リブクラ / pixiv
その荒野には、魔女が出る。
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ミッドガルを取り巻く荒野、そしてエッジ近辺には、『魔女』が出ると言われていた。カームやミッドガルの母親たちが、寝付きの悪い子供に言って聞かせる、古い昔話だ。大人になったらもちろん、そんなことは気にもとめなくなるし、魔女に連れて行かれないようにいい子になりなさいと言われて育った子供でも、全員が全員いい子になれるわけでもない。
親元を飛び出して五年、スリや空き巣など小さい悪事を繰り返して生きてきた彼もまた、いい子になれなかった子供のうちの一人だった。この日の彼の狩り場は、新興都市エッジ近辺の荒野だ。活発になってきた交通網のおかげかそれともエッジの人口が増えてきたせいか、よほどの用事がない限りあまり通りたがらなかった荒野も、最近はいろんな人間が行き来する。特に狙い目は一人で旅をするような物好きだ。「治安も良くなってきたし大丈夫」と錯覚した最低限の護身用の装備しか持っていない人間ならなお望ましい。
彼が狩りのために網を張った廃れたスタンドに、格好の獲物が飛び込んできたのは、狩りを始めてそう経たない昼間のことだった。街での狩りは夜だが、外での狩りは人が少ないから昼間からするのが彼のやり方だ。夜と違って警戒心が薄いのもまた狙い目である。今日の獲物は随伴も何もつけていない、しかも銃器も積んでいないバイカーだった。
そのバイカーはバイクを降りると大きく伸びをした。小休止に来たようだ。体格はあまり鍛えているようには見えない。いい獲物だ。
彼は舌なめずりをした。そして、腰のホルスターから銃を抜き、足音を殺して回り込む。
じりじり、じりじりと距離を詰めていくこの瞬間が彼は何気なく好きだった。草食動物を追いつめていくライオンのような気分を味わえるからだ。金髪の哀れな獲物は、さらに間の良いことに携帯を取りだしてどこかにかけ始めている。持っているものといいバイクといい、そしてタイミングといい、今日はかなりの当たりのようだ。
彼は、反撃される恐れのない、だが確実に仕留められる距離まで詰めると、一息ついて銃を構え一気に飛び出した。
「手を」
「シヴァ」
最後まで言い終わる前に静かな声が割って入った。獲物は振り向いている。気づかれたか、と思ったが、武器はこちらが持っているのだ。しくじる要素など何一つない——のだが、どういう訳か彼の身体はもう一歩も動かなかった。
「え」
なんだこれ、と言う前に、肩に何かひんやりとしたものが置かれる。目線だけ何とか動かしてみれば、肩から頬に痺れるような冷たさを伴って這い上ってきたのは氷で象られた美しい女の手指だった。
「ひ」
「殺すなよ」
重みを全く感じさせない動きで横からで現れた氷の女が、その言葉に頷き笑う。この世のものとは思えない微笑みに、彼の心が凍った。
——魔女だ。
それだけ絞り出した次の瞬間、彼の意識は冬の冷たさに沈んでいた。
***
『——クラウドさん? どうしました?』
「ん、ああ、なんか来たんで撃退した。無力化したから治安部隊の手配よろしく」
座標を伝え、多分ここらを荒らし回っているやつの一人だと言ったら、電話のむこうの声はさらに心配の色を濃くした。
『気をつけてくださいよ。そこいらは危ないんですから』
「そうか? モンスターはさほど強くないぞ」
『クラウドさん基準だったらそりゃそうでしょ』
「こういうのも昨日はなかった」
『それはたまたま運が良かったんです。……って何回か遭ってますよねそれ。はよ帰って来てくださいね、心配でたまらん』
「本音は違うだろ? えっちなことしたいって正直に言えよ」
途端、電話口の向こうが『ぐっ』と変な声を出す。図星らしい。普段の仕事ぶりをみるにいくらでも言い繕うスキルはあるはずなのだが、こういうときにはどうも発揮されないらしい。それがかえって、自分にだけは取り繕っていないようでとても嬉しい。
思わず上がってしまう頬をむにむにと揉みながら、クラウドは後ろを振り返った。シヴァはちゃんと言いつけを守ってくれたのか、恐怖の表情のまま固まっている男はしっかりと生きているようだ。これがイフリートだったら控えめに言って黒こげだろう。
「しょうがない。えっちな局長のために早めに帰るよ」
『もー、人のことそんな変態みたいに……でもほんまに気をつけてくださいね、そこらへん』
「……本当に何かあるのか?」
『ええ、まあ、魔女が出るらしいんですよ最近』
思いのほか真面目なトーンで返ってきた言葉に一瞬虚を突かれた。魔女、と言われてクラウドの頭の中に出てくるのは、この前マリンに買ってやった本に出てきた黒ずくめの老婆やそれに類するおとぎ話の住人だ。
「魔女」
『新種のモンスターかもしれませんけどね、目撃例が増えてるんですよ。なので早めに帰ってきてください』
「……なるほど」
そういうことならしょうがない。
クラウドは携帯を肩と頬で挟むと、気分転換で脱いでいたグローブをつける。そしてフェンリルに跨がり電話を切る——前に、ふと気づいて電話の相手を呼び止める。
「なあリーブ、その魔女ってどんなやつだ」
『ええ? えっと、確か青白い肌の若い女だそうですよ。息を吹きかけて相手を石に変えるんだそうで』
「……ああ、うん、だいたいわかった」
『えっ何がですか』
「それはベッドで話してやるよ」
ンンッと咳払いめいた音が聞こえた。また小言を言われる前に電話を切ると、今度こそ携帯をポケットにしまいスロットルを開ける。
黒い塊が走り去った後には、まるで石像のようになった男がぽつんと残されていた。