧眼という色合いといいその顔の造形といい、美醜の感覚にはあまり聡くないコルでもそれなりだと解るクラウドは、黙っていれば相応の雰囲気を纏うのだが、口を開けば途端にこれである。ノクトやイグニス相手にはそれなりにナリを潜めてマトモになるのに、コルやグラディオラスに対しては、理性が半ば磨り潰されているかのようだ。
「したかったら外で見つけろ」
「シガイしかいない」
「似合いだろう」
「スローニン以外は嫌だ」
「スローニンはいいのか……」
おそらくは自分で磨り潰したのだろうが、相手を選んでやっているとなるとたちが悪い。
考えれば考えるほど腹が立ってきた。今度はもっと思い切りぶん殴ってやろうと決意を新たにしていたら、どこから感じ取ったのか、理解のしがたい生き物の瞳がまたこちらを向く。
「あんた、何か物騒なこと考えてないか」
「良くわかったな。実行に移す前にさっさと飲んで寝ろ」
鳥頭を鳥の巣頭にしてやったら、「やめろ鬼畜」とやはり理解のしがたい言葉で罵られた。