おとなたち

リブクラ事後 / pixiv

 まるで事故のようなセックスだった。
 それで二人の見解は一致していた。どちらが誘ったのかも曖昧ではあるが、酒が入っていたこと、大掛かりな仕事の後だったこと、そして互いに時間があったことが重なって、気がついたら抱いていたし抱かれていた。恐らくどれか一つでも欠けていたら起こり得なかっただろう。だから事故。タイミングで偶然そうなってしまっただけだ。
 ただ、その偶然の上に成り立った二人の関係は、二ヶ月経った今でも続いている。

「――今日はどうするんですか?」

 素っ裸でごろごろしていたら聞こえてきた耳障りのよい低音に、クラウドは首を巡らせる。目線の先では、すでにいつもの仕事着を着込んだリーブが、最後の仕上げとばかりにカフスボタンを留めていた。
「疲れたから泊まる。昼には出るよ」
「ああ、明日はお休みでしたっけ」
「ん」
「鍵は持ってますか」
「持ってる」
 そうですか、とリーブは笑った。そして背の低いガラステーブルに置かれた携帯を取り上げる。
 世界一多忙とも言える彼は、どうもこの後また仕事場に舞い戻るらしい。こういう時ぐらい休めばいいのにな、と、未だ命を吹き込まれない無機物のまま枕元に座っていた猫のぬいぐるみに話しかけたら、「そうしたいのは山々なんですけどねえ」と苦笑された。
「仕事が離してくれないというか」
「難儀だな。ちゃんと寝ろ」
「善処します」
 おやすみなさいとそれだけ言って、WROを仕切る男は静かに部屋を出て行ってしまう。横目でそれを見送ったクラウドは、しばらく枕元の猫のぬいぐるみをつついたり、耳をふにふに揉んだりしていたが、それにも飽きて体を起こした。
 流石に裸に布団は少し冷える。脱ぎ散らかした服を拾いがてら、ぺたぺたとクローゼットまで歩いて開け、適当に部屋着を引っ張り出した。もちろんこの部屋の主のものだ。
 家にいる方が珍しいリーブにとって、部屋にある物は基本的に誰が使おうが構わないらしい。荒らさなければいいですよ、と言われたのは、初めてカードキーを渡された日の朝である。それからというもの、クラウドはこの部屋を主が居ようが居まいが便利な拠点として使っていた。今となっては勝手知ったる隠れ家の一つである。
 勿論、ずっとこの隠れ家を使っていられる、ということはないというのは理解していた。何せ相手はWROの局長だ。一介の配達屋が、こうして関わっていい相手ではない。
(――だから借りるだけだ。ほんとうの相手が来るまで、ちょっとだけ)
 少々裾は引きずるが、部屋の中だけだし困らないだろうと選んだ寝間着を無造作に着て、クラウドはまたぺたぺたとベッドに戻る。僅かな光量に絞っていた部屋の明かりも手元のリモコンで真っ暗にしてしまうと、もそもそと頭まで布団をかぶった。
 厚いカーテンからは、僅かに月の光が漏れている。WROが人里離れた所に建っているせいか、ここでの夜は、エッジのように賑やかなネオンや、騒々しいエンジン音などとは縁遠い。体を包む気怠さも手伝って、眠気はすぐにやってきた。WROでの夜は、余計なことを考える暇もなく眠くなるのがとてもいい。
 一人寝の寂しさを味わう暇もなく、クラウドの意識はふわふわと、心地の良い穏やかな時間へと引き込まれていった。

***

 何とか夜中と言える時間に仕事を終わらせることができた。後は明日の自分に任せようと、リーブは端末の電源を落とし、手元に散らかった書類をまとめる。デスクにしまって鍵をかけ、長く座っていたことですっかり凝ってしまった肩を揉み揉み、席を立った。
 警備の人間以外は帰っている時間だから、居室を出て細い通路を通った先の、広いエントランスもがらんとしている。非常灯がまるで間接照明のように、ほとんど明かりの落ちたエントランスの所々を、薄ぼんやりと照らしているのはこの時間ならではだが、正直あまり拝みたくない光景だ。
 エントランスを横切り、すれ違った警備担当を労いながら、リーブは居住区画へと戻る。立地が山奥のため、隊員達は訓練や任務のためにほとんどがここに住んでいる。最近は志願者が増えつつあるから、プレートが掲げられていない空き部屋はだんだんと減ってきていた。
 そろそろ増築も視野に入れないといけないと、来期の予算を頭の中に思い浮かべかけたがすぐに打ち消した。仕事の時間はもう終えたのだ。けじめを付けないと、必要以上に疲れてしまう。
 リーブは居住区の一番奥まった区画に着くと、カードキーをリーダーに通す。分厚い扉が静かに壁の中へ吸い込まれていき、リーブが中へ入ったらまた音もなく閉じた。
 そこは中年にさしかかった男の部屋にしては、いささか不思議な光景だった。ところどころに猫の妖精やデブモーグリのぬいぐるみが置いてあり、それが洗練された家具の雰囲気をいくらか柔らかいものにしている。リーブの、手足とも言うべきぬいぐるみ達は、今はどれも動いていない。至極簡単な定義を与えてある『彼ら』は、万一の侵入者対策だ。動くべき時に動くため、今は話しかけても反応することはない。
 上着を脱ぎ椅子にかけ、寝支度を整えて奥の寝室へつながる扉を静かに開ける。普段部屋の主があまり使わない寝台では、使わないなら自分が使うと言わんばかりの様子で金髪の青年が眠っていた。真ん中を陣取り、わずかに背中を丸めてすうすうと眠る彼に、「この子はもう」と苦笑混じりの溜息が出た。

 ――始まりは、まるで事故のようなセックスだった。
 あの日限りと思ったが、その関係は、二ヶ月経った今でも続いている。

 気が向いて時間があったら成り立つ関係だが、それなりの頻度で続いているのは、恐らく相手が優しいからだろうと思っている。クラウドの仕事はひとところに留まらない。近くにいることが稀だ。そんな彼に仕事を頼み、こちらに来るように仕向けているのは他ならない自分であり、そしてどんなに遠方でも断らずに来てくれるのは、クラウドの性根にある優しさ故だ。
 もちろん、わかったところで終わらせる勇気も、先に進む勇気もないのだが。
「――大人は汚いですなあ」
 不意に子供の声が寝室に響いた。枕元のケット・シーだ。
「起きていたんですか」
「耳触られたら誰でも起きますさかい。眠そうやったんで、黙っときましたけど」
 ケット・シーは猫らしく顔を洗う。
「仕事で誤魔化すの、悪い癖やで。このままじゃアカンって、わかっとるんやろ」
「この子は若いですし、私よりも相応しい人が居ますからね。今だけですよ」
「そう言って、ほんまはクラウドさんに甘えとるだけとちゃうんですか」
「そう見えますか? 心外ですね」
「ほんま、汚いわあ」
「何とでも。……あまり騒ぐと起こしてしまいますよ」
 リーブはケット・シーの頭にぽすんと手を置く。にぇっ、と変な声を出した猫は、そのまま人なつっこい笑顔を浮かべたぬいぐるみへと戻った。
 別個の意志を持ってはいるが、しっかり本体の意を汲み取るらしい。それになかなか容赦がないときた。自分の能力とつきあって長いことになるが、痛いところを突かれるのは未だに辛い。
 もう少し鈍くしておいた方がいいかなと取り留めもないことを考えながら、温もりの待つ寝床の中へ潜り込む。
 後どれくらいこうした関係で居られるのか、漠然とした不安を抱えながら、リーブは穏やかに眠る身体を後ろから強く抱き締めた。

三度の飯が好き

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