高いところが好きなレノさん / レノクラ / 文庫ページメーカー
レノは高いところが好きだ。
月並みだが、高いところから地表を見下ろすとまるで自分が鳥になったような気分になるし、空が少しだけ近づいた気がして嬉しいからだ。何で嬉しいのかなんていうのはよくわからないが、子供だった時分は地面なんかに良い思い出がろくになかったからかもしれない。たいていはゴミだらけだったし、そんなゴミだらけの地面に立っている自分もまたゴミ同然だった。そのくせ、生きるためには地面を睨んで金目のものを探さなければならない。地面には嫌なものがたくさんあった。子供の目に入れるべきではないものも。
でも、そんな地面もある程度離れてしまえばただの景色だ。地面に転がる紙くずも生ゴミも吐瀉物も、そして死体ですら単なる模様にしかならない。他の街と比べれば、貧民街の街並みなどとても綺麗と言えたものではないが、それでも近くで見るよりは大分ましだった。だからレノは高いところが好きだった。
——そして今日も、レノは街を俯瞰していた。
辺縁の街は見ていて飽きの来ない街だ。いろいろな街から移り住んできたり、ミッドガルから逃げていた者が戻ってきたりと人の流入が激しい。ゆえに常に広がり形を変えていく。今レノが立っているビルだって、少し前までは建設中だった。
強い風に、咥えていた煙草の紫煙が攫われていく。
まるで血管のように張り巡らされ、入り組んだ道路を様々な方向へ流れていく人々をぼんやり見ていたら、不意に目立つ色がレノの視線を吸い寄せた。曇天のかすかな色さえ反射する金髪に喪服のように黒い服は、見間違える方が難しい。
彼はどうやら仕事中のようだった。いったいあのバイクのどこに積んでいたのか、いやもしかすると徒歩で運んできたのか、肩にはなんだか大きな機械のようなものを担いでいる。いずれにせよ普通の人間が持ってくるようなものでは難しいだろうものを運んでいるのには違いない。すれ違う人間達がかなりの確率で、その荷物を振り返り、見上げ、運んでいる人間と見比べているようだった。
彼はレノの視線に気づかないまま、こちらの建物の方向に歩いてくるようだった。もしかするとこの建物への配達なのかもしれない——という淡い期待は惜しくも外れ、彼は少し手前の通りにあるまた新しい建物の前で止まった。店の外に出てきた人間となにやら話し、伝票のようなものをやりとりしている様子に感心しているうち、彼の仕事は終わったらしい。またよろしくとでも離しているのか笑って握手すら交わしている。
(すげー、普通に仕事してんのな)
本人が聞いたらまず間違いなく機嫌を悪くするようなことを考えながら残り少なくなっていた煙草を地面に落として踏み消していたら、不意に胸ポケットの端末が震えた。仕事の呼び出しだろうかと見てみたら、そこに表示されていたのは先程までレノが観察していた彼の名前だ。
あちらからかけてくるなんて珍しい。
自分の意思とは関係なく持ち上がってしまう頬を抑えながら、ロックを解除し耳に当てる。
「おう」
『何か用か』
かけてきておいてなんとも斬新な第一声だ。そう思って目を戻すと、驚いたことに彼はこちらを見ていた。どうやら気づかれていたらしい。
「なんだよ、気づいたのか」
『赤いのが見えた。あんたかと思って見てたらあんただった』
なんともまあ、こいつは自分が言っていることの破壊力を自覚していないらしい。電話を取って一分も経たないうちに横合いから殴りつけられたような衝撃を受けたレノは、しかし相手の見ている前だとできるだけ平静を装う。
「目ぇ良いんだな」
『用でもあるのか』
「んー、そうだなあ」
『あるのかないのか、はっきりしろ』
「そう急かすなよ、と。……ああ、うん、一つあるわ」
『なんだ』
「配達してくんね? オレとお前を、いつものモーテルまで」
『……』
電話の向こうの相手が黙った。焦らしすぎたか、それともタイミングが悪かったか——と、見下ろす金髪に手を振ってみる。しかし反応はなく、しまいには背中すら向けられてしまった。
ありゃ振られたかと思った矢先、低い声がスピーカーを震わせる。
『……一番最後の便でいいな』
「もちろんオーケーだぞ、と。広場で待ってる」
解った、という言葉を最後に、今度こそ通話が切れる。
胸ポケットに端末をしまい顔を上げた時には、天使めいた彼の姿は雑踏に紛れて見えなくなっていた。