陶器の狂犬

リブクラ / pixiv

 ――こんなはずじゃなかった。今頃は凱旋して、トップニュースを飾って、組織の仲間たちと酒でも飲んでいるはずだったのだ。それがどうしてこうなったのだろう。計画は入念に立てたし、今までこつこつと、丁寧な仕事をしてきた。失敗もしたけどそれは次につなげてきた。それが一体どうしてこうなったのだろう。
 男はホテルの一室で、上質な白いクロスが引かれた卓に着いたまま、自分のしたことを後悔していた。後悔しかできなかった。目の前で起きていることが現実だと認めたくなかったが、鉄錆のにおいや激しい物音、悲鳴が、彼に失敗という現実を叩きつけてくる。
 何もかも計画をねじ曲げてきたのは、今まさに仲間のうち一人の喉笛を文字通り噛み切った金髪の青年だった。ごぼごぼと言葉にならない悲鳴を上げて倒れる仲間をそのまま押し倒し、ぺっ、と口の中の肉片を吐き出した血塗れの彼は、次なる相手へと飛びかかる。銃弾など気にしていない。ハナから避けるつもりも見せていない。忠犬、狂犬、首輪付きの狼と、男達WROを目の敵にする組織の中でそう言われる局長の飼い犬は、想定した以上の速さと強さで、彼の計画を完膚なきまでに叩き潰しに来ていた。
 会合では常に武器の持ち込みは禁止されている。それは会合相手の自分たちだけではなく、ホスト側の局長とその護衛だってそうだ。だからこそ、各所に潜ませた武装した人間を、数でもって突っ込ませれば、何もかもうまくいくはずだった。

(だが、これは、この地獄はなんなんだ)

 仲間を動かした瞬間、飼い犬は吼えていた。
 リーブ・トゥエスティに向けて放たれた銃弾を全て受け止め奇襲を無効化した後、テーブルの上に広げてあったナイフとフォークを、手頃な仲間の喉に叩き込み黙らせ、次々やってくる後続は現れた瞬間にその喉笛を咬み千切られるか、高級そうなシルバーの餌食になった。所詮は人間だ、鉛玉を叩き込んでやればきっと大丈夫――そう考えていたはずなのに、弾を浴びても止まらないし、戦意すら失ってくれない。その滅茶苦茶な暴れっぷりに、仲間達の意識はすっかり、局長の排除からその飼い犬の排除に向いていた。だが武器を向けた瞬間、腕がへし折られ喉を潰され、為すすべもなく這い蹲るだけだ。
 彼が震えたままテーブルについていられるのは、単純に武器を持っていないからなのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。そして潜ませていた手駒達が、全員が全員死の淵まで追いやられるまでにも、そう時間はかからなかった。
 最後の一人を完全に沈黙させた後、とん、と恐ろしく軽い音を立てて、全身から誰のものともつかない血を滴らせた飼い犬が、テーブルの上、彼の目の前に着地する。真っ白いクロスにぼたぼたと血が垂れ、彼の目の前だけが血に彩られているのは、彼がたどる末路を暗に示しているようでもあった。
「リーブ、こいつはどうする」
 獣のような瞳に見据えられ、男は声も出せなかった。口元も、白い肌も、金髪も何もかもべったりと血にまみれた狂犬の瞳孔は、猫か何かのように細くなり、純粋な殺意をだけをまっすぐに彼に向けてきている。飼い主の許可さえもらえれば、すでに両手に持っているシルバーが、まっすぐ彼の首に吸い込まれるだろう。
「そうですね、詳しいお話も聞きたいですし」
 飼い犬の体越しに、その飼い主の静かな声が聞こえた。こんな惨状を目の当たりにしてもなお、その声はあくまで穏やかなことに、男は別種の恐怖を感じた。
 ——こいつはこいつで、根本的に住んでいる世界が違うのだ。
「口を利ける程度にお願いします」
「解った」
 何をされるのか、そして何をされたのかさえ理解する前に、男の視界は暗転した。

***

「撤収作業、すべて完了しました」
「はい、ご苦労様です」
 きびきびとした敬礼に、リーブもまた敬礼を返す。襲撃からおよそ三十分、反撃が始まった瞬間に連絡を入れていたおかげか、『清掃役』の到着は最後の一人が無力化されたその瞬間だった。事切れた者は黒い袋に、意識のある者は救急車に放り込み、しかるべきところに送り、事情の説明をホテル側に行ってすべて何もかも元通りにする手配を終えた部隊長は、「派手にやりましたね」と苦笑を滲ませた。
「相手もですけど」
「かなり入念に準備をしていたようですし。クラウドさんが居なかったら危なかったですね」
「クラウドさん、お怪我は?」
「大丈夫」
 窓に背中を預けていたクラウドが、その言葉にひらひらと手を振る。まだ返り血も何も落としていないから、見た目はかなり壮絶だ。けろっとした顔が逆に違和感を覚える。
「念のためキットだけ置いていきますね」
「助かります」
「清掃は夜に入るそうです。それまでお部屋はご自由に、とのことでした。支配人は『勝手に掃除してくれても良いんだぞ』と」
「ははは」
 いつも汚しているからそう言われるのも仕方がない。ただ夜まで時間をもらえたのは行幸というものだと、リーブは密かに安堵の溜息をついた。
「支配人には私からも一言謝っておきますよ。いつもお世話になっていますし」
「了解です。では、我々はこれで撤収します。何人か残しましょうか?」
「大丈夫です。お気を付けて」
「恐縮です」
 白いアタッシュケースを卓の上に置き、最後に一度敬礼をして部隊長は部屋を出て行く。
 ぱたん、と部屋の扉が閉まりオートロックがかかる。足音が遠ざかったのも確認すると、リーブはクラウドの方を振り返った。

「――よく頑張りました」

 クラウドは床の上にへたり込んでいた。それまでの平然とした顔はすっかりどこかに行ってしまい、眉は寄り脂汗が浮いている。はっ、はっ、と浅い呼吸からして、立っているのが相当辛かったのだろう。
「バスルームに行きましょうか」
 うん、とクラウドが頷いた。どうやら声を出すのも辛いらしい。
 上着を脱ぎ、部隊長が置いていってくれたメディカルキットを持つと、リーブはクラウドに肩を貸す。最低限急所だけは避けているが、普通の人間なら死んでいる量の銃創が穿たれていることは、つい先ほどの戦闘を見ていれば解る。
 バスルームの床にクラウドを座らせて手早く服を脱がし、腕まくりをしてメディカルキットを開けた。万が一のことがないようにリジェネをかけながら、消毒液とメス、そしてピンセットを取り出す。
 まずは背中からだ。できるだけ苦しくないように横向きにさせると、ざっと数を確認した。
「染みますよ」
 一言断って血を洗い流し、傷口を消毒してから、メスとピンセットで慎重に弾を取りだしていく。麻酔など使っていないから、一つ取り出すごとにクラウドの肩が震え、押し殺した悲鳴が上がった。
「痛いですか?」
「いたい……」
「だから避けてくださいって言ってるんです。後で痛い思いをするのはクラウドさんなんですよ」
 素直に痛いと訴える彼の傷をできるだけ刺激しないようにはしているが、リーブの手に躊躇いはない。一つずつ取り出しては局所的に回復魔法をかけて傷を塞いでいく。念のためにと持たせた守りの指輪があったおかげで、すべて表層で止まってくれていたが、それでも数が多すぎる。
「っぁ、ん、でも、避けたら、あんたに当たる」
「武器は持っていませんが、マテリアは持ってるって言いましたよね」
「つ、いっ、言って、ない」
「言いました」
 最後の一つをとってしまったら、次は腹側だ。キットのメスはまだまだあるが、それでも足りなかったら今日は遠慮なく医療班を呼ぼうと決めた。
「ほら、こっち向いて」
 体の向きを変えさせて、同じように銃創から弾を取り出していく。
「った」
「医療班、呼びましょうか?」
「……イヤだ」
 ダメもとで聞いた一言はあっさりと拒絶された。
 ――いつもいつもこうだ。気が立っているのか知らないが、こういった仕事の後は、リーブ以外に触れられるのを嫌がる。だから、医療チームに引き渡すのもクラウドが落ち着くまで待つしかない。落ち着くまで待っていたら取り返しがつかなくなる時は、こうしてリーブが最初の処置をしてやるのが、最近の通例になっていた。
「専門家に任せたら痛くないのに」
「リーブ、……リーブがいい」
 背中側と同じ処置をしながら思わずこぼした独り言は、少しばかり大きかったらしい。私ですか、と顔を上げたら、痛みと熱に浮かされた魔晄の瞳が、とろんとリーブを見上げていた。
「私がいいんですか」
「リーブがいい……他の人は、イヤだ」
「我が儘ですね」
 鉛玉の最後の一つを取り出しシャーレに落とす。仕上げとばかりに回復魔法をかけてやったら、痛いのはもう終わりと解ったらしく、それまで強張っていた体からふっと力が抜けた。
「シャワー浴びましょうか。服も替えないと。着替え、持ってきて正解でしたね」
「リーブ」
 シャーレを持って外に出ようとしたら、クラウドの切なげな声に呼び止められた。振り返ると、うっすらと目を開いたクラウドが、リーブに向けて手を伸ばしている。
「何ですか?」
「……リーブ」
「クラウドさん、冷えますよ」
「リーブ……」
 ――リーブは思わずごくりと喉を鳴らした。
 鮮血の散った白い床の上に力なく座り、柔らかいバスルームのライトに照らされているクラウドは、普段は潜めているリーブのどうしようもない劣情を引きずり出すために存在しているかのようにも見えた。クラウドの体には今や傷一つ残っていないが、所々にこびりついた血が、白い肌に映えている。
 背徳的な人形のようだと思った。陶器でできた肌を持つ、美しい血塗れの人形だ。
「リーブ」
 クラウドはただリーブの名前を呼ぶ。はあ、とリーブは溜息を吐くと、手の中のシャーレをひとまず置き、またバスルームに戻った。クラウドの前に膝を着くと、その熱に浮かされた青い瞳を覗き込む。その奥に、確かに情欲の光を読みとったリーブは、そっと血で汚れたクラウドの頬に手を添える。
「……クラウドさん」
 優しくできませんよと言うと、クラウドは口の端を釣り上げた。

「めちゃくちゃにしてくれ」

 その一言だけで頭の中が沸騰した。
 バスタブに押しつけ唇を塞ぐと、せめて冷えないようにとシャワーのノブを捻る。湯気が立ちこめると同時、腕がリーブの背中に絡みつき、爪を立ててきた。それに応えるようにリーブもまた、クラウドの首筋に噛みつく。
 もっと、と荒い息の下でクラウドが強請る。自分の前を寛げ、クラウドの残りの服も剥ぎ取りながら、待ちきれない犬のようにだらしなく口を開けている彼に覆い被さった。
「痛いのが好き?」
「すき、大好き。あんたのくれるの、みんな好き」
「変態ですね。しょうがない子だ」
 育て方を間違えましたかねと呟いたら、ふ、と組み敷かれたクラウドが笑う。
「じゃあ、しつけてくれ」
「……あなたの飼い主をするのも大変だ」
 どちらともなく、噛みつくようなキスをする。
 夜まで時間を貰えてよかったと、心底感謝することになるのは、それから幾度となく熱を交わした後のことだった。

三度の飯が好き

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