英雄の筺 (1) / バレクラ / pixiv ※欠損表現あり
英雄とは何か。
一昔前であれば、この問いにはおそらくほぼすべての人間が、セフィロス、またはセフィロスのような者と答えただろう。人にも、人ならざるものにも臆することなく立ち向かい、そして傷一つなく打ち勝つ、人並みはずれた孤高の存在。それこそが英雄だと。
バレットも、同じイメージを抱いていた。それこそあの旅の間も同じだった。だが、それは旅を終え、ごく親しい人間たちと償いの日々を——新たなエネルギーを得るための労働の日々を送るにつれ、変わっていった。セフィロスの本当の姿を——本当に近い姿を知ったからかもしれないが、それ以上に、バレットたち自身がその英雄になったせいもあった。
英雄も人だ。人なのだ。傷が付かないこともないし、死の恐怖に、そして痛みに怯えもする。
「——ぁ、あああ、あぁ、あっ、あう」
嗚咽だ。
バレットの目の前、病的なまでに白い寝床の上に寝かされているその体が震える度に、その喉から、哀れなまでに怯えの滲む嗚咽が夜気に滲む。
バレットは、その子供のように泣きじゃくる額に、そっと手を置いた。
「ひぅ、ぁ、バレット、バレット、……バレット……!!」
「ああ。……いるぜ、大丈夫だ」
「ぁぁぁあ、あ、あ、いたい、いたい、」
「痛い、——そうだな、痛いなぁ」
紙のように真っ白な額に浮かぶ脂汗を、バレットは優しく拭ってやる。痛い、そうだ、確かに痛いだろう。何せ、彼は——クラウド・ストライフは、今回の星を守る戦いで、右腕と左足を失っていた。そして、その失われた部位は今まさに再生されようとしており、その包帯の下でも解るほどに熱を持ち、薬でも紛らわせることのできない痛みを、その四肢の主に叩きつけていた。
昼はまだよかった。この痛みを紛らわせることができる相手が見舞いに来ていたからだ。デンゼルやマリン、今回の戦闘で見知った仲になったWROの隊員たちがそれだった。何より彼らは、クラウドの心をこの痛みから遠ざけてくれるだけではなく、「まとも」であろうとするその心を支えてくれていた。その支え方は、いささかプレッシャーのかかるものであり、バレットにとってはこれでよいのかと疑問に思うものではあったが、それでもクラウドにとっては嬉しいものだった。顔を見てすぐに解った。
だが、彼らがいなくなり、夜になって、消灯時間を過ぎた時点でこれだ。あとはオレが見るから、なにか会ったら呼ぶからと、見回りの看護師も遠ざけた途端、クラウドの心は折れた。元からずっと抱える質で、我慢もすこしばかり得意ときている。そんなクラウドは、部屋の中にいるのがバレットだけであり、何も気兼ねをしなくていい、張りつめることなどなくていいと解った瞬間、あっさりとその鎧がはがれた。
「こわい、こ、こわ、もう、もうイヤだ」
「……ああ、解ってる、怖くねえ人間なんていねえ」
昼間に聞かされた話を思い出し、バレットはその撫でる手にわずかに力を込めた。
——腕と足を失ってもなお、魔力で補い、果てには己の体に格納した剣の魔を呼び出して、
——全身を血で染め上げながら一歩も退かず、驚異の根源を真正面から叩き潰し、
——その戦いぶりはまるで星の守護者のようで、
(……何が星の守護者だ)
そんなことをこいつの目の前で、希望に満ちた目で話すからだ。クラウドは後に退けなくなる。怖いとも、痛いとも、何も言えなくなって、結局はまた自分で全部を背負い込む羽目になるのだ。弱いところを見せられる仲間がいるあの旅の間なら弱音も吐けた。だが、彼を英雄として慕う隊員や子供たちが居る中では、ただひたすらに強くあらねばならない。その反動で「こうなる」のだって何回目かわからない。
「手、て、おれの、俺の手、握って、バレット、……バレット、右、っう、」
「握ってる、握ってるから。もうちょっとで薬効いてくるからな」
バレットは、縋るクラウドの肩を優しくさすってやる。失った腕がうずくのだろう。それはバレットにも経験がある。だが、バレットは敢えてそれを告げずに、ただ傷に障らないよう撫でてやる。だが、その温もりがスイッチになったのか、クラウドはますますその顔を歪めた。
「もうやだ、もう、おれ、もうやだあああああ……!! やだ、いたい、ああああ、ぅあっ、あああ、ああああああ——」
「うん、うん、わかってる。痛ぇところあったら言え、全部撫でてやるから」
「ぁ、ああああああ、ぁぁああ、やだあああああ……家、いえに、かえりたい、かえりたい、こんな、——っこんなところ、いやだあああああ……っぐっ」
唐突にクラウドの息が詰まった。泣きすぎて呼吸が不安定になったのか、続いて細い喘鳴がその白い喉から漏れ聞こえた。
「ひぅ、ひっ、ひっ、——ひ」
助けて、とその口が声にならない悲鳴を紡ぐ。
バレットはすぐさま身を屈めると、己のそれで優しく塞いでやった。一瞬抵抗しかけた体だったが、バレットがその頬をやわらかく撫でてやると、すぐに落ち着きを取り戻す。
「大丈夫、大丈夫だから、な」
ささやきながら角度を変えて、優しくついばむ。大粒の涙をぼろぼろとこぼすその両目は、バレットの姿を縋るように瞳に映したあと、ゆっくりと瞑られた。
***
ここ数年で、星の脅威は以前に比べ数を増した。
一つ一つはセフィロスよりも劣るが、それでもWROの兵士たちには手が余るものだ。そんなときは、クラウド達戦役の英雄に話がくる。
あの後、すぐに傷が再生したクラウドだったが、その数ヶ月後にはまた、セブンスヘブンでリーブの話を聞いていた。北の大空洞から沸き出した獣の討伐がその話の内容だった。
「——うん、わかった」
最後まで口を挟まず、ゆっくりと話を聞いていたクラウドは、ただ静かにそう頷いた。
「やる」
「……ありがとうございます。本当に、すみません。この前の怪我も治ったばかりだというのに、こんな」
「あんたが謝ることじゃない。俺しかできないんだろう」
だからやる。
そう静かに語るクラウドの顔には、微塵も恐怖や怯えなどは浮かんでいなかった。傍で見ていたバレットには、すくなくともそう見えた。
だが、数日後、すべての獣を潰し終えたクラウドは、代わりに臓腑の半分を食われてWROに運ばれた。
その次は、空から飛来した謎の物体に格納されていた生物だった。ジェノバとはまた似て非なる、何らかの意思を——少なくとも星にとってはよくない意思を持つそれは、分身体とも言える鉱石の体を持つ端末を次々と生み出して、様々なものを切り刻み、食い破った。それにはもちろん、要請を受けて応えたクラウドの体も入っていた。
そしてさらにその次は、かつての戦役中に海底に沈んだ水棲型ウェポンの成れの果てだった。文字通り腐っても星の防衛機構であったその巨体は、沿岸部に壊滅的な被害をもたらそうとしていた。だが、それはやはり、戦役の英雄に——クラウド・ストライフによって沈められた。ただ、クラウドもまたその巨躯に、潜水艦でなければ、そしてジェノバ細胞保有者でなければ耐えられないであろう水の底へと引きずり込まれた。
バレットが報せを受けた時、クラウドはすでに、WROの誇る医療施設の中でも、「そういった」機能に特化した施設に運び込まれていた。穏やかな翠の液体の中に浮かぶ体の大部分は再生し、そして生きていることを示す波形が、直ぐ側の計器に映し出されている。
「……クラウド」
ゆっくりと、その『容器』に近づく。冷たい強化硝子の表面に手を添えたが、クラウドの目は開くことはなかった。
「クラウド」
きっと聞こえてはいないだろうが、それでもバレットは声をかける。骨や臓腑すらも再生しようとするその体は、起きていたらきっととてつもない痛みをクラウドに与えているはずだ。液体の機能なのか、それとも宿主を守ろうとするその細胞の働きかはわからないが、こんこんと眠るクラウドの表情は穏やかだった。だが、目を覚ますまでに回復したらおそらくは、また痛みとぶり返す恐怖に押しつぶされるに違いない。
それなら、せめて夢の中だけでも寄り添ってやりたい。
「クラウド、大丈夫だからな。オレがそばにいるからな」
彼の体にいつもそうしていたように、バレットは優しくその容器を撫でてやる。
すると、ごぽ、とクラウドの口から、答えるように気泡が漏れた。僅かに体が動き、眉根が寄る。だが目覚めるまでには至らず、ただその目尻から、色合いの違う雫がじわりと滲んでは、ふわりと翠の液体に溶けていった。
「うん、怖いよなぁ、すぐ出してやるからな」
バレットは、時間の許す限りそこにいて、容器の中のクラウドに——半分ほどの大きさになってしまった愛しい人に、穏やかに語りかけていた。
***
「——それでも俺は、いやだよ」
リーブの時と同じように、クラウドはずっと最後までバレットの話を聞いて、そしてリーブの時とは違って首を横に振った。
「理由を聞いてもいいか」
「あんたの気持ちはわかった。ここに連れてきた理由も。……でも、俺は、俺しかできないことから、逃げ出したくない。みんな困る」
「最近のWROの規模を見てもそう言えんのか?」
「確かに大きくなってるし、強くもなってる。でも、俺が出たほうが犠牲が少なくて済むから」
だから俺は行く。
そう笑ったクラウドは、ただ穏やかに、両手にかけられた手錠と鎖を持ち上げた。
「外してくれ、バレット」
まるで子供でも諭すような口調だった。実際そうなのだろう。自分で外せるくせに、しかも手錠をかけた張本人に対して、その善意を信じ、話せばわかってくれると本気でそう思って言っているのだ。
「……」
「バレット」
「……わかったよ。お前はそういうやつだったな」
バレットはその差し出された手を、そっと下から支え持った。優しく引き寄せてやると、何の抵抗もなくされるがままのクラウドを抱きしめる。
「ごめんな、びっくりさせちまって」
「いや、——」
「でもな、お前はここにいなきゃなんねえ」
ひ、と腕の中の体が息を呑んだ。何をされたのか理解したのだろう、その両腕に力がこもる。だが、バレットの腕が——機械の義手がそれを許さない。
「や、や、バレット、なに」
「大丈夫、しーっ、大丈夫だ、動くと痛えぞ」
クラウドの体が動かないように腕で抱き込みながら、バレットはその白い首筋に、予め用意していた注射器の針を突き刺していた。透明な液体を手早く、しかし確実にクラウドの体内に注入するのは、今までの看病からお手の物だ。すべて注ぎ込んでしまうと、あとは苦しくないようにさっと手を離す。
「ぁ、……バレット、なに、なんだ、それ」
怯えた目でずりずりと、部屋の景観に似合わず真新しいマットレスが敷かれた寝台を、必死で這いずり遠ざかるクラウドに、バレットは敢えて近付かずに応えた。
「お前がここにいるために必要な薬だ。お前を守るために必要なんだ」
「バレット、なんで、……なんで」
「言ったろ。お前を守りてえんだ。もうお前が泣くところも、痛い思いすんのも、オレは見たくねえ」
がくがくと、クラウドの体を支えていた腕から力が抜けて震えるのが見えた。やがて支えきれずにごとんと寝床に倒れ、怯えた目もゆっくりと瞼に覆われる。クラウドが動かなくなってようやく、バレットはその体に近づいた。
「……ごめんな」
クラウドの頭を、頬を撫で、そしてちゃんと寝台に寝かせてやると、寒くないようにと布団をかけてやる。
——神羅ビル六十七階。
ここに彼を閉じ込めてしまおうと思いついたのは、つい先日のことだ。もはや誰も近づこうとしない、WROすら解体の着手に戸惑うこの巨大な廃墟は、思いの外頑丈で建物だけで言えば十分に使えるものだった。設計者の几帳面さが所々に反映されているのだろう、ダイヤウェポンの砲撃やいつぞやのディープグラウンドとの戦闘で破壊された部分を除けば、未だ健在の部屋が多い。
特に化学部門が使用していたこのフロアは、人ならざるものをかつて扱っていたせいか、ほとんどがあの時のままに残されており、バレットが運び込まなければならない荷物は思いのほか少なくて済んだ。なにせ記憶の中の殆どのものが残っていたからだ。かつてバレットたちが押し込められた独房も、資材も——そして薬品も。
クラウドに投与したのは、その残されていたうちの一つだった。鎮静剤をより強力にした、人ならざるものを鎮めるための薬だ。クラウドの体に効くかどうかは、試すまでもなく知っていた。WROに請われた戦いの後、痛みのあまり暴れるクラウドに一度使ったことがあったからだ。全く同じ薬が残されていたことは、ここにずっと閉じ込めておきたいバレットにとっては僥倖だった。
惜しむらくは、クラウドに怖い思いをさせてしまうことであったのだが、また星を守る戦いに駆り出されて、痛い思いをするよりはずっといい。
「もう大丈夫だからな。……ずっとここにいよう、ずっと」
目尻を伝う涙を拭い、バレットはその白い額に唇を寄せる。
もう怖い思いはさせない、そう心に誓いながら。