コルクラ / クラコル / リブクラ / pixiv
クラウド・ストライフはコーヒーが好きではない。
だが、あいにくこの喫茶店にはコーヒーしかないようで、クラウドは渋々——といってもできるだけ表情には出さないようにして——ブレンドコーヒーを注文した。ジョニーの店だったら文句をいいつつも紅茶を出してくれるのだが、ここは残念ながら顔見知りの店ではなく、全く知らない店だ。そんな好き勝手はできない。
ほどもなく運ばれてきたコーヒーに、手近にあった砂糖をもさもさと入れ、猫があしらわれた金のスプーンでゆっくりと混ぜる。
(……ちょっと多い)
思いの外カップが大きい。待ち合わせの時間にはまだあるが、それまで飲みきれるか心配だ。今日はせっかく互いの休みがかち合った日で、他に行きたいと思っていたところもある。飲みきるまで相手を待たせたくはないからできれば遅めに来て欲しいけれど、早く会いたいという気持ちもあって、つまるところとても複雑な気分だった。
ともかくもまず一口目だ。薫りのよい湯気を息で逸らしながら、クラウドは白いカップに口をつける。口の中に広がる苦みと酸味に、やっぱり苦手だな、と思いながらも二口目をすすったところで、店の入り口から乾いた鐘の音が聞こえた。一瞬止まった足音は、すぐにかつかつと小気味の良い音を響かせながら、クラウドの方に近づいてくる。
「——お待たせしました、クラウドさん。お迎えにきました」
「待ってないよ」
やはり、というべきか、その足音の主は待ち人だった。待ち人は向かいに座ると口元をゆるめる。
「いやあ、待ったでしょ、だいぶ」
「そう……かな」
「本当にすみません」
飲み終わったら行きましょうか、と、その手が頬まで伸びてくる。優しく撫でてくるその指に、すり、と頬を寄せると、相手は笑ったようだった。
「おや、コーヒーですか。珍しいですね」
「うん、紅茶がなかったから。よかったら、あんた飲んでくれ」
「いいんですか? では遠慮なく」
スーツの手がコーヒーカップを皿ごと持っていく。少しだけ、優しく触れられるカップが少しうらやましいと思ってしまったが、何をバカなことを考えているんだと首を振る。
「どうしました?」
「いや、何でもない」
「そうですか? かわいい動きしてはるなあと思ったんですけど」
「いいから。早く飲め」
「はいはい」
カップの底が見えた。おそらく店の名前だろう、おしゃれな筆記体が書かれていたが、クラウドにはよく読めない。店を出るときに読めばいいか、いやそもそもそんな必要もないか――なんて一人で考えていたら、カップの向こうからこちらを見ていた瞳と目があった。
「……笑うなよ」
「あ、ばれました?」
目尻に刻まれた皺が深くなった。
「やっぱりかわいい顔しとるなあと」
「別にそんな顔はしてない」
「じゃあいつもかわいいんですねクラウドさんは」
「からかうな」
「本気ですよ、本気」
静かにカップが置かれた。
「お待たせしました。行きましょうか」
「うん」
共に席を立ち、二人連れだって出口へ向かう。いつも通り財布を出す前に鮮やかに会計をされてしまい、ふてくされながらも後ろについていった。
扉を押し開けると、乾いた鐘の音とともに、眩しい光が目を刺す。
「お待たせしたぶん、今日一日はクラウドさんの好きにしていいですよ。行きたいところあるんでしょう」
「うん」
差し出された手を握ろうと、クラウドは自分の手を差し出す。
だが、その手は何も掴めなかった。
***
ギリギリで飛び起きた。いや、自分ではギリギリだと思っていた。
頭が痛み、視界がちらつく。まるで全力疾走でもしたかのように息苦しい。昔の夢を見てしまったときはいつもこうだが、今日ばかりはいつもと違っていた。
「はっ、はっ、……はっ、」
動悸が治まらない。逆にどんどん大きくなっていくようだ。その音と一緒に、クラウドの中の記憶が——思い出してはいけないものが、むくむくと目覚めていく。
「だめだ、……だめだ、忘れろ、忘れろ」
思い出すとだめになる。だから忘れたい、忘れようとしているのに、一度沸きだしたものは止まらない。ありとあらゆる負の感情が頭の中を埋めていく。
「ァ、ァア——」
呑まれると思った時にはもう遅かった。
息が詰まる。代わりに出ようとしているのは、まず間違いなく厭な声だ。情けない犬の声だ。
——だが、それが出る前に、暖かくて分厚い何かに無理矢理口を塞がれた。
「うるさいぞ」
低く掠れた声とともに、太い腕に押し倒される。容赦のない力に押さえつけられ、もがこうにも抵抗ができない。誰だ、なんだ、敵かと頭の中が沸騰するその寸前、迷いなくこちらを見据える青灰の双眸が視界に入った。
「暴れるな」
「っ、ッうう、ごっ」
「落ち着け。噛むな。俺を見ろ」
「ぅ」
彼を押さえつけ、見下ろしているのはねぐらの主だった。熊のようなその男は、容赦なくクラウドのことを押さえつけながらもしかし、静かな声で言う。
「寝るなら静かに寝ろ」
「ゥゥ」
「なんだ、寝方を忘れたか。普段あれだけ遠慮なく寝ているだろう」
口を覆っていた手が外れる。遅れて口の中に血の味が広がっているのにようやく気づいた。
***
犬の鳴き声がうるさかった。いや、泣き声といった方が正しいか。
コルが目を覚ましたとき、ずけずけと無遠慮に上がり込んでは寝床を半分取っていく男は、背中を丸めて震えていた。こういうことは何度かあったから慣れている。だが、その日は少しばかり様子が違っていた。
彼が飛び起きたのだ。そして、明らかに異常とわかる呼吸を繰り返しながら、彼は――クラウドは頭をかきむしり、それではおさまらなかったのか、実に情けない声を出し始めた。
——決壊しかけている。
コルはそう判断すると、間髪入れずに行動を起こした。
喚き散らす寸前にその口を塞ぎベッドに押し倒す。安物のスプリングが男二人分の体重をモロに受け止め、不穏な軋みを上げた。
反射か本能か、犬の歯がコルの指に食い込む。だが痛みにかまわず押し込むと、しばらくうめいてからようやく大人しくなった。
「なんだ、寝方を忘れたか。普段あれだけ遠慮なく寝ているだろうが」
反抗する力が無くなったのを見計らって、コルはその手を外した。血の混じった涎が糸を引き、現れたのはただ力なくわななく口だった。
その唇が音を形作る。
「……コル」
「戻ったか」
「……」
ややあって、うん、と首肯があった。どうやらちゃんとこちらの言葉は届いているらしい。押さえつける力を少し弱めてやりながら、コルはクラウドに対して淡々と言った。
「いいか、夜は寝るものだ。騒ぐな、喚くな、わかったな」
「……コル」
「返事」
「コル」
「……」
翠の目が縋ってくる。抑えつけた腕に外を歩いている割には白い腕が絡み、爪が食い込んだ。その掌は熱く、じっとりと汗で湿っている。
「コル、コル」
「……なんだ」
「セックスしよう」
——前言撤回だ、とコルは舌打ちをした。戻ってきていないらしい。いや、むしろもっと悪い。
クラウド・ストライフは発情していた。口が開き、ねだるように赤い舌が伸びてくる。娼婦のように足を絡めて来る様はまるで蜘蛛だ。こうなったら殴っても戻ってこない。殴って気絶させるか、首を絞めて気絶させるか、別の手段で気絶させるかのいずれかだ。
コルは少しだけ迷った。だが、コル、という呼び声にいつもより——いつもといっても今までで数えるほどしかないが——怯えに近い焦りが滲んでいることに気づいたコルは、致し方なく最後の手段をとることにした。
愛情があるわけではない。単純に「そっち」を選んだ方が効率的だと思ったからだ。帝国軍やシガイ相手の戦闘が尾を引いているのか、単純に食事や睡眠で取り払えない熱のような疲労が、体の中に凝り固まっている。放っておいても死ぬわけではないが、不愉快きわまりない熱が。
だからこれは、愛とか、恋とか、そういった優しいものからくる欲ではないのだ。
へっ、へっ、と獣のように強請る舌を迎える。そのまま口を塞ぎ、絡め、相手の望むままに掻き回してようやく顔を離す。もっと、とさらに食いついてこようとするクラウドを抑えながら、今の彼でも理解できるようにゆっくりと聞いた。
「どうされたい」
我慢できなくなってきたのか、自分からコルの唇を啄み始めたクラウドは、荒く熱い獣の息の下から今にも泣き出しそうな声で答えた。
「めちゃくちゃにしてくれ、便器みたいに」
おねだりなんてかわいいものとはとても呼べない懇願するような声と、ぼろぼろでとても笑みとは呼べない表情で鳴く犬にただ、コルはわかったと一言だけ応えた。