[2018/07/01]バレクラ

ヒグマとオオカミ:二頭のなれそめ / バレクラ / 文庫ページメーカー

 ごふ、ごふ、と咽せるような音が聞こえた。
 次いで鼻を刺した血の臭いに、ただ事ではない、と勘が働く。こういったときの勘は外れたことがない。慎重に臭いと音の本を辿っていくと、果たしてそこには見慣れない毛玉が横たわっていた。
 見たところ若い狼だ。小柄ではあるが、子供という印象は薄い。どこからか長い距離を移動してきたのか、毛には泥やら埃やらがこびりついていて、元の色すらわからない。食事も十分に採れていなかったのか肋骨が浮いていた。極めつけには腹に穴が開いている。先ほどの音はこの狼の最後の呼吸だったのだろう、だらんと舌が垂れた口元には血溜まりができていた。
 しかしそれにしても、とバレットはその死体を検分する。火薬のにおいもするし、穴の周りは明らかに焦げていることからして、撃たれたと見て間違いない。だが、このあたりは気性が荒い奴らが多いとは言え、獣や、彼ら獣の器を持つ者達を狩る者はいない。となると密猟者か、それとも諍いに巻き込まれたかのどちらかだ。バレットの縄張りの中でそんな厄介なものが出てきたとなると、仲間には伝えておく必要がありそうだ。
 ただ、その前にやることがある。
「埋めてやるか……」
 もしこの狼を撃った奴らが密猟者だったとしたら、きっと追いかけてくるだろう。狼は強く、そして高い。剥製にしろ毛皮にしろ、そして標本にしろ、とある事件で絶対数が少なくなってしまった種族である狼は、好事家たちの間で高値で取り引きされていると聞く。苦労して仕留めた得物を放っておくようなことはしないだろう。それに、そんな奴らに死んだ後も良いようにされるのは忍びない。
 バレットはその身体のそばにかがみ込む。ひとまずねぐらに連れていって、綺麗にしてから静かなところにでも埋めてやろう——そう考えて、まだ温かい身体の下に手を差し入れる。
 だがその瞬間、力なく閉じられていた狼の目が見開かれた。
「おわっ!?」
 がちんと噛み合わされた牙が空を噛む。一瞬遅れていたらその鋭い牙に手の肉を持って行かれていただろう。死んだと思っていた狼は、その瞳をぎらぎらと殺意と敵意に染めながら、バレットを睨み、そしてぼたぼたと口から血を垂らしながらも歯をむき出しにして低い唸り声を上げていた。
「お前、待った、落ち着けって、な」
 どこにそんな力があったのか、首だけを持ち上げ威嚇する狼から慌てて少し離れる。生きていたのなら手当をしてやりたいのだが、このままでは近付けない。どうしたものかと考えて、未だ自分が二つ足であることに気づいたバレットは、すぐさま獣の器をとった。
 狼の瞳に映った自分の姿が、瞬きの後に小山のような羆になる。二つ足の時に着けていた義手が落ち金属質な音を立てた。
 ゥ、と狼が威嚇を止める。バレットは刺激しないようにゆっくりと近づき、狼の鼻に自らのそれを触れあわせる。
 威嚇はせずとも警戒していた狼だったが、そこでようやく目の前の羆が敵ではないと判断したらしい。全身の緊張が解かれ、強張っていたその鼻面から力が抜けた。そして、べろ、と真っ赤な舌でバレットの顔を舐めると、糸が切れたように地面にできた血溜まりの中に沈んだ。
「おい!」
 二つ足に戻ったバレットは、素早く義手を装着し直すと今度こそ狼の体を抱え上げる。心音は未だあるが呼吸が弱い。早く連れて行かないと、次こそは確実に手遅れになるだろう。
 服に血が着くのも構わず、バレットは狼を抱きしめると、一路アジトを目指して走り出した。

三度の飯が好き

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です